毎月、行事を開催しているある会場のロビーの掲示板に珍しく空きスペースができていたので、来月の行事のポスターを貼らせてほしいと申請した。 
ところが・・


「そういう私的なポスターはお断りしています。役所の広報といったものだけです。」
(実際は個人のものも貼ってある)
と言うので、


「この建物は税金で建てられた公の施設ではないですか。」

「そうですよ。」

「それなら、こういう物は貼ってはならないという法律なり規則なりの根拠がありますか?会場を借りている行事のポスターですが。」


「・・・そういう規則はありません。 こちらが判断します。」

「公の施設ですから個人がかってに判断できることではなく、判断するのは法律でしょう。
この公園にあなたは入っていい、あなたは入ってはならんと誰が言えるでしょうか?」


「・・・・・じゃあ、逆に、貼ってもいいとどうして言えるのですか?根拠はありますか?」

(このようにを言ってくるのは珍しい。)

「もちろんあります。憲法です。(法の下の平等。表現の自由、言論の自由の保障。)」

「ええっ?! 憲法まで持ち出すんですか?」

「憲法まで、と言われますが、日本国の法大系はすべて憲法のもとに成り立っていますから、持ち出すも持ち出さぬもない。私たちの日々の生活で憲法と関係ないのものは何一つありませんが。」

「・・・・」

「総理大臣といえど、憲法に反することは出来ないことです。安倍総理が今、あれだけ騒がれているのは、解釈改憲などと詭弁を弄し、憲法に反することをやろうとしているからではないですか?」

「・・・・」
(まだ不服そうなので・・・・)

「あなたが戦争に駆り出されず命を脅かされずに、今こうして平穏な生活を送れるのも、憲法(九条)があるからではないですか?」

「・・・・相談します。しばらく待って下さい。」

後日、0Kの返事を得る。


ポスター1枚、根拠が必要であり根拠があるのだ。
個人のかってな考えは許されない。


いわんや、「往生極楽の道」においてをや、だ。
「小沢をやれば、一生飯が食える。」 東京地検特捜部検事の合言葉だ。

「検事は欲深い。」 無罪を勝ち取った村木元局長の言葉。

人間は誰しも我利我利であり、底なしに欲深い。

しかし、その煩悩の火をあおるのは、「最強」といわれる地検特捜部が「強制捜査権」と「公訴権」を一手に握っているからだ。

それは、目をつければどんな無実の者でも、証拠が無くても、証拠を改竄してでも、犯罪者に仕立てあげることが出来ることを意味する。

その特捜検事が「功績」を挙げようと、都合の良い供述調書を作り出すための密室での取調べは、騙し、脅迫、時には拷問と言えるほど悲惨を極める。

たとえばサッカーの試合。
みなルールを守って試合が成り立つ。しかし、手も足も自由に使え、どんなことをやってもかまわない選手が1人加わったらその試合はどうなるか。

そんな危険な検察をチェックする機関もない。
だから日本の有罪率は99.9%を越える。こんな国は先進国でも例を見ない。

大阪地検の改竄事件は起きるべくして起きたし、氷山の一角だろう。

足利事件、氷見事件のように、幸いにも冤罪が証明されればまだよいが、「最強」の特捜部の名誉欲と利益欲・政敵・「外国の意向」によって、無実の罪をでっち上げられ葬られた国会議員、首長、経済学者も少なくないし、無実の罪で死刑を執行された一般人はどれくらいあるだろうか。

何十万、何百万の国民からの支持を得、公正な選挙で選ばれた国民の意志の代表が、ペーパー試験に合格したにすぎない、ほんの一握りの「官僚」に潰されてしまう。まさに三権分立を破壊している。

その検察の暴走を支えているのが、記者クラブ所属のマスコミによる、検察リークの垂れ流しだ。

推定無罪の原則を無視し、世間に「悪者」「犯罪者」のイメージを土石流のように流して「世論」を動かし、検察を正当化する。もはや「社会の木鐸」の使命を放棄してしまった。いや、それどころか、「権力の犬」に成り下がってしまった。情けないかぎりだ。

つくづく日本は恐ろしい国と思う。

「キチガイに刃物」
ふと浮かんだ言葉だが、言い過ぎだろうか・・・。

仏様から見れば、人間は誰もみな欲深く我利我利の「キチガイ」に違いない。
しかし、だからこそ、そんなものに危険な「刃物」を持たせてはならないのだ。

官僚の頂点である検察の暴走、マスコミの偏向。

「(明治、山県有朋が官僚制度を構築してより今日まで、連綿として続くところの)官僚政治の打破」、「検事総長の国会同意人事化(によるチェック)」、「取調べの可視化」を表明する、政権交代の立役者たる小沢の、ブレない政治的信念と政治的力量を畏れ、断固阻止せよと、重箱の隅をほじくるような、しかも違法でも何でもない収支報告書の「期ずれ」を、「政治資金規正法違反の罪」だとデッチあげ、電波利権、記者クラブ利権を守ろうとするマスコミが手を組んだ。

そして、このたびの検察審査会の暴走。

検察のメンツにかけて、推定30億円とも言われる税金を投入し、1年間捜査しても起訴できなかったものを、法ではなく、作られた「印象」が密室で人を裁き責任もとらない。

冤罪を生む新たな悪縁が増えた。

検察の尻馬に乗って離党勧告だ、証人喚問だと他人事のように騒ぐ国会議員も、のん気なものだ。

証人喚問さるべきはほかならぬ、検察のほうである。
国民の税金で仕事をさせている官僚を監視し、税の公正な執行を監督をするのが国民の代表機関たる国会である。検察こそ国会で「説明責任」を果たさねばならない。


我々は政治家でも、何でもない。一親鸞学徒だ。

「いつの世も、いずれの里も、真実を説く者には、迫害はつきものだということだろう。」(真仏房)

しかし、親鸞学徒に限らず、誰でも、いつ危険な「刃物」に襲われるか分らないご時世となった。

我々の布教活動の自由、信教の自由といった基本的人権を守るためには、検察、検察審査会の暴走を止め、警察国家を作らせてはならない。

かつて来た道をたどってはならないし、それ以上でも、それ以下でもない。

そして、我々もスキを与えないよう、心せねばと思う。



○奥能登の至るところで出会う、美しい、やさしい風景。

  ・・・・感動です。 (輪島市門前町にて)






浄土真宗親鸞会 能登はやさしや土までも





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