世の中見渡して、最近本当に、カバーが多い。商業的理由、とかも多分にあるんやろうけど、やっぱり「カバー」は侮れない。

僕らもココロ歌、としてカバーに取り組んでいる。
なんでカバーをするのか。

いい言葉には、何度でも言いたくなる、口にされる。
だから節がついて、歌になる。
そうやって受け継がれてきたのがココロ歌だと思う。

だから僕はその歌を、
みんなとその言葉を共有するために歌ってる。

歌を作ってて、非常に悔しいのだけれど、僕自身の言葉は、そういう歌や言葉が積み重なった地層の上にできた草原に、立たされていることに気付いてきた。

その花や草や土の匂いをかいで、自分らの根っこを知らないと、と思うのだ。

だから、その土をすくって、匂いをかぐ。


そうすればそうするほど、
自分の口から生み出したくなるのも、また真。なんやけどね。