わたしたち二人が努力したのは徳をつむことであり、来世を希望して生活することであり、また、この世を去る前に、心でこの世からすでに離れているようにするということでした。わたしたちはこのことを目指しながら、生活と行動のすべてを整えました。一方では神の掟の導きに従い、他方では徳への熱意を互いに磨いたのです。また、わたしがこのようなことを言うと高ぶっていると思われるかもしれませんが、どちらも相手にとって、善を悪から識別する規範であり尺度でありました。
普通の人々には、両親から受け継いだ名称や、自分自身の努力や偉業によって獲得した名称がありますが、わたしたちとっては「キリスト者」という名称で呼ばれ、実際にキリスト者であることこそ、偉大なこと、偉大な名称と思われたのです。

by ナジアンズの聖グレゴリオ司教

photo:04


新年
明けまして
おめでとうございます


謹んで、お祝い申し上げます

今年一年
神さまの愛と恵み溢れる一年となりますように…

本年も、よろしくお願い致します

神の母、聖マリアの祝日に
修道院から、愛と祈りを込めて…

photo:05
使徒パウロが語っているように、ことばは「アブラハムの子孫を助けられるのです。」それで、彼は、「すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。」そして、わたしたちの身体と同様な体をとらなければなりませんでした。だから、ことばがマリアから身体を受けるために、まさにマリアはそこに存在したのです。ことばは、その身体を自分の固有な身体として、わたしたちのためにささげられたのです。

by 聖アタナシオ司教

今日のこの祝日は、処女マリアからお生まれになったイエスの聖なる降誕を、わたしたちのために再び新たにします。そしてわたしたちは救い主の降誕を礼拝しながら、わたしたち自身の起源を祝うのです。
キリストの降誕はキリストの民の起源であり、頭の誕生日は体の誕生日でもあるからです。

by 聖レオ一世教皇

ナザレはイエスの生涯が初めてわかるようになる所です。福音を学ぶ所です。
極めて単純で謙虚な、しかもこの上なく美しい神の御子の現れの奥深い神秘的意義を見つめ、聞き、黙想し、その中に深く入ってゆくことを学ぶ所です。おそらくそれと気づかずに、神の御子を模倣することをも学ぶでしょう。

by パウロ六世教皇
「主よ、人間とは何ものなのでしょう。あなたがこれを親しまれるとは。あなたが思いやってくださるとは。」〔神のことばの受肉を〕考えることによって人は、神が自分のことをどれほど配慮しておられるか、自分についてどのように考え、感じておられるかを学べばよいのです。ああ、人よ、あなたは自分にどのような苦しみがあるかと思いめぐらすべきではなく、むしろキリストがどれほどの苦しみを耐え忍んだかを思いめぐらすべきです。神があなたのために人となられたことによって、神があなたをどれほど大切にしておられるかを熟考してください。そうすれば、神の人間性によって神のいつくしみを知るようになるでしょう。神は人間として身を低くされることによってこそ、それだけ愛の大きさを証明してくださったのです。また、わたしのために卑しい者となられたことによってこそ、それだけわたしにとって身近な者となられたのです。

by 聖ベルナルド修道院長

幼子たちは、知らないながらもキリストのために死にます。親たちは殉教者たちの死を悼みます。キリストは、まだ話のできない幼子たちを、ご自分のためのふさわしい証人にします。このような王になろうと到来なさった方が、このように君臨なさるのを見なさい。解放者がすでに解放を始め、救済者がすでに救済を始めているのを見なさい。

by 聖クォドヴルトデオ司教

全てが愛おしい
全てが過ぎ去るものだからこそ
全てが愛おしく そして 美しい

ガラス越しの君に恋をした
今という時は 二度とこない

今、今、今というこの瞬間を
僕は 僕の中で守ってゆこう

いつか 君と碧に染まる日まで
僕は…
僕を守っていこう

「初めからあったもの、わたしたちが聞き、目で見たもの、よく見て、手で触れたいのちのことばについて伝えます。」
「ことばは肉となって、わたしたちのうちに宿られた」ということが実現しなかったならば、ことばに手で触れることはだれにもできなかったでしょう。
手で触れられるように肉となったこのことばは、処女マリアから肉体を受けて初めて、肉となられました。しかし、ことばはそのとき存在しはじめられたのではありません。それは、ヨハネが言うように、ことばは「初めからあったもの」だからです。「初めにことばがあった。ことばは神と共にあった」というヨハネ福音の言葉が、ただ今朗読されました。ヨハネは、自分の福音書のこの言葉を、自分の手紙の言葉によって確信しているのです。

by 聖アウグスティヌス司教


昨日わたしたちは、永遠の王のこの世での誕生を祝いました。今日は、一兵士の勝利の受難を祝います。
つまり、昨日わたしたちの王は肉をまとい、処女の胎から出て、この世界においでになりましたが、今日、兵士は肉の幕屋を出て、勝利者として天国に上ります。
わたしたちの王はいと高き方であるのに、へりくだってわたしたちのところに来られましたが、手ぶらで来ることはおできになりませんでした。立派な贈り物をご自分の兵士たちに持って来られ、それによって彼らを豊かに富ませてくださっただけでなく、戦いに臨んでは、無敵の強さを持つものにしてくださったのです。持って来られたのは、人々を神性にあずからせる愛の賜物でした。

by ルスペの聖フルゲンチオ司教