さて、個人の人権問題について大きく取り上げられている昨今
思うところがあるのでここにまとめておくことにする。
一旦、この記事を書くにあたって
LGBTQって誰が言い出したんや?と思って調べてみた。
「1990年代のエイズ問題などを機に、性的マイノリティの人々が連帯して使い始めた総称」
なるほど。
まあ誰が言い始めたかとかは実際どうでもよくて
なんでこれを書き留めておこうかと思ったかというと、
SNSが普及している現代でのインフルエンサーたちの問題とされた発言や
実際に下着の販売店舗での問題があったからである。
自分は特に自身の性別には何の違和感も持っていない、ここでいう「ストレート」であるが
割と周りにはそうじゃない人もいたりする。
そんな環境も相まって、1人時間にいろいろと考えるようになった。
正直に言うとLGBTQは「心の性別」であって、本質的な「体の性別」とは全く違うところにあると思っている。
言いたいことを簡単に言うと、「それは性格や趣味と同義なのではないか」ということ。
生まれながらに男と女は区別されている。
これは純粋に体のつくりの違いだ。
そこに自我が芽生えて「自分を構築するひとつ」に「心の性別」が入ってくる。
例えば、よく女性的な服装を好む男性(心の性別は不明)から
「トイレで入る方間違ってますよと言われる」「声を出すと不思議な顔をされる」
「多目的トイレがないときどちらに入るか迷う」という話を聞く。
そんなものは結局、「その人」を知らない人からすると、見た目で判断するほかないからである。
個人的には、悩むくらいなら男トイレに入ればいいじゃないか。と思っている。
なぜかというと、自分の体を恨んでいようが違和感があろうが、結局体の機能は男性であるからだ。
「違いますよ」と言われたら「男性です」と答えればいいし、通報されたとしても事実上男性だから問題はない。
公共の場ではあらかたその時に持っている体の特徴で区別されているからだ。ここに心は関係しない。
ここに心を持ち込むと、自認さえあれば何でもできることになってしまう。
もちろん事情を知っている人しかいない場所なら好きな方に入ればいいと思う。
こういう時「自認している性別を言いたい」「肩身が狭い」と声を挙げる人もいるが、そんなのは
「映画館は静かに」という決まりがあるのに「面白いのだから大声で笑いたい!」と
駄々をこねているのと同じではないだろうか。と自分は考える。
決まりごとによってこの世界の大半の秩序は保たれている。
性別を聞いてほしくない!と主張する人も見たことがあるが、
こちらが聞いているのは見た目ではなく心の性別の方である。
今後の付き合い方や、呼び方をその人の自認に合わせようとしているのだから文句を言うのはどうかと思った。
では、体の機能を変えて法律上の性別変更をしたらどうなるのか。
「そんなことをしても性別は変えられない」という人もまれにいるが、
自分は変更後の性別でいいと思っている。
勝手な見解だが機能も正式な書類上も性別が変わってんだから当たり前である。
ちなみに性別の変更ってどういう条件でできるのかも簡単に調べてみた。
家庭裁判所は,性同一性障害者であって,次の1から6までの要件のいずれにも該当する者について,性別の取扱いの変更の審判をすることができます。
- 二人以上の医師により,性同一性障害であることが診断されていること
- 18歳以上であること
- 現に婚姻をしていないこと
- 現に未成年の子がいないこと
- 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること
- 他の性別の性器の部分に近似する外観を備えていること
これらの要件をすべて満たしていない限り、法律上の性別の変更は認められない。
つまりそれだけナイーブでシビアな問題ともいえる。
特にこの問題は公共の場でトラブルや犯罪につながる恐れもある。
冒頭でも記述したが「心の性別」とは、身体的特徴とは無関係であり
自らの発信と周りの理解が必要不可欠だと思っている。
ただし、他人に理解を強要することは避けるべきである。
(某パリ〇レみたいにやりすぎは良くないね)
最後に
今の時代、SNSの普及により個人の発言が一気に拡散しやすく、物事が大きくなりやすい。
ここまで書いておいてなんだけど、発言には気を付けたいものである。
いつか好きな音楽や映画の話をするように、誰とでもオープンな話ができる世の中になることを願っている。