先日書いた
『他人のおにぎり問題』。
こんなコメントをいただきました。
伝えないのも問題を先送りしてるだけだと思うなぁ。おばあさんは知らずに、また同じことをしてしまうと思う。その時気づいたら、前回もそうだったんだ…と、誤ちを繰り返したことを知り、尚更落ち込むんじゃないかなぁ。傷つけない事が優しさじゃない。
なるほど、
それもありますね。
わたしも、自分の間違いを
伝えてもらえなくて、
つらい思いをしたことが
あります。
仕事上のミスだったのですが。
わたしは
“覚え間違い” をしていて
正しい操作をしているつもり
でした。
Aさんが
そのミスを見つけて、
わたしが退社したあとに
数人のスタッフで修正しました。
Aさんは
「ヨシエさんには
ぼくが注意しておくから」
と言ったそうです。
次の日、
昨日のミスのことは
わたしには
知らされませんでした。
当然、2日目も、
なんの疑いもなく
同じミスをします。
また昨日と同じ状況で
昨日のスタッフたちと
修正をしながら、
Aさんは
「同じ事を繰り返すなら
もう彼女には任せられないね」と。
3日目に、上司が来て
「お前、大丈夫かよ?
大変だったら、早く言えよ。
昨日も一昨日もだったろ?
この分野はAさんが
やってくれることになったから
他のことに集中すればいいから。」
と。
そこで初めて
ミスをしていたことも
繰り返していたことも
知りました。
一番に浮かんだのは
「初日に言って欲しかった。」
言ってもらわないと
気がつかないから、
ミスを防ぎようがない。
いろんな思惑が混ざっての
Aさんの行動ですが、
わたしにミスしたことを
注意すべきだったでしょう。
業務にも支障が出るので、
ミスした本人に
伝えるべきだと思います。
だけれども、
この件を踏まえても
わたしは、おばあさんに
真実をありのまま伝えることは
しないと思います。
理由はいくつもありますが。
この
「おばあさんがおにぎりを
クラスの子のために作った」
という行動は、
ミスや失敗ではないから。
そもそも、おばあさんが
おにぎりを作ることは、
誤った行為ではないと思います。
おばあさんは、生徒たちが
喜んでくれると思って
おにぎりを作った。
これは、
おばあさんにとっては
幸せな時間だと思うんですよね。
食べられない子もいるけど、
食べられる子もいる。
食べたい子たちで
平らげれば、みんなハッピー。
だから、おばあさんに
「他人のおにぎりは
食べられない子がいます」
ってことを伝えるのは、
ただ悲しくさせるだけ
のような気がします。
食べられない子に配慮して
おばあさんの幸せな時間を
奪うことはないと思うんです。
おばあさんも、
食べられない子も、
どちらも間違えていないし
ミスをしているわけでもない。
わたしは、やっぱり、
傷つけないことが
やさしさだと思います。