昨日からの続きです。

全力育児の時代

そうして私は

約 7 年の会社員生活を送り、

 

結婚を機に

専業主婦になりました。

 

 

人間関係に恵まれ、

仕事も十分に堪能した

悔いのない寿退社でした。

 

 

それから 10 年もの間

 

専業主婦というよりも、

むしろ“専業育児”をしていました。

 

 

布おむつをはじめ、

ベビースイミング、

レトルトや冷凍食品を使わない

手作りの食事とおやつ。

 

毎日 1 時間の読み聞かせ。

幼稚園の 3 年間でその数 2000 冊。

 

エクセルで、

感想と子どもの反応などの

読書記録もつけていました。

 

 

 

なぜ、

こんなに必死になってしまったのか。

 

 


原因は、「おっぱい」でした。

母乳の出が悪かったのです。

 

 

当時は

母乳が一番!ミルクは悪!

という風潮があったので、

 

おっぱいの出が悪い私は

自分はダメな母親だと

思っていました。

 

 

他の人にとっては

どうでもいいようなことが、

当時の私にとっては大問題。

 

周りのみんなができていることが

私にはできない。

 

 

 

私は幼い頃から、

なんとなく色んなことを

人並みにこなす子でした。

 

 

そのため

「何事もやればできる」

と思っていたので、

 

 

この時が人生で初めて

自分では手の打ちようがないことに

遭遇しました。

 

 

 

自分のおっぱいの出が

悪いことを認められず、

 

娘の体重が減ってしまうまで

ミルクを足すことができませんでした。

 

 

おっぱいの出が悪いお母さんは

子どもに対しての罪悪感を

抱く方が多いのですが、

 

私が抱いたのは劣等感でした。

 

 

そしてこの劣等感を埋めるように

育児にのめりこんでいきました。

 

 

 

全力育児の末、

娘は私の期待通りの

“自慢の娘”育ちました。

 

 

ところが

小学 4 年生のとき。

 

 

ベテランの担任の先生に

こんなことを言われました。

 

「この子は自信がなさ過ぎる。」

 

 

 

私は衝撃を受けました。

 

 

こんなに可愛くて

何でもできる子が、

自信がないなんて。

 

 

理由が知りたくて

育児書を読み漁りました。

 

 

 

そして

どこを見ても書いてあるのは

「小さい頃の怒られ過ぎが原因」。

 

 

育児に熱中すればするほど、

私はとてもガミガミ怒ってばかりの

お母さんになっていました。

 

 

しかし、

そのことに気づいてからも、

 

“ガミガミ”と

「あ~あ、言っちゃった・・・」

の繰り返し。

自己嫌悪のループでした。

 

 

 

そんな葛藤の中、

コーチングの親子講座と出会います。

 

娘が小学5年生と6年生の間の

春休みでした。

 

 

 

当時の娘は、

自分から

私立中学の受験をしたいと

言い出したにも関わらず、

 

勉強もあまりしたくない、

週 7 時間のスイミングは続けたい、

塾には行かない。

 

 

その中学校へ行きたいけど

受かるかどうかもわからない。

 

 

そんな、

やる気も自信もない受験生でした。

 

 

それが、

この親子講座を境に激変しました。

 

 

スイミングでも記録を伸ばし、

 

自分から最後まで

粘り強く勉強するようになり、

 

志望校に合格。

 

 

新入生代表の挨拶も

させてもらえるほどでした。

 

 

 

わたしのせいで

自己肯定感が

低くなってしまった娘が

自信を取り戻したことで、

 

 

私は肩の荷が下りて、

 

やっと子育ての自己嫌悪と

劣等感から解放されました。

 

 

 

ところが、

入学して数カ月たったころ。

 

娘は急に学校へ行けなくなりました。

 

 

テストの点数が、

思ったよりも低かった。

 

 

それをきっかけに、

クラスへ入れなくなっていきました。

 

 

 

「周りの子はすごい子ばかりで、

自分がこのクラスにいるのは

申し訳ない。」

 

 

「こんな自分が好かれる訳がない。

みんなが自分のことを嫌っているから、

クラスには入れない。」

 

 

 

せっかく

自信を取り戻したと思ったのに。

 

 

結局、根底にある

“自分のことが嫌い”

という感情が爆発してしまい、

 

反動のように

さらに落ちていきました。

 

 

私は

娘を励ましたり説得したり、

 

なんとかして考え方が

変わるように働きかけました。

 

 

 

「周りの子もすごいけど、

あなただってすごいところもあるじゃない。」

 

「申し訳ないなんて、

誰もそんなこと思っていないよ。」

 

「みんなが嫌っているなんて、

思い込みだよ。そんな訳ないじゃない。」

 

 

私は、

親子講座で学んだ

「強みの視点」を持って、

 

娘のいいところを見て

 

いいところを引き出そうと

たくさん言葉にしました。

 

 

 

親の価値観を押し付けてはいけない

と思い、

 

娘のやりたいことを

やれるペースで支えてきた

つもりでもありました。

 

 

それでも

全然クラスへは入れません。

 

 

私は、

学費のためにパートに出て

疲弊していたこともあり、

 

 

「私が

こんなにしんどい思いをして

学費を払っているのに、

 

何を甘ったれたこと

言っているんだ!」

 

というイライラと、

 

 

「それでもやっぱり、

心から楽しい中学生生活を

送ってもらいたい」

 

「しんどいなら一歩一歩、

自分のペースでいけばいいよ」

 

と娘のことを思う親心が

日替わりくらいで現れてきて、

 

とても不安定でした。

 

 

 

そんな中私は、

あるビジネス塾で

「安心安全ポジティブな場」

というものを知ります。

 

 

 

《つづきは明日へ》