今の歳になって、
良くも悪くも
コミュニケーションが私の課題だなー
と思ってて
でも、それは
私がコミュニケーションに
異様なくらい執着しているから
辛く感じるのであって。
吃音だからそこに拘るんだな、と
思ってたけど
どうやらそうでは無いらしい。
と気付いたのが割と最近。
元々そういう性質なのよね。
上手くやりたいのに
それを素直に表現できないし、
どちらかというと天然キャラではある。
……………
ここ何年かの悩みとして、
若い頃なら、人間関係で悩むのは当たり前で
年がいけば悟れるというか
大人な自分になれて
解決するもんだ、みたいな気持ちが
どこかにあったようにも思うけど、
現実として、
今の歳になっても人間関係の悩みは
全く無くなることはなく
むしろこの歳になって
年齢相応の立ち居振る舞いも出来ないのか、
と焦りや情けなさが募る一方。
最近思うのは、
年齢を重ねてエネルギーが落ちてきた結果
多少は丸くなるし
経験を重ねていろんな立場から物事を見られるようになった結果
気が長くなる面はあるけれど
人間の本質っていうのは
子供の頃とそうそう変わることは無いのかも。
……………
自分を認めるっていうのが
私のなかで今のテーマで、
自分を変えるのはとても難しいので、
だったら自分を肯定するしかないじゃん?
っていうのがコンセプト?なのですが、
(自分のことを)いいじゃん!と思えたと思ったら
すぐに奈落の底へ叩き落とされたかのような気持ちに簡単になる。
娘が、
私と違ってチャキチャキしているので
全く違う性格で羨ましいーと思っていたんだけど、
最近になって、すごくメンタル不安定で
パターンが私と一緒だ、ということに二人で気づいて。
私が育てたから、
こうなっちゃったんだなと思うと、
なんとなく申し訳ない。
本人の性質もあるとは思うけど、
母親としては、なんとも複雑。
きっともっと修羅場をくぐり抜けてきた
人から見れば
私の言ってる事なんて
甘ちゃん以外の何者でもないだろうけど
人の悩みなんて
他人から見ればチョーどうでもいいことでも
本人にとっては大きなことなんだよね。
内容は違えど。
今言った「修羅場」でさえ、
自分にとっては修羅場でも
他人から見ればそうでもなかったり
自分ではそんな大した事なくても
他人から見れば十分な修羅場だったり。
こういう風に
あーでもないこーでもない
って言ってる時間が
私にとっては、一番幸せな時間かもしれない。