Q.歌を作り始めたきっかけは?
テレビやラジオに出演するときにこんな事をよくインタビューされます。
たまに一緒にライブやった演者さんに打ち上げとかで聞かれる事もありますが。(打ち上げでそんなん聞いてくるとかめっちゃ真面目な人。笑)
メンドクサイので「本格的に作り出したのは中学生ぐらいからですねっ。」と気分だけヒムロックのつもりで答えます。笑
今日は真実を話しましょう。
A.はじめて歌を作ったのは小学3年生の時。いとこのねぇちゃんが「なおっくん!お互い歌作って勝負しよ!」と。
家も隣だったY子ねぇちゃん(仮名)は何かとこういう文系な事で勝負を挑んできました。
「川柳対決」や「自分の通り名対決」など。
自分の通り名対決は謎な対決でした。Y子ねぇちゃんの通り名の始まりは「由緒正しいお家柄!」だったことはいまだに忘れません。
そんなY子ねぇちゃんが「作詞作曲対決」で勝負を挑んできたのです。
作詞作曲と言うても一切楽器を使わない作詞作曲。とにかく歌を作れば良かったんです。
小学生が普通歌なんか作れるわけありませんよね。しかし「島原の怪童」と言われた井之上は違いました。(嘘ですよ。)小学生になったころから鼻歌で作曲が出来ていたんです。しかもかなりナイスなメロディーを。マジ島原の怪童!(嘘ですよ。)
もちろん楽器も弾けなかったのでメロディーをカセットテープに吹き込んだりして遊んでいた程度です。あのカセット今あったらめちゃくちゃ聞きたい。笑
そんな井之上がその時初めて経験したのが「歌詞を書く」という作業。
歌詞とかどうやって書いたらいいかわからんしそんな小学生が伝えたい事ありすぎたらどんなしがらみだらけな小学生なんだってなりますからね。笑
だからメロディーにハマるような感じで歌詞を作ったんだと思います。
そう。覚えてるんです。小学生3年生の時に作った歌を。メロディーも歌詞も完璧に。
今日はあれからずっと心に秘めていたその歌詞を
初公開いたします。
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北の街角 心譲るよ
そんな気持ちに なかなかなれず
顔を洗って出発だ
心がけの夜
赤い炎であたためて
心がけの夜
スープを吸って寝よう
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いや意味わかんねぇぇぇぇ。笑
ってかマジ書いてて恥ずかしくなりすぎてこのブログを全部消そうとまで考えましたよ。笑
「スープを吸って寝よう」とかなんなん?お前なんなん?西○カナ的なノリなん?なんなん?笑
これが井之上が初めて作った歌。タイトルだけ忘れました。多分「心がけの夜」でしょう。笑
中学生になってギター始めたぐらいからまともに歌詞作れるようになりましたね。
まあビジュアル系全盛期でしたから歌詞に若干、いやもろにラルク臭を感じますがね。笑
ただ「心がけの夜」はギターやり出してもコードを拾おうと思わなかったですね。
こんなに名曲なのに。
本当にみんなに聞かせたいです。「心がけの夜」。
重大発表!井之上惑星-inoueplanet-の次に発売するCDのボーナストラックに小学3年生の井之上少年が作詞作曲した「心がけの夜」が収録決定!笑
震えて待て!
ちなみにこんなにいい歌なのに「作詞作曲対決」は負けました。
Y子ねぇちゃんの独断と偏見はかなり自分に傾いてましたからね。笑
