MIYAVI(ミヤビ/1981年9月14日~)は、日本のロック・ミュージシャン、ギタリスト、俳優。

 

 

 

1981年9月14日、韓国籍から帰化した会社員の父と日本人の母のもとに、大阪府で生まれ、兵庫県の南東部に位置する川辺郡猪名川町で育つ。


小学2年の時、父が仕事の傍らコーチをしていた地元サッカーチームに入り、のめりこんだ。子ども時代は、音楽とは無縁のサッカー少年だった。

試合を組み立てるのが得意で、チームではキャプテンを務めた。

めきめきと頭角を現し、当然のように「プロのサッカー選手になる」ことが夢見るようになる。

中学生になると、Jリーグ・セレッソ大阪のユースチームに所属。大阪府選抜にも選ばれ、プロのサッカー選手になることが目標になる。

15歳の時、足を負傷したことが原因でチームを離脱、プロサッカー選手への道を断念した。

その後、人生の目標を失いグレたMIYAVIは、「悪さ」を行うのと同じ感覚で「バンドをやってみようか」と考え、音楽と出会いギターを始める。3コードでも作曲ができることを知り、そのまま学校に行かずギターを弾く生活を始め、最終的に高校を自主退学している。

影響を受けたギタリストとして、スティーヴィー・レイ・ヴォーン(Stevie Ray Vaughan/1954年10月3日-1990年8月27日)、ロバート・ジョンソン(Robert Leroy Johnson/1911年5月8日-1938年8月16日)、サン・ハウス(Son House/1902年3月21日–1988年10月19日)、B.B.キング(B. B. King/1925年9月16日-2015年5月14日)らの名を挙げている、ブルーズマンが多い。

 

17歳の時、恩人である先輩の死にショックを受け、そのまま上京する。

 

1999年6月、ライヴハウスでヴィジュアル系ロックバンド「Dué le quartz」(デュ―ル・クォーツ)のメンバーと出会い、そのまま一泊し、一晩で作曲を終えたことがきっかけとなり加入した。バンドでは「雅~みやび~」名義で、ギター、裏ボイス、コンポーザーを担当。バンドの大半の楽曲を作詞作曲し、サンプリング、プログラミングも手掛けた。

11月21日、ミニアルバム『未完成の“ジキル”と“ハイド”』を初回3000枚限定盤で、シリアル№入りスペシャルブックレット封入にて発売、“明鏡止水”等を収録。

 

 

2000年5月29日、完全限定5000枚でミニアルバム『自殺願望』を発売。

 

 

2001年5月、Dué le quartz初のワンマンツアー、全七ヶ所を実施。

6月、香港のライヴイベント「Rock on 2001」に出演し、初海外進出。

9月、香港にて初海外ツアー及び初海外ワンマンを催行。

 

 

2002年9月、SHIBUYA-AXでのライヴをもってDué le quartzが解散。

9月4日、 Dué le quartz初のベスト・アルバムが発売。

 

10月31日、ギタリスト、コンポーザーを経て、アルバム『雅楽-gagaku』を「雅-miyavi-」名義でインディーズ・レーベル「PS COMPANY」から発売し、ソロ活動を開始する。

11月30日、インディーズ1stシングル“死んでもBoogie-Woogie”と2ndシングル“POP is dead”を同時発売。

 

 

12月18日、インディーズ3rdシングル“ジングルベル (仮)”を発売、自身初のオリコン週間シングルチャート入りを40位で果たす。

 

 

2003年4月16日、インディーズ4thシングル“自分革命-2003-”を発売、オリコン30位。

 

6月25日、インディーズ5thシングル“タリラリタララ♪”を発売、オリコン42位。

 

9月3日、インディーズ6thシングル“Coo quack cluck -ク・ク・ル-”を発売、オリコン43位。

 

12月2日、インディーズ2ndアルバム『雅-galyuu-流』を発売、自身初のオリコン週間アルバムチャート入りを44位で果たす。

 

 

2004年6月23日、インディーズからは最後のリリースとなる7thシングル“あしタ、元気ニなぁレ。”を発売、オリコン22位。

 

10月20日、メジャーからの1stシングル“ロックの逆襲 -スーパースターの条件-/21世紀型行進曲”(ともに作詞・作曲・編曲:MYV)でユニバーサルミュージックよりメジャーデビュー。オリコン10位をマークした。

 

 

10月24日、自身初めてのメジャーデビューイベント黒服限定GIGを開催した。

 

 

2005年5月4日、2ndシングル“Freedom Fighters -アイスクリーム持った裸足の女神と、機関銃持った裸の王様-”を発売、オリコン10位。

 

6月1日、メジャー・リリースの1stアルバム『雅-miyavizm-主義』を発売、オリコン10位。

 

影響を受けた日本のアーティスト(ギタリスト)としては布袋寅泰、hide、高中正義の3人の名前を挙げている、特にhideに対しての思い入れは強く、ソロデビューした際、MIYAVIの周りを固めていたのはかつてhideをプロデュースしていたスタッフたちであり、その時にhideの生き様や音楽に対して真剣に向き合うひたむきさ、ロックスターとしての立ち振る舞い方など、様々なことを学ばせて貰ったと語っている。

10月12日、3rdシングル“結婚式の唄〜季節はずれのウエディングマーチ〜/Are you ready to ROCK?”を発売、オリコン6位。

 

 


2006年1月18日、4thシングル“セニョールセニョーラセニョリータ/Gigpigブギ”を発売、オリコン10位。

 

 

4月12日、5thシングル“Dear my friend/愛しい人”を発売、オリコン6位。

 

 

7月5日、6thシングル“君に願いを”を発売後、単身渡米し、ロサンゼルスにて3ヶ月間留学。

 

8月2日、2ndアルバム『MYV☆POPS』を発売、オリコン15位。

9月13日、3rdアルバム『雅-みやびうた-歌 〜独奏〜』を発売、オリコン25位。

その後、留学を終え、日本に帰国。

 

 

2007年5月25日、X JAPANのYOSHIKIから「このバンドを自身の人生にとって最後のバンドにしたい」と誘われ、YOSHIKIが新たに立ち上げた新ユニット「S.K.I.N.」にギタリストとして加入。ラインナップは、YOSHIKI(Ds,Pf)、GACKT(Vo,Pf)、SUGIZO(G,Vn)、MIYAVI(G,三味線)、サポートメンバーとしてJu-ken(B)。

6月20日、7thシングル“咲き誇る華の様に/歌舞伎男子”で活動を再開。シングルはオリコン12位を記録した。

 

 

6月29日、S.K.I.N.が、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロングビーチにて開催された「ANIME EXPO AX2007」にて最初で最後となる公の場で生演奏を行う。これ以降、スケジュール調整が困難なことに加え、X JAPANやLUNA SEAの復活という事情も重なり、 バンドとして表立った活動は行われていないが、MIYAVIとYOSHIKIやSUGIZOとの交流は続き、後のスーパー・バンドの結成にもつながっていく。

 

11月14日、8thシングル“素晴らしきかな、この世界 -WHAT A WONDERFUL WORLD-”を発売、オリコン13位。

 

同年、セッションバンド「KAVKI BOIZ」を新たに結成、ラップ、タップ、和太鼓やボディペイントなど様々なジャンルのパフォーマーと共演。

 

 

2008年1月16日、9thシングル“陽の光さえ届かないこの場所で feat. SUGIZO”を発売、オリコン10位。

 

3月19日、4thアルバム『雅-THIS IZ THE JAPANESE KABUKI ROCK-』を発売、オリコン25位。



2009年3月14日、アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル生まれの日系アメリカ人で元歌手であるMelody.(メロディー/1982年2月24日-)と結婚する。
同年7月29日、第1子女児が誕生。



2010年、所属レーベルをEMIミュージック・ジャパン(EMI Music Japan)に移籍することと、アーティスト表記を「雅-MIYAVI-」に改めることを併せて発表。

3月10日、配信限定シングル“Survive”をリリース。

 

9月15日、移籍第一弾となる10thシングル“TORTURE”(作詞・作曲・編曲:雅-MIYAVI-)を発売、オリコン26位。

 

10月13日、5thアルバム『WHAT'S MY NAME?』を発売、オリコン26位。

10月21日、第2子女児が誕生。


2011年2月2日、11thシングル“WHAT'S MY NAME? e.p.”を発売、オリコン57位。

 

10月より、トータル・プロデューサーに亀田誠治を迎え、ジャンルの異なるアーティストたちとセッションするプロジェクト「SAMURAI SESSIONS」を始動。

10月5日、12thシングル“STRONG”を発売、オリコン22位。

 

 

2012年7月11日、13thシングル“Day 1”を発売、オリコン44位。

 

10月30日、配信限定シングル“Ganryu / MIYAVI vs HIFANA”をリリース。

 

10月31日、配信限定シングル“SILENT ANGER / MIYAVI vs TAKESHI HOSOMI”をリリース。

 

11月14日、様々なアーティストと「対戦」するコラボレーション・アルバム『SAMURAI SESSIONS vol.1』をリリース。オリコン21位。

11月28日、配信限定シングル“The Best 3”をリリース。

 

 

2013年2月20日、14thシングル“Ahead Of The Light”を発売、オリコン21位。

 

6月19日、7thアルバム『MIYAVI』を発売、オリコン8位。

 


2014年9月10日、15thシングル“Real?”を発売、オリコン23位。

 

12月10日、配信限定シングル“Let Go”を、Virgin Music/Universal Musicからリリース。

 

12月25日に公開(日本では2016年2月公開)され、アンジェリーナ・ジョリー(Angelina Jolie/1975年6月4日-)が監督と製作を務めたアメリカ映画『不屈の男 アンブロークン』(Unbroken)で、「ワタナベ伍長」(渡邊睦裕)役を演じ、俳優として世界デビュー。元々はYouTube等を通してMIYAVIのギタープレイを前々から鑑賞していたアンジーがMIYAVIの大ファンであったことがきっかけでキャスティングされた。その後、アンジェリーナ・ジョリー、ブラッド・ピット夫妻とは家族ぐるみの付き合いがある。また、この縁から、アンジーが特別大使を務めているUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)にも参加し、世界の難民の支援活動なども行っている。

 

 

2015年4月15日、8thアルバム『The Others』を発売、オリコン10位。

 

7月8日、配信限定シングル“Mission: Impossible Theme”をリリース。

 

 

2016年4月29日、配信限定シングル“Afraid To Be Cool / Raise Me Up”をリリース。

 

 

8月31日、9thアルバム『Fire Bird』を発売、オリコン11位。

 


2017年3月、「誰かをコピーしてもしゃあないと思ってたから、ガチでコピーとかしたことないです」「世界にはクラプトンもジミヘンもB.B.キングも、もういるわけですよ。だから俺がやる必要なくて」と当時のインタビューで語っている。

11月8日、様々なアーティストとのコラボレーション企画第二弾として10thアルバム『SAMURAI SESSIONS vol.2』を発売、オリコン11位。

 

11月20日、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の日本人初となる親善大使に任命される。

 

 

2018年3月14日、配信限定シングル“Long Nights (World Mix) [feat. Sonita]”をリリース。

 

4月25日、配信限定シングル“So On It (feat. Seann Bowe & Meron Ryan)”をリリース。

 

7月25日、配信限定シングル“Get Into My Heart / MIYAVI vs シシド・カフカ”をリリース。

 

12月5日、コラボレーション企画第三弾の11thアルバム『SAMURAI SESSIONS vol.3-Worlds Collide-』を発売、オリコン32位。



2019年7月3日、配信限定シングル“千客万来 / DAOKO×MIYAVI”をリリース。

 

7月24日、12thアルバム『NO SLEEP TILL TOKYO』を発売、オリコン17位。

12月18日、芸能事務所LDH JAPANに2020年1月から正式に移籍することを発表。


2020年1月22日、中島美嘉が「Marie starring MIKA NAKASHIMA」名義で発売した45枚目のシングル“イノサン Rouge”の表題曲を共同で作・編曲(作詞:坂本眞一/作・編曲:MIYAVI・Lenard Skolnik・Seann Bowe)、カップリングの“無垢なるもの”を単独で作曲(作詞:横内謙介・宮本亜門/作曲:MIYAVI/編曲:河野伸)し、またサウンド・プロデュースを担当、オリコン43位を記録した。本作は、中島が自身初の舞台での主演を務めた『イノサンmusical』の主題歌として制作された楽曲で、「Marie」は中島の役名。

 

4月22日、13thアルバム『Holy Nights』を発売、オリコン11位。

 

6月16日、イタリアのファッションブランド「GUCCI」がグローバルに展開する「Gucci Off the Grid collection」の広告キャンペーンに起用。キャンペーンムービーが公開された。日本人ミュージシャンがグローバルキャンペーンに抜擢されたのは「グッチ」1921年の創設以降、およそ100年の歴史の中で初めてである。

9月4日、配信限定シングル“Holy Nights (Lockdown 2020)”をリリース。

 

9月14日、配信限定シングル“Over The Rainbow”をリリース。

 

 

2021年2月24日、第3子男児が誕生。

9月15日、14thアルバム『Imaginary』を発売、オリコン25位。


2022年3月23日、16thシングル“Strike It Out”を発売、オリコン59位。

 

5月11日、配信限定シングル“Beyond META / 花譜&MIYAVI”を、KAMITSUBAKI RECORDからリリース。

 

6月17日、配信限定シングル“Futurism”を、Purple One Starからリリース。

 

7月20日、レギュラー選手の年俸総額が600億円を超え、シン・銀河系軍団とも称されるフランスのプロサッカー1部リーグ「リーグ・アン」(Ligue 1)所属の「パリ・サンジェルマンFC」が約27年ぶりに来日し、日本のJリーグチームとプレシーズンマッチを行う、その最初の相手である川崎フロンターレとの試合のオープニングセレモニーでMIYAVIがギターによるパフォーマンスを国立競技場で披露した。
8月9日、WOWOWで放送される欧州サッカーのテーマソングをMIYAVIが担当することが発表された。前月のパリ・サンジェルマンFCの試合でのギターパフォーマンスが好評だったのと、プロギタリストになる前の少年時代にセレッソ大阪のユース選手だった実績を買われての抜擢である。
11月11日、YOSHIKI(Ds,Pf)、HYDE(Vo)、SUGIZO(G,Vn)とMIYAVI(G)の4人で、スーパー・グループ「THE LAST ROCKSTARS」を結成したことを発表。

11月18日、配信限定シングル“Ring Em Up”を、Golden State Entertainmentからリリース。

 

12月23日、THE LAST ROCKSTARSがセルフ・タイトルの1stデジタル・シングル“THE LAST ROCKSTARS (PARIS MIX)”を全世界同時に配信。

 

12月31日、『第73回NHK紅白歌合戦』にTHE LAST ROCKSTARSが特別企画で初出場し、テレビで初パフォーマンスを披露した。

 

 

2023年5月11日、配信限定シングル“RAYS / NOILION×MIYAVI”を、Lantisからリリース。

 

8月3日、THE LAST ROCKSTARSの2ndデジタル・シングル“PSYCHO LOVE”(作詞:

YOSHIKI/作曲:HYDE)をリリース。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「MIYAVI」「 Dué le quartz」「THE LAST ROCKSTARS」

 

 

 

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