蓑輪単志(みのわ ひとし/1959年12月17日~)は、日本のミュージシャン、作曲家。HOUND DOGの元キーボーディスト、現在はJUNGAPOP、鼓単のメンバー。

 

 

 

1959年、蓑輪単志は宮城県石巻市に生まれる。

 

1977年、東北学院大学学園祭に出演した大友康平のステージを観て衝撃を受け、同大への入学を決意。

 

1978年、東北学院大学経済学部に進学・後に卒業。

同年、同大の音楽サークルに入り、HOUND DOGにキーボード担当として加入。八島順一(やしま じゅんいち/1956年2月19日-/G)や海藤節生(B)、佐藤証(Ds)も同年に加入した。

 

その後、佐藤がプロになる前に脱退するなど一部メンバーが入れ替わった。

 

 

1980年3月21日、1stシングル“嵐の金曜日”を発売し、HOUND DOGの一員としてプロデビュー。デビュー時のラインナップは、大友康平(Vo)・高橋良秀(G)・八島順一(G)・蓑輪単志(Key)・海藤節生(B)・藤村一清(Ds)。

 

 

1981年からはロックンロールオリンピックを仙台市近郊で開催し、日本の野外ロック・フェスティバルの先駆けの1つとなった。

 

 

1982年1月15日、5thシングル“浮気な、パレット・キャット”(作詞・曲:相沢行夫・木原敏雄[NOBODY]/編曲:後藤次利)を発売、カネボウ「'82春のキャンペーン」CMソング、およびヤマハ発動機「ポップギャル」CMソングとして、ロックバンドのNOBODYが初めて楽曲を提供した作品。HOUND DOGの初のヒット作であり、13万枚を超えるセールスを記録した。オリコン19位。

 

9月1日、6thシングル“涙のBirthday”(作詞:八島順一)を発売、これ以降、八島による曲作り、特に作曲のケースが増える。

 

 

1983年、所属事務所を「マザーエンタープライズ」に移籍、マザーエンタープライズには大友のみが取締役として加入、他のメンバーは「バックミュージシャン」の扱いで、いつでも契約解除出来る状態であった。

ヒット曲が全くない中で1万人を集めた初の日本武道館ライヴを成功させた。

アルバムレコーディング中に海藤が脱退、ツイストの鮫島秀樹がサポートメンバーとして参加。後に高橋・藤村も脱退する。大友は藤村に対しクビにはするが、楽曲は引き続き提供するよう指示したが、藤村はこれを拒否した。

その後、サポートメンバーを経て正式メンバーとなった鮫島と、蓑輪・鮫島の推薦による西山毅、八島の推薦による橋本がサポートメンバーとして加入する(後に正式メンバーとなる)。橋本はオーディションが行われたが、西山は大友含め事務所関係者が西山の演奏を一度も聴かないまま加入決定した。なお、鮫島は大阪時代からの橋本の素行不良を熟知しており、橋本加入に猛反対した。

 

 

1984年3月5日、8thシングル“Please Please Please”(作詞:HOUND DOG/作曲:八島順一)を発売。シングルで初めてバンドが作詞者としてクレジットされた。

 

 

1985年7月1日、10thシングル“Knock Me Tonight/Bad Boy Blues”を発売、“Bad Boy Blues”で初めて箕輪がシングル曲の作曲を担当した。オリコン71位。

8月10日、「TYPHOON PARTY TOUR 1985」の一つとして西武球場でライヴを開催。メンバーチェンジ後の再出発ライヴであったが、台風が接近。大雨の中客入りは1万数千ほど、終始楽器やPAに不具合が発生する中、ライブ終盤、「ラスト・ヒーロー」を演奏中に演出用の特効花火が突如暴発し、その火花が瞼を掠めた大友がステージ上で倒れた。スタッフにより大友が舞台袖に抱えて運ばれると客席は騒然となり、ステージ上のメンバーも動揺した。しかし演奏は止まらず、鮫島が客席に背を向け、メンバーと顔を合わせて最後まで演奏、パニックに陥るのを防いだ。大友は舞台裏で応急手当を受け、すぐにステージに復帰。アンコールの際、感極まった大友が「来年もここでやるぞ!」と発言したことから、1986年8月10日「誓いの日」として同じく、西武球場でライヴを行なった。快晴に恵まれ、前年と違い満員の観客が球場を埋め尽くした。

8月25日、箕輪が作曲編曲した10thシングル“ff(フォルティシモ)”(作詞:松尾由紀夫)を発売、日清食品「カップ・ヌードル」キャンペーン・イメージソング。オリコン11位のヒットになる。7thアルバム『Spirits!』を同時発売。

 

 

 

1986年8月27日、12thシングル“ROCKS”(作詞:松尾由紀夫/作・編曲:蓑輪単志)を発売、オリコン13位。2002年にテレビ東京系アニメ『NARUTO -ナルト-』の初代OPテーマに使用されたのを受け、タイトルを“R★O★C★K★S”に変更、カップリングを“ff (フォルティシモ)”に替え、38thシングルとして同年11月20日にソニー・ミュージックハウス(現:ソニー・ミュージックダイレクト)からMaxiシングルで再リリース。再販時のチャート動向はオリコン84位。

 

12月21日、8thオリジナル・アルバム『LOVE』をリリース。オリコン3位。箕輪は9曲中5曲を作曲、全曲を編曲した。

 

 

1987年6月21日、13thシングル“DIAMOND EYES”(作詞:松尾由起夫/作曲:蓑輪単志)を発売、オリコン46位。

 

9月1日、14thシングル“SCRAP DREAM”(作詞:松井五郎/作曲:蓑輪単志)を、移籍したレーベルMOTHER&CHILDRENから発売、オリコン4位。

 

1987年12月10日、9thオリジナル・アルバム『BE QUIET』を発売、オリコン3位。

 

 

1988年4月1日、15thシングル“AMBITIOUS”(作詞:松井五郎/作曲:蓑輪単志)を発売、オリコン5位。

 

10月1日、16thシングル“ONLY LOVE/Destiny”を発売、箕輪は“ONLY LOVE”(作詞:松井五郎)の作曲を手掛けた。オリコン3位。

 

 

1989年1月11日、10thアルバム『GOLD』を発売、オリコン1位。

 

1月29日~2月19日、日本武道館史上最多の15日連続ライヴを決行。この記録は、2021年現在も破られていない。

6月1日、19thシングル“大地の子供たち/KISSで極楽(パラダイス)”を発売、箕輪はKISSで極楽(パラダイス)の作曲と大友との共同作詞を手掛けた。オリコン6位。

 

 

1990年1月1日、11thアルバム『VOICE』をリリース、オリコン1位。

 

同年、所属事務所が製作したドキュメンタリー映画『ベンポスタ子ども共和国』の音楽監督を箕輪が担当。

12月21日、22ndシングル“GLORY”(作詞:大友康平・松井五郎/作曲:蓑輪単志)を発売、オリコン17位。

 

 

1991年1月25日、12thオリジナル・アルバム『BACK TO ROCK』を発売、オリコン3位。

 

4月25日、23rdシングル“FLY”(作詞:大友康平・松井五郎/作曲:蓑輪単志)を発売、オリコン37位。

 

 

1992年2月9日、24thシングル“BRIDGE〜あの橋をわたるとき〜”(作詞:大友康平・松井五郎/作曲:蓑輪単志・後藤次利/編曲:後藤次利)を発売、「'92 アサヒスーパードライ」CMソング。オリコンシングルチャートでは初登場こそ20位だったが、当時人気俳優だった加勢大周のCM出演がきっかけで2週目は一気に3位にまで上昇、最高位2位を記録し、最大のヒットシングルとなった。

 

2月22日、13thアルバム『BRIDGE』をリリース、オリコン1位。

 

6月27日、ベスト・アルバム『FAVORITE THINGS 〜HOUND DOG BEST 1987-1992〜』をリリース、オリコン5位。

 

 

1993年2月27日、25thシングル“日はまた昇る〜THE SUN ALSO RISES〜”(作詞:大友康平・松井五郎/作曲:蓑輪単志/編曲:後藤次利)を発売、オリコン11位。

 

3月25日、26thシングル“JEALOUSY”(作詞:大友康平/作曲:蓑輪単志・後藤次利)を発売、オリコン17位。

 

4月24日、14thアルバム『RIVER』を発売、オリコン3位。

 

 

1994年7月25日、27thシングル“POWER OF LOVE”(作詞:大友康平・松井五郎/作曲:蓑輪単志)を発売、オリコン18位。

 

10月10日、28thシングル“ROCK ME”(作詞:大友康平/作曲:蓑輪単志)を発売、オリコン14位。

 

 

1996年10月1日、32ndシングル“ACROSS THE RAINBOW〜虹の彼方へ〜”(作詞:大友康平/作曲:蓑輪単志)を、移籍した日本コロムビアから発売、オリコン47位。

 

 

1998年7月29日、17thアルバム『BABY UNIVERSE』を発売、オリコン17位。

 

 

2001年6月、箕輪はソロ・アルバム『Mt.Fuji』をMATRIX RECORDSからリリース。

 

 

 

2002年、JUNGAPOPに加入。ラインナップは、坂口良治 (Ds)、尾上一平(Vo)、高橋"Jr."知治 (B,Herp)、蓑輪単志 (Key)、是永巧一 (G)。HOUND DOGと並行して活動を続ける。

 

12月7日、40thシングル“POPCORN”(作詞:村野直球/作曲:蓑輪単志)を発売、オリコン74位。19thアルバム『Big Dipper』を同時発売。

 

 

2004年4月21日、42ndシングル“たったひとつの愛のうた”(作詞:大友康平・Frank Fu/作曲:八島順一・蓑輪単志・Frank Fu)を発売。

 

 

2005年3月30日、箕輪が作詞も手掛けた43rdシングル“SONGS”(作詞・曲:蓑輪単志)を発売、電気事業連合会 CMソング。オリコン44位。

4月20日、44thシングル“アカペラ”(作詞:K.Otomo/作曲・曲:蓑輪単志)を発売、6人体制で最後のシングルとなった。NHKドラマ『愛と友情のブギウギ』主題歌。オリコン67位。

 

同年夏、バンドのデビュー25周年となるこの年、大友康平の個人事務所(イエホック)設立に伴いHOUND DOG解散説がささやかれる中、鮫島脱退という噂がインターネット上で流れた。鮫島はTHE SONS公式サイトのBBSでこれを否定したが、その後、イエホックは鮫島と蓑輪単志の脱退を発表。二人がイエホックへの移籍に難色を示していたのが理由といわれている。鮫島は「脱退はしていない」、「HOUND DOGの鮫島です」などの発言を繰り返してバンド離脱は自らの意志ではないことを示唆。

そして鮫島と蓑輪は、大友・八島・橋本・西山に対して、民事訴訟を起こした。HOUND DOGは6人の演奏活動により成り立っていると主張、「HOUND DOG」の名称の使用権がメンバー6人にあること、2人をバンドに復帰させること、大友独立の巻き添えで前事務所との契約が白紙になったことに対する金銭補償を求めた。ロックバンドの活動方針はリーダーの一存で決められるのかどうかが問題の焦点となった。

 

 

2006年9月1日、箕輪と鮫島が起こした先の訴訟において、八島・橋本・西山の3人については和解が成立。だが、その後、八島ら3人も大友に解雇される。

 

 

2007年、「川嶋あいWith SUPER BAND」に参加。

 

 

2008年、北島良人 (Vo)とユニット「鼓単」を結成、鼓単名義で「TOYA~心の旅路」を発表。

 

 

みちのく(東北地方)を拠点とする「M's Japan Orchestra」というみちのく邦楽オーケストラの公演にピアノ、キーボード奏者としてゲスト参加をしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「蓑輪単志」「HOUND DOG」

※最終更新[2012-03-04 22:47:33]

 

 

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