HARRY(ハリー/本名:村越 弘明/別名:村越 “HARRY” 弘明/1959年1月26日~)は、日本のミュージシャン、ヴォーカリスト、ギタリスト。元THE STREET SLIDERSのメンバー。

 

 

 

1959年1月26日、村越弘明が生まれる。東京都出身。

 

小学生の時、地元の小学校で土屋公平、鈴木将雄と出会う。

 

中学生の時、土屋、鈴木と友達になる。

 

1974年、村越が高校1年生の時、市川洋二と同じクラスで出会う。

1978年、村越は市川とは別のバンドで活動していたが、ある時、市川が所属していたバンドに欠員が出たため、村越がギターとして加入した。
 

 

1979年11月、府中市民アマチュアバンド・フェスティバルで土屋と鈴木は客に酒をぶっかけて暴れ回る村越のステージに出会う。

その後、大学のキャンパス・コンサートの楽屋で知人に村越を紹介される。
12月24日、土屋が雇われマスターを務めるロック喫茶メロウハウスに村越と市川が顔を出すようになり、自分達のバンドに土屋と鈴木を誘う。
 

 

1980年2・3月、スタジオのセッションに土屋と鈴木が呼ばれる形で「The Street Sliders」(ザ・ストリート・スライダーズ/以下「スライダーズ」)が結成。地元の楽器店や小さなライヴハウスの出演から始める。ラインナップは、HARRYこと村越弘明(1959年1月26日-/Vo,G)、蘭丸[らんまる]こと土屋公平(1960年10月4日-/G,Vo)、JAMESこと市川洋二(1959年3月11日-/B,Vo)、ZUZUこと鈴木将雄(1960年12月4日-/Ds)。
5、6曲持ち歌ができた頃、地元の知人の紹介で、福生「UZU」、高円寺「レッド・クロス」、吉祥寺「シルバー・エレファント」等の小さなライヴハウスにも出始める。

 

 

1981年8月、「新星堂 ロック・イン・コンテスト」にスライダーズが出場。グランプリを獲得し、多くのレコード会社から契約の打診を受ける。
10月、SDオーディション(CBS・ソニーオーディション)にてスライダーズが東京地区最優秀グループ賞を受賞。
ソニーのSD部担当者がカセットテープに録音した新星堂のオーディションの模様をSDオーディションに出しており、それがEPIC・ソニー企画制作部チーフ・プロデューサー(当時)目黒育郎の目にとまる。
 

 

1982年春、福生の米軍キャンプで「リトル・ストーンズ」と呼ばれ、人気を博す。

12月、曽根中生監督が設立したフィルムワーカーズの第一弾映画『BLOW THE NIGHT 夜をぶっ飛ばせ』の主題歌“BLOW THE NIGHT!”と音楽をスライダーズが担当。映画冒頭のライヴシーンを収録するため、ライヴハウス新宿ACBにてスペシャル・ライヴを行う。

 

 

1983年3月、映画『BLOW THE NIGHT 夜をぶっ飛ばせ』が公開。

3月5日、EPIC・ソニーより、1stアルバム『SLIDER JOINT』、1stシングル“BLOW THE NIGHT!/のら犬にさえなれない”(ともに作詞・曲:村越弘明/編曲:THE STREET SLIDERS)でデビュー。福生UZUにてデビュー記念ライヴを行う。

 

 

 

 

デビュー後、4人はハイエースに乗って北海道から九州までの全国ツアーに出る。
12月1日、2ndアルバム『がんじがらめ』をリリース。

 

 

1984年2月、初めての海外で3週間ほどロンドンへ渡英。ローリング・ストーンズのツアー・カメラマンMichael Halsband(マイケル・ハルスバンド)とのフォト・セッションが目的。

11月1日、2ndシングル“カメレオン”(作詞・曲:Hiro Murakoshi/編曲:THE STREET SLIDERS)をリリース。

 

11月11日、3rdアルバム『JAG OUT』をEPIC・ソニーよりリリース。本アルバムから「Joy-Pops」名義による作詞、作曲が始まる。

 

 

1985年、一部業界人によって大人ファンクラブ「FOOL TO CRY(愚か者の涙)」が結成される。
5月、ホールや会館を中心にした本格的なライヴ・ツアー『GIG'85』を開催。

7月1日、3rdシングル“New Dance”(作詞・曲:Hiro Murakoshi/編曲:THE STREET SLIDERS)を発売。

 

7月21日、4thアルバム『夢遊病』リリース。

この頃、ロンドンでのレコーディング。セカンド・アルバムから本作まではセルフ・プロデュースにより制作。レコーディング・ミキサーを担当したウォルター・サミュエルの要望で、一発録りでレコーディングされた過去3枚のアルバムと異なり、一つひとつのパートを個別に録音するダビング方式が採られた。
9月14日、東京都・日比谷野外音楽堂での初ライヴとなる『SLIDERS GIG'85 at 野音』を開催。
11月21日、4thシングル“Angel Duster”(作詞・曲:Hiro Murakoshi/編曲:THE STREET SLIDERS)を7インチで発売。デビュー以来スライダーズのメンバーはシングル盤を出すことに積極的ではなかった。しかし前作のアルバム発売後に“Angel Duster”が生まれた時、村越は「ロックとして勝負できる曲ができた」と確信し、同曲を新しいシングルのA面にしたいと考えたという。

 

佐久間正英は、今度はベルリン出身のドイツ人で若きエンジニアのマイケル・ツィマリングを伴って、“Angel Duster”12インチ・シングル録音の為、再びSONYのスタジオにやって来る。

 

 

1986年1月22日、5thシングル“Angel Duster”を12インチ・シングルにて発売。
5月24日、日比谷野音での2度目のライヴを開催。
6月21日、6thシングル“Back to Back”12インチ・シングル発売。ギター土屋の好きなファンクの要素が取り入れられる。

 

佐久間のリミックスと映像ディレクターの佐藤輝に依頼したプロモーション・ビデオのインパクト、もとより楽曲の確かさが功を奏してテレビの地上波や深夜の音楽番組で話題となり、ストリート・スライダーズの認知度は上がっていく。
8月5日、新宿・都有3号地にて『摩天楼のダンス天国』開催。オープニング・ナンバーは“すれちがい”。後に映像ディレクター佐藤輝にてビデオ・DVDで商品化された。

 

11月1日、7thシングル“Special Women”を発売。

 

11月21日、5thアルバム『天使たち』発売。

 

 

1987年1月30日、初めての日本武道館公演「HEAVEN AND HELL(天国と地獄)」を開催。オープニング・アクトはRED WARRIORSが務めた。

3月21日に、この武道館公演の模様を収めたバンド初のライヴ・アルバム『THE LIVE! 〜HEAVEN AND HELL〜』をリリース。
4月3日、宝島ファン・クラブ会員1万人達成記念イベントとしてロックン・ロールのカヴァー曲を集めたライヴ「Slippin' And Slidin'」を芝浦インクスティックで行う。
この頃のスライダーズはバンドとして大きな局面にあり、中堅のバンドというイメージから日本の音楽シーンにおいて確たる存在感を示し始める。
8月22・23日、熊本県の県営野外劇場アスペクタで行われた12時間オールナイト野外ライヴ「BEAT CHILD」に出演。激しい風雨の中、スライダーズは深夜に登場した。
9月、ドラムスの鈴木が交通事故で入院。アルバム・リリースに合わせて予定されていた全国50カ所ツアー全公演がキャンセルとなり、バンドは半年程の休止状態に入る。休止期間中、村越と土屋の二人はアコースティック・ユニット「JOY-POPS」始動。さらに土屋は「甲斐よしひろ&プロジェクトK」にも参加。

10月1日、7thアルバム『BAD INFLUENCE』リリース。アルバム『天使たち』後、バンドはソウルフルでリズム&ブルーズ色の強いサウンドに自らシフトしていった時期になる。オリコン・チャート初登場3位を記録し、売上という意味ではメジャー・デビュー以降、最も成功したアルバムである。

 


10月、村越が“風が強い日”のPV撮影のため、単身バリ島へ飛ぶ。

 

 

1988年1月21日、前年発売のアルバム『BAD INFLUENCE』からのリカットシングル“Baby, 途方に暮れてるのさ”を発売。レゲエのリズムを主体とした曲が日本でシングルとして発売されるのは、当時稀有なことであった。

 

2月、ベスト・アルバム用リミックス作業の為、村越と土屋がニューヨークへ飛ぶ。
4月10日、NHK『MUSIC WAVE SPECIAL』(東京・汐溜PIT)収録にてバンドの活動を再開。
4月25日、『復活!ROCK'N' ROLL DEF' TOUR』より本格的に活動を再開。富山を皮切りに全国60カ所のツアーを実施。
6月15日、『夜のヒットスタジオ』初出演。ファン代表として俳優伊武雅刀の電話コメントが紹介され、別スタジオにて“Boys Jump The Midnight”を生演奏した。

 

6月22日、バンド初のベスト・アルバム『REPLAYS』発売。
8月、『ROCK'N' ROLL DEF' SPECIAL』を福岡、名古屋、大阪、東京で開催。東京は日本武道館2日間連続公演。
9月15日、次のアルバム・レコーディングに入る。レコーディング終了後、メンバー全員でインドへ。

9月21日、14thシングル“ありったけのコイン”を発売、オリコン34位。

 

 

1989年1月21日、9thアルバム『SCREW DRIVER』発売。再び自分達でプロデュースを手掛け、国内でレコーディングを行うようになる。

 

『SCREW DRIVER』リリース以降、ルーティンでのアルバム・リリースよりもライブ・ツアーでの活動を優先するようになる。結果、毎年1枚のペースで発表していたアルバム・リリースの間隔がこの頃から少しずつ伸び始める。
9月〜、メンバー各人、充電期間に入る。その間、村越と土屋はJOY-POPS初のスタジオ・レコーディングを行う。その後土屋は単身インド旅行へ。市川は2か月ほどロンドンへ。鈴木のみ詳細不明。
12月9日、16thシングル『ROUTE S・S』発売。スライダーズのロックと、JOY-POPSのブルージーなアコースティック・サウンド、土屋のソロという異なるテイストの3作を缶ケースに納めた企画物CDシングルBOXであった。JOY-POPSは、1stシングル“GET OUT OF MY MIND”と“EMPTY HEART”収録。

 

 

1990年2~5月、『ROUTE S・S TOUR』開催。このツアー中、「子供の日」と「大人の日」の2日間に分けたライヴを名古屋、大阪、東京・日本武道館、福岡にて開催。
6月2・3日、東京・日比谷野外音楽堂で3度目のワンマン・ライブ『Get Wet When It Rains』開催。初日はFC会員限定。

アルバム『天使たち』から『BAD INFLUENCE』にかけて、スライダーズの曲やアレンジに黒っぽさ(ブラック・ミュージック)が加わってくる。『BAD INFLUENCE』のレコーディングでは「…メンバーが昔から聴いているレゲエやその他溜まっていたものが欲求として出てきたので、バンドとしても新陳代謝があっても良いのではないかと思った」と村越がインタビューで答えている。
前年の『ROUTE S・S TOUR』や日比谷の野音のあたりから「…ZUZUとジェームスのリズム・セクションを中心にバンドのサウンドに新しい感触を感じていた」と話す4人のインタビューが残されている。

10月21日、17thシングル“COME OUT ON THE RUN”を発売、オリコン48位。
12月21日、10thアルバム『NASTY CHILDREN』発売。共同プロデューサーに今井裕が名を連ねており、アルバムの半分はロンドン・レコーディング。曲のクレジットは全編JOY-POPS。オリコン12位をマークした。

 

 

12月21日、メジャー通算8枚目のアルバム『NASTY CHILDREN』を発表。アルバム全ての作詞、作曲がJoy-Pops 。

 

8thの『BAD INFLUENCE』と10thの『NASTY CHILDREN』では、レゲエへの関心が強かった鈴木と土屋の影響もあり、スタジオで音出しする中、アレンジで自然に取り入れられていくようになる。ブルーズやロックン・ロールが中心だったスライダーズのレパートリーに以降、レゲエの要素が加わっていく。

 

 

1991年1月6日、日本武道館他、5カ所にて『BIG BEAT, DANCE SPECIAL'91』開催。このツアーで「バンドがステップ・アップした分、個人として新たなテーマができた」「今回リズムの部分で新たな面が出せたのはよかった」「有意義な旅だった」と語るメンバーのコメントが出されている。
2月、ツアー終了後、「冬眠」(無期限活動休止)を発表する。
土屋がほぼ同時期に活動休止したRCサクセションの仲井戸麗市とユニット麗蘭を結成。4月10日新潟から初のツアーをスタートさせる。
 


1992年3月1日、バンドが活動休止の間、未CD化だった12インチシングルをCD化した11thアルバム『RARE TRACKS』発売。

 

 

1993年3月5・6日、デビュー10周年に当たるこの年、無期限の活動休止から約2年を経て日本武道館にて『Live‘93 沈黙の答え』を地区限定で行う。ライヴ終了後、バンドは再び活動を休止する。
 

 

1994年4月1日、1991年の活動休止から約3年経過の春、全国30カ所にて「TOUR 不滅」を開催。
秋、4年ぶりにメンバーでスタジオに入り、次作アルバムの録音開始。
活動再開から解散まで
 

 

1995年3月24日、18thシングル“FEEL SO SAD”を発売、オリコン53位。

 

4月21日、12thアルバム『WRECKAGE』発売。バンドの活動休止から4年4カ月ぶりとなるアルバムは、それまでのアルバムの流れを断ち切り、4人の今の新しいフィーリングを表す再出発的な一枚となっている。ロックン・ロールがメインだったJoy-Popsの作風にブルーズの色合いが強くなる。オリコン12位。

 

8月2日、19thシングル“WAVE'95”を発売、セールス0.2万枚、オリコン最高96位、 1995年度 年間940位。

 

10月1日、ライヴ・アルバム『GET THE GEAR!』発売。

 

 

1996年9月21日、20thシングル“On The Road Again”を発売、オリコン68位。

 

11月21日、14thアルバム『NO BIG DEAL』発売。スライダーズのオリジナル・スタジオ・アルバムとしては本作が最後となる。オリコン31位。

 

 

1998年4月1日、ベスト・アルバム『HOT MENU BEST OF THE STREET SLIDERS』を発売。
 

 

2000年3月5日、結成20周年のこの日から毎月5日、新宿LIQUIDROOMにて4カ月連続のマンスリー・ライヴ「THE LATE SHOW」を、「Twilight Stage」、「Night Stage」の1日2ステージ構成で開催。
10月29日、日本武道館での「LAST LIVE」を最後にスライダーズが解散。17年間のメジャー活動の中で、23枚のシングル盤と15枚のアルバムをリリースし、全国で計689回のライヴを行った。

 

 

2003年2月15日、1stソロ・アルバム『Bottle Up and Go』を発表。

 

 

エピックレコードジャパン25周年記念イベント「LIVE EPIC 25」に出演。ソロとしてTHE STREET SLIDERSの“風が強い日”を演奏。

 

 

2004年6月9日、3rdソロ・アルバム『FOR NO ONE』をリリース。

 

 

2006年5月1日、5曲入りミニアルバム『HOW DO WE LIVE』をリリース。

 

 

2008年3月5日、デビュー25周年記念セルフ・カヴァー・アルバム『GATEWAY』を発表。同時発売で、「HARRY TOUR '07」TOUR FINALの模様を収めた2枚組ライヴアルバム『TOUR'07』をリリース。

7月10日、ソロ弾き語りライヴの模様を収めた2枚組ライヴ・アルバム『TOUR '08 'GATEWAY'』をリリース。

12月20日、ソロ・シングル“Still Crazy/Shake Your Body”をリリース。

 

 

 

2009年3月20日、ソロ弾き語りライヴの模様を収めた2枚組ライヴ・アルバム『SOLO TOUR 2008-2009 "It's O.K"』をリリース。

4月10日、新ドラマーKAZUとの二人編成で初LIVE。
9月5日、金沢Gstageにて新曲20曲を初披露。

11月1日、全20曲オリジナルとなる2枚組ソロ・スタジオ・アルバム2枚組アルバム『狼煙(ノロシ)』を発売。

 

 

 

2010年3月20日、「狼煙TOUR」の模様を収めた4枚組ソロ・ライヴ・アルバム『狼煙LIVE - LIVE at OSAKA and HIROSHIMA』をリリース。

11月1日、ソロ・アルバム『無常人 -MUJOUDO-』をリリース。

 

 

 

2011年3月15日、ソロ・ライヴ・アルバム『201012 LIVE SELECT』をリリース。

9月1日、ソロ・オリジナル6thアルバム『土と灰』全10曲をリリース。

 

 

2012年3月1日、2枚組ソロ・ライヴ・アルバム『AT THE GARDEN』をリリース。"土と灰" TOURの模様を収録。

 

 

2013年10月1日、4曲入りマキシ・ソロ・シングル“MINOTAUR”をリリース。30th Anniversary TOURファイナルの模様を収めた2枚組ソロ・ライヴ・アルバム『HOW'S IT GOING』を同時発売。

10~12月、「30th Anniversary TOUR」に市川“JAMES”洋二と鈴木 “ZUZU”将雄が参加。スライダーズ解散後、この3人が揃うのは初となる。

 

 

2014年11月1日、ベスト・アルバム『HARRY THE BEST "STILL CRAZY"』全10曲入りを新録でリリース。

 

 

2015年3月9日、2枚組ソロ・ライヴ・アルバム『HARRY TOUR 2014』を発売。

 

 

2016年3月5日、2枚組ソロ・ライヴ・アルバム『HARRY TOUR 2015』を発売。

 

 

2017年3月5日、2枚組ソロ・ライヴ・アルバム『TOUR 2016 TURNING TIME AROUND FINALLY』を発売。

7月15日、2枚組ソロ・ライヴ・アルバム『20170331UNIT』を発売。

 

 

2018年、デビュー35周年記念ライヴに元ストリート・スライダーズのメンバーだったJAMES・ZUZUが客演。

3月5日、2枚組ソロ・ライヴ・アルバム『TOUR 2017 BEAT FAST』を発売。

3月6日、ザ ・ストリート・スライダーズの解散から約18年ぶりに土屋公平とのブルーズ・ユニット「JOY-POPS」の復活を発表。

4月末から全国ツアー「《Wrecking Ball》JOY-POPS - 35th Anniversary Tour」を催行。

12月20日、2枚組ソロ・ライヴ・アルバム『LIVE CD 35th Anniversary Live』を発売。

 

 

2019年3月25日、『狼煙』にベースをオーバーダビングしたリミックス盤『狼煙 -BASS DUB-』を発売。

9月25日、2枚組ソロ・ライヴ・アルバム『TOUR 2019 “Awesome!"』を発売。

 

 

2020年1月、JOY-POPSの2年ぶりの全国ツアー「Tour 2020  NEXT DOOR」が決定したが、ツアーの直前、新型コロナウイルス感染症の世界的流行により全公演の日程が延期となる。

7月、ミニ・アルバム『Inner Sessions』を通販のみで限定発売。2000年のストリート・スライダーズ解散以降、初めてJOY-POPSの新曲がスタジオで録音された。
 

 

2021年5月7日、自身の公式サイト「HARRY STATION」で現在病気療養中であることを公表。今後は治療に専念し、ライヴが行える状況になった際は改めて告知するという内容であった。
 

 

2022年6月、オフィシャルサイトHARRY STATION がリニューアル・オープン。
8月7日。土屋とのブルース・ユニット「JOY-POPS」のミニ・アルバム『夜更けの王国 INNER SESSIONS 2』をHOHOEMI RECORDSより通販のみ期間限定発売。
9月11日。SHIBUYA PLEASURE PLEASUREにて『Murakoshi "HARRY" Hiroaki Solo Live 2022 「So Alone」』開催。2部制で2ndステージは有料生配信された。
10月31日、東京にて『村越"HARRY"弘明 Solo Live2022 So Alone』試写上映会が40名限定で行われる。

11月5日から『JOY-POPS LIVE 2022 NEXT DOOR-夜更けの王国』開始。ビルボード・ライヴ(横浜・大阪)、ブルーノート東京で計10回の公演。最終日の11月29日(火)にはブルー・ノートよりライヴの生配信が行われる。
11月9日。『村越"HARRY"弘明 Solo Live2022 So Alone』Blu-rayが発売。

 

 

2023年1月23日、The Street Slidersデビュー40周年を記念してオフィシャル・サイトがオープン。豪華トリビュート盤とオリジナル音源の2枚組発売の告知と同時にYouTube Channel、専用Twitterアカウントも立ち上げられる。

5月3日、日本武道館においてThe Street Sliders武道館のライヴを開催。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「HARRY (ミュージシャン)」「THE STREET SLIDERS」「JOY-POPS」

 

 

 

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