イノウエアツシ(いのうえあつし/本名:井上篤/1964年10月20日~)は、日本のミュージシャン、実業家。パンク・ロックバンド「ニューロティカ」の創設メンバーでヴォーカリスト。バンドでは現在「ATSUSHI」名義で活動。通称「あっちゃん」。
メジャー時代まではLUUFF (ルーフ) 名義で活動していた(いつも笑顔でいることからLAUGH[ラフ]と名乗るつもりだったのが、綴りを誤りLUUFFとなった)。
東京都八王子市出身。
八王子の実家は創業60年を越える菓子問屋「藤屋」(ふじや)。
それ以前は呉服屋だったが、アツシの祖父が女手ひとつでもやっていけるようにと菓子問屋に転向。その後、祖母からアツシの母が店を継いだ。
ライヴが行われない日はアツシが若旦那(店長)として仕入れ、販売、掃除などの業務を務めている。
中学は、明治学院東村山中学校に進学。野球部に所属し、2番レフトを任され、南多摩地区で優勝した経験がある。
明治学院東村山高等学校在籍時、同級生だった修豚と文化祭で「シャッフル」というコピーバンドを結成。同バンドはニューロティカの前身となる。そして卒業した二人は吉祥寺のライヴハウス「曼陀羅」と「シルバーエレファント」でコピーバンド大会を開催。
1984年1月、オリジナルがやりたくなったヴォーカルのアツシとギターの修豚の二人が中心となって、東京都八王子市にて「NEWROTEeKA」(以下「ニューロティカ」)を結成。
3月、新宿JAM STUDIOで初ライヴを行う。
8月、1stテープをリリース。
1985年、地元八王子のパンクバンド「我殺」(がさつ)等とともに「ネオファミリーレコード」を
設立。元ザ・スターリンのギタリストであり、当時インディーズ・レーベル「ADKレコード」の
オーナーであった「タム」をプロデュースに迎えた1stソノシート『Go or Stop!』をリリースし、1000枚を完売。
この頃、ギターのJACKieが加入。ツインギター体勢となる。
1986年~1987年、「ネオファミリー大作戦」と題した企画ライヴを都内各地のライヴハウスで
行い、着実に動員数を増やして行く。ソノシート、EP、オムニバス作品を数枚出す。
1988年2月、「キャプテンレコード」からミニアルバム『DRINKIN' BOYS』をリリース。
表題曲“DRINKIN’ BOYS ”の他、“ア・イ・キ・タ”等を収録。
1989年5月、初のフルアルバム『ハーレム野郎』をキャプテンレコードからリリース。“…to be HARLEM”等を収録。アルバム発売記念として「よみうりホール」で初のホールワンマンを行う。
8月、「ロックンロールオリンピック」に初参加。同イベントには1992年まで出演した。
9月、渋谷公会堂で2度目のホールワンマンを行う。ライヴ当日は全席満席となり、インディーズ界を代表する人気バンドとなる。
同月、シングル“チョイスで会おうぜ”をリリース。
12月6~8日、新宿ロフトにて「1000人斬り」と称した3DAYSワンマンライブを行う。チケットは全日分ソールドアウトし、3日目に1000人以上の集客を達成。
1990年3月、初の全国横断ツアーを行い、4月までに22本のライヴを展開。
5月、新宿厚生年金会館にて3度目のホールワンマンを行い、満員にする。
6月、シングル“ア・イ・キ・タ”で日本コロムビアからメジャーデビュー。同曲は「さくらや」のCMに起用される。B面は“夏・渚・17才”。オリコン最高28位、登場回数3回。
7月21日、メジャー1stアルバム『よっしゃ、よっしゃ、よっしゃーぁ』発売。
オリコン最高16位、登場回数5回。
同日、新宿ロフトにて発売記念ライヴを行うが、アルバム収録曲を1曲も演奏しないまま
終わる。 その2日後、渋谷公会堂にてホールワンマンを行う。その後、愛知勤労会館、
大阪厚生年金会館中ホール2DAYも大盛況に終わる。
1991年1月、新宿ロフトにて「10,000人斬りシリーズ」をスタート。
新宿ロフトでの動員が10,000人を達成するまで不定期に続けるという企画であった。
3月、アルバム『So Yes, Sir ! 』を発売。オリコン最高47位。
11月、ミニアルバム『Fuckin’Xmas』発売。「Fuckin’ Xmas A GO GO!」ツアー開始。
1992年3月、「ロフト10,000人斬りシリーズ・モーレツ7日間春闘」と題して、新宿ロフトでも
過去に例のないワンマン7DAYSを敢行。各メンバーがソロ・ユニットバンドで前座として
登場し、連日満員となる。さらに7DAYSの翌日のライヴにシークレットで飛び入りし、
実質8日間連続のライヴとなる。
8月1日、シングル“Fight!〜Best Fight〜”を発売。B面は“中華そばBoogie”。
8月21日、3rdアルバム『がむしゃら』を発売。オリコン最高65位。
1993年1月23・25日の新宿ロフト2DAYSをもって1991年より続けてきた「ロフト10,000人斬り」が達成終了。トータル動員は10,330人であった。
3月、ベストアルバム『NEW ROTEeKA』を発売。
9月、アルバム『抜群』を発売。オリコン最高87位。
1994年8月、6枚目アルバム『崖っぷちのDANCE〜前進前進また前進』リリース。
1995年3月22~31日、新宿ロフトで10夜連続ワンマンライブを決行。
12月9日、新宿ロフトでのライヴを最後にギターの修豚、ベースのSHON、
ドラムのAKIOが卒業。バンドはATSUSHIとJACKieの2人だけとなる。
1996年、オーディションを行い、KATARU(B)、NABO(Ds)が加入。
2月、新メンバーとしての初ライヴを行う。同時にバンド名の表記を「NEWROTEeKA」から「NEWROTE’KA」と変更。
1997年8月3日、新宿ロフトでファンクラブ加入者のみのライヴを行う。
1998年10月10日、渋谷ON AIR EASTでのライヴを最後にギターのJACKieが卒業。
その後11月にギター・SHIZUWOを迎え、新たなスタートを切る。
1999年4月、歌舞伎町新宿コマ劇場横に新しく移転したロフトのこけら落としライヴをPOTSHOTと共に行う。
2000年5月、アルバム『絶対絶命のピンチ!!』をTV-FREAK RECORDSより発売。
ジャケットのイラストは『キン肉マン』の作者「ゆでたまご」。
“絶体絶命のピンチに尻尾を高く上げろ!”など全12曲を収録。
2001年8月、マキシアルバム『スイカマン』を発売。“夏・スイカ・27才”など、全12曲を収録。
11月、コロムビア時代のベストアルバム『俺達いつでもロックバカ』を発売。
2002年9月、アルバム『穴をふさげ!』をリリース。
“俺達いつでもロックバカ”など全16曲を収録。ジャケットのイラストはみうらじゅん。
2004年、バンド結成20周年を迎える。
5月、コロムビア時代のCD、映像をそれぞれにまとめた『泣いて喜べ!ニューロティカCD-BOX』、『泣いて喜べ!ニューロティカDVD-BOX』を発売。
同月、バンド結成20周年記念として、バグロックレコードからアルバム『88(ややうけ)ライダー』リリース。オリコン最高92位。
12月、アツシがアニメ『BECK』に声優として参加。
2005年3月、全米アニメPUFFYの『HI! HI! AMI YUMI SHOW』にカタル、シズヲ、アツシ実写で出演。アツシはアニメにもNEW キャラクターで出演。
9月、アルバム『DIVE INTO FEEDBACK』をリリース。オリコン最高208位。
2006年5月、ベストアルバム『ベスト 2000~2006現役』をTV FREAKよりリリース。
“嘘になっちまうぜ”、“東京花火”など全20曲を収録。オリコン最高193位。
2007年11月、新宿ロフトでバンドとしての出演回数が200回を達成。それまで最多出演だったTHE STAR CLUBの記録を塗り替え、ロフトに最も出演したバンドとなる。(2015年現在もこの記録は破られていない)
同月、これを記念して、ロフトに縁の深いアーティストの楽曲を演奏した、ニューロティカ初の
カヴァーアルバム『GONG! GONG! ROCK'N ROLL SHOW!!』をリリース。
2008年2月、アルバム『PUNCH!PUNCH!PUNCH!』を徳間ジャパンからリリース。
10月、ニューロティカ自身のレーベルNR RECORDS設立。
シングル“バイバイモンキー”発売。
2009年3月4日、ATSUSHI KONAMIアーケード音楽ゲーム「pop'n music 17 THE MOVIE」にて“ピエロのままで”を担当。
2010年5月、アルバム『別冊ニューロティカ』発売。ジャケットのイラストは『ヤマトナデシコ七変化♡』の作者として知られる盤画家のはやかわともこ。“限界ギリギリ MY LIFE REVOLUTION”、“サウンド オブ パンクロック クレイジー”、“飾らないままに”など8曲を収録。
2011年5月、アルバム『俺達が歩く道』を発売。題字はロリータ18号の石坂マサヨ。
2012年3月、ニューロティカfeat. 初音ミクで「ミクロティカ」を発売。
同年、ARBのカバーバンド「AIB」を結成しニューロティカとの対バン形式でライヴを行う。
12月、アルバム『サイモンガール☆ファンガール』を発売。
2013年2月3日、井上篤プロデュースで、ARBの不動のドラマーKEITHの生誕を祝う「KEITH 芸能生活四十周年 誕生日だョ!全員集合」を開催。ニューロティカに加え、甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ)、田中一郎などの豪華ゲストが集まった。
2月7日、新宿ロフトでのライヴを最後にギターのSHIZUWOが卒業。この年は数人のサポートメンバーがギターを担当。
2014年、サポートメンバーの1人として活動していたRYOが正式メンバーとして加入。
アイドルグループ「ベイビーレイズ」に楽曲“夏色パーティー”を提供。
3月、日本インディーズ協会発足。
4月、結成30周年およびATSUSHIの50歳を記念し、ドキュメンタリー映画『あっちゃん』の政策を企画。制作資金をクラウドファンディングで募集開始し、940万が集まる。自主映画では最高額、キャンプファイヤーでも2014年度では第2位の資金額となった。
5月、結成30周年を迎え、現メンバーに元メンバーの修豚・JACKie・SHON・AKIOを加えた8人でツアー「8人だョ!全員集合」を開催。
同月、この8人により製作されたアルバム『インディーズ日本代表』をリリース。
9月、NR RECORDS時代のベスト盤『俺の歌を聴け!』発売。
11月、30年分を一冊にまとめた写真集『VICTORY12』発売。
同月、アツシ生誕50年を記念した本『ロッキンピエロによろしく哀愁』をロフトブックスから
発売。
12月31日、新宿ロフトで行われた大晦日ライヴを最後にギターのRYOが卒業。
2015年1月、新しいギタリストJAMESが加入。
ナリオ監督によりドキュメンタリー映画『あっちゃん』が制作。
4月18日、『あっちゃん』劇場公開開始。劇中歌“泣き顔ピエロ”はチャラン・ポ・ランタンによる書き下ろし。
2016年9月25日、新宿アルタ前の新宿ステーションスクエアにて、自身最大規模となるフリーライヴ「アルタ de ニューロティカ」を開催。ファンに加えて通行人も巻き込み、約2000人の観衆を前に熱いステージを展開。この日のために製作した特製CDとオリジナルデザインのうまい棒を1000名限定で無料配布した。
2017年7月、アルバム『良いか悪いかは別として(笑)』をリリース。“ガンギメナイト feat.ノリピー”、“ノータリンバンド”、“昭和ヒーロー大全集”など全18曲を収録。
2018年10月20日、通算2000本目のライヴ「Zepp de NEW ROTE'KA〜祝2000本達成ライブ〜」がZepp Tokyoにて行われる。
2019年、結成35周年を迎える。
アイドルグループ「私立恵比寿中学」にアルバム『MUSiC』収録の楽曲“元気しかない”を提供。MVにもメンバーが出演。
10月16日、“LOVE☆SONG ~唄を愛したピエロのロックスター人生~ (Special Edition)”がiTunes、他配信サイトで配信開始。
12月20日、クラブチッタ川崎のライヴを最後にギターのJAMESが卒業。
2020年1月、2014年に在籍していたギターのRYOが復帰する。
10月25日、博多「glaf」にて「藤屋創業69周年記念ワンマンツアー!ニューロティカ結成36周年もよろしくね~( 延期公演 )」ライヴ。
10月30日、東京「新宿ロフト」にて「G.D.FLICKERS結成35周年記念ライブ」。
11月8日、大阪「堺Fandango」にて藤屋創業69周年記念ワンマンツアー!ニューロティカ結成36周年もよろしくね~( 延期公演 )」ライヴ。
2021年4月17日、東京「恵比寿LIQUIDROOM」にて「A DEEP TIES 2021 Reloaded」参加予定。
Wikipedia「ニューロティカ」
公式ホームページ