次の日もう一度「大学院」へ行き、やはり男がいないのを確認し、新宿中央公園へ向かった。
しかし、期待とは裏腹に、公園内はきれいに整理されていて、青いシートの家はひとつも見つからなかった。木枯らしが吹き、色あせた落葉を巻き上げ、くるくると旋回し差し込む光で時々光っていた。しかし導いてくれるものは無かった。正月の公園は人気も少なくすべての物質が休んでいるように見えた。「内なるエコーに従え」老女の声がむなしく聞こえた。
元住吉へ戻ると、こーこがマンションの前のドブ川を渡っている鴨を橋から覗き込んでいた。
「こーこ、そんなにのりだすと危ないよ」
「パパ、おかえり」
「みて、みて、かわいい」
ボクはこーこのそばに行き同じように覗き込んだ。
「親子みたいだね」
「こーこ、神社にお参りに行ってから、多摩川を見に行こう」
「あっちのほうがキレイだよ」
「うん、わたし甘酒飲みたい」
「いいよ、売ってるかな?」
ボクたちは手をつないでまるで恋人のように歩いた。こーこはボクを恋人に見立てていろいろ試しているのかもしれない。やたらと甘えるし、やたらと意識している。
「多摩川」で東横線を降り、浅間神社の鳥居をくぐり、階段をのぼった。こーこはうれしそうにどんどん先へ進んだが、ボクはあっという間に息があがり大汗をかいた。
お参りを済ました後、近くの多摩川まで歩いた。午後のまだそんなに遅くない時間なのに日は傾きかけ、川にきらきらとした輝きをあたえていた。
こーこはうれしそうに走りまわったり、バレエダンサーのように舞った、美しい光景だった。この子は将来何になるんだろう。きっと人を癒す仕事をするに違いない。
ボクはその光景を見ながら、枯れた草の上に座った。こーこは傾く太陽の光を浴びて美しく舞った。ボクにそれを披露しているかのように。
「こーこ、うまいね」
「いつ覚えたの?」
「オリジナルよ」そう言いながら、舞い続けた。
その時頭の中に流れていた音楽は、クロード・ルルーシュの映画で見た「ボレロ」だった。男らしい音楽だとは分かっていたが、それしか、知らなかったから、そうなった。
ダ、ダダダダ、ダッダ、ダ、ダダダダ、ダッダ、・・・・
こーこが息を荒くして戻ってきて横に座る。
「たのしー」
「ははは、よかったね、こーこ」
「パパ、大好き」
そう言ってこーこはボクに抱きつきキスした。まるで恋人にするように感情のこもった長いキスだった。
「こーこ、はやく恋人みつけな」
こーこは少し寂しそうにした。そして、しばらく黙ってしまった。
そのまま川を眺め時間を過ごし、帰る時間かなと考えていた時、光の加減で見えていなかった青いシートを発見する。それはまさに夢でみたブルーシートだった。
「こーこ、ちょっと待ってて」
そう言って、ブルーシートまで走った。そして、前に立ち、隙間から中を覗き込んだ。
黒い、真っ黒い闇が見えた、まったくの黒い闇が見えた。その中に真っ黒い手が動いた。
「誰か、いますか」
川の音が大きく響き、風がそれをかき消すほどに吹いた。そして無音になった。
ボクはなぜかその時、ここにあの「父かもしれない男」がいると確信した。
「償いの行為は、どうなってしまったんですか?」
黒い手が微かに動いた。
「あなたは、はっきりと言ったじゃないですか、死ぬまで償うって」
ボクは怒りを憶えていた。この男に本気で怒っていた。中に入って殴り倒してやりたいほどに。
「聞いてるんですか!」
「あなたはボクのお父さんなんでしょ!」
ボクはブルーシートの隙間を広げ中に入ろうとしたところまで憶えている。 それから、どのくらい後か、ボクは、元住吉のマックでコーヒーを飲んでいて、するとコーコが踏切の先に見えて、ボクへ笑顔を送った。そして、踏切が開くとボクに近づいて来て前に座りこう言った。
「ねえ、一緒に死んでくれない」
コーコは笑顔でそう言った。ボクは元の世界にもどったんだとその時確信した。
ボクたちは一度マンションへ戻り激しく愛し合った。それから、多摩川に行って草の上に座って夕日を見ていた。本当に美しい夕日だった。
太陽、風、水、雲、草木、すべてのエコーがボクらに響いた。コーコもそれを感じていたに違いない。
そして、二人は立ち上がり、ゆっくり川の中へ入って行った。
腰あたりまでつかると二人は向き合い。
そしてコーコは目をつむる。
ボクはコーコの頭を掴み、水に沈めていく。
コーコの手足がばたばたともがき始める。
それでもボクはコーコを水の中から出さない。
コーコの動きが鈍くなり始める。
冷たい水がボクの足の感覚を麻痺させる。
そして、動かなくなった。
今度は自身を川に沈めていく。
その時、ボクは強靭な力で持ち上げられ、数人の男に羽交締めにされながら川から引きずり出された。そして、コーコも救い出され、川縁に寝かされ救命措置を受けていた。ボクは引きずられながらその光景を遠目に見た。
すぐに救急車が川沿いに止まり、コーコを運び去り、次にパトカーが来てボクはその中に投げ込まれた。日が沈む寸前だった。いつの間にか野次馬が集まり、その間をゆっくりと通過した。ざわついた人々の声が耳に残った。
今、東京拘置所の冷たい床に座り、これを書いている。
これが、思い出せるだいたいのところだと思う。
コーコは助かったようだ。看守がそっと教えてくれた。
今はまだ病院だと思う。はやくここから出て、コーコに会いに行きたい。
最終目的が果たせずに終わった今、どうやって生きていこうか考えていた。
ボクはこの手紙をトモさんへ送ろうと思ってる。
「あなたの文章がとても好きです」って言ってくれた人だから。
でも、住所がわからない。ボクはいつも失敗する。
どこかへ導いてくれるのは、たぶんトモさんしかいない。
もう一度、屋久島へ行こうか。
そうすれば、またトモさんに会えるはず。
ボクの中に微かな希望が湧いてきた。
内なるエコーに従うんだ。