細田守の快進撃が始まった記念碑的作品。私が今回、今作を観ようと思った理由は2つあります。1つ目は夏だから。2つ目は、細田守作品の面白さを再確認するためです。

 

 キャリアを着実に積み上げて、遂には作品ごとに一定のヒットを出せるまでになった彼ですが、新海さんが想定外のヒットを飛ばしてしまったため、現在では影が薄くなってしまった感があります。一部ネットでは、冗談半分に「もう細田は終わり。次は新海の時代」とか言っている輩もいるわけで。監督の価値を興行収入で測るのは違うと思うのですが、現実問題として細田さんの作品の興行を全部合わせても「君の名は。」の半分もいかないわけで。それでは細田守作品はダメなのか、と思ったので、今回鑑賞してみた次第です。

 
 

 

 
【時をかける少女】

 

 

 

91点

 

 結論として、一回見たはずなのですが、記憶よりずっと素晴らしい作品でした。原作は言わずと知れた筒井康隆原作の名作SF小説で、ある日、タイムリープの能力を得た女子高生・真琴の話です。

 

 映画の序盤で、進路希望が問われます。ここに象徴されているように、本作は一貫して「未来」に進むことを描いていたと思います。

 

真琴はタイムリープ能力を、実にくだらないことに使います。カラオケで何時間も歌ったり、好きな夕飯食べたり、テストで良い点とるためだったり・・・。ずっとこんな日々が続けばいい。誰もが一度は思ったことでしょう。ですが、千昭に告白された時から、永遠に変わらないと思っていた日常に変化が生じます。そして、自分がタイムリープにより「なかったこと」にした代償が他の人物に降りかかることを知るのです。

 

Times waits for no one.作中に出てくる言葉です。意味は「時は待ってはくれない」その意味の通り、本作ではタイムリープを繰り返しても、「今」という時間は刻一刻と変化していきます。常に時は変化しているのです。しかし、変わらないものもあります。それがこれまで共に過ごしてきた「過去」なのです。例え親友と関係が変わっても、彼と過ごしてきた時間は変わらないのです。真琴は失敗してタイムリープを繰り返しますが、そこから学び取った経験は残っています。最後は犯してしまったことに彼女なりの決着をつけるのですが、それは過去の過ちから学んだことがあったからで、過去が積み重なって今、そして未来へ向かうのだと実感させられます。

 

そして、ラストシーンが鳥肌ものでしたね。真琴にとって大切な人であった千昭と別れるシーンです。一旦フレームアウトして、真琴にとっての未来が閉ざされてしまう(この時、向こうに自転車を二人乗りしているカップル(=ありえたかもしれない未来)が映っている演出が切ない・・・)。しかし、千秋がフレームインして戻ってきたとき、真琴にとっての「未来」が一気に開かれたようで、感動しましたよ。

 

タイトルは「時をかける少女」です。冒頭と終わりにタイトルが出るわけですが、これまで映画を観てきて、2つはそれぞれ、全く違う印象を抱かせます。冒頭はまさに「タイムリープをする少女の話」ですが、ラストで、「未来へ向かう普通の少女の話だったんだ」と思えたのです。冒頭とラストの真琴が全く同じシーンなのも、同じはずなのに、違う印象を受けるのも、映画を観て、真琴の成長を実感したからなのでしょう。

 

結論として、本作は、ジュブナイルものとして、素晴らしい作品だったと思います。

 

 

 シリーズが続くにつれて面白くなっていき、そしてそれに比例してどんどん狂った内容になっていっている本シリーズ。そのシリーズ4作目は、今までで最も狂っていて、しかし、これまでのシリーズで積み重ねてきたことの集大成的内容で、これが最終シーズンでも十分納得できる作りになっていました。

 

 言うまでもないですが、このドラマはシャーロックとワトソンの話です。シリーズを通して、シャーロックという事件を解決することに無上の喜びを感じる天才と、ワトソンという常に危険に身を置きたがっている凡人という、どこか似ていて、しかし正反対の2人が絆を深めていく姿をメインに描いていたように思います。結果として、2人は無二の親友となり、シャーロックは「必ず君たちを守るよ」という宣言までしています。

 

 また、シリーズを通して描かれていることとして、シャーロックの成長が挙げられます。最初は傲慢で、(一部を除き)皆から嫌われていた彼が、ワトソンとの交流を通して人間として成長し、曲がりなりにも周囲の人間と関係を持つまでになり、家族とも上手くやれるようになりました。関係性の変化が最もよく表れているのがレストレード警部で、本シリーズのラストで、彼を「良い奴」と呼ぶまで親密度が上がっています。

 

 本シリーズでは、全体を通して、これまで積み重ねてきたワトソンとの関係性、シャーロックの成長をもう一度問い直すものになっていました。ストーリを見返してみると、1話で2人の間に亀裂が入り、2話でその絆を修復、3話で修復した2人がシャーロックの人生に残された「最後の問題」を解いていました。2人の絆を再確認した上で、シャーロックの家族の問題を解決する。ラストの、彼女への言葉は、これまでの積み重ねがあったからこそ出たものだったかなと思いました。

 

 また、本シリーズでも、圧倒的な映像表現は健在です。健在どころか、むしろパワーアップしています。それが極致に達するのが第2話で、まさかラリってる幻覚を一緒に見せられるとは思っていませんでした。

 

 あの終わり方だと、一旦このドラマは終了ということでしょう。少し寂しい気もしますが、ダラダラ続けられるより区切り良く終わってもらった方がファンとしては嬉しいです。でも、いつかまたあの2人に会いたいものです。新作を気長に待ちますか。

 

98点

 

 1945年。8月15日。天皇が戦争終結を決意してから、玉音放送までの24時間を描いた名作。今年も終戦記念日(終戦というのが何とも欺瞞だなと思うのですが)がやってきまして、そういえばこの作品を観ていなかったなと思ったので鑑賞した次第です。

 

 2時間半という大作ですが、全く退屈せず観れました。そして、会議映画でありながら、様々な人の思惑を描いた素晴らしい群像劇でした。そして、戦争の空しさすら感じさせる傑作だったと思います。

 

 まず、この作品、めちゃくちゃテンポがいいですね。また、タイトルの出方がかっこよすぎです。ここで痺れました。「シン・ゴジラ」っぽくもありましたね。

 

 さて、本作のメインはポツダム宣言をどう受諾して、国民にそれを伝えるかの過程を描いた作品です。なので、基本的に話は内閣や官僚など、所謂「上層部」の人間が中心となって描かれます。特に前半はそうで、しかも会議の連続です。しかし、ここで並行して終戦に反対する若い兵士たちが、「宮城事件」というクーデターを起こす過程も描かれています。この上層部の会議と並行して、若い兵士たちのエピソードを入れることで、本作は厚みが何倍にもなっていると感じました。

 

 我々現代人からすれば、「終戦」へと向かおうとしている政府こそ正しい判断をしているのであって、いまだに戦争を継続しようとしている兵士たちは、正直、狂気に憑りつかれているとしか思えません(黒沢年男の名演もあり)。ですが、そこかしこで出てくる兵士たちの思いを聞いているうちに、当時の政府のある種の身勝手さが浮き彫りになってきて、だんだん兵士たちの方に感情移入できるようになるのです。

 

というのも、彼ら兵隊は小さいころから「お国のために命を捧げろ」と教育されてきたわけで、「国を守って死ぬ」ことが生きる目的でした。それは現地で戦っている者たちも同じだったでしょう。また、政府はマスコミを使って、国民には本当のことを知らせず、国民の感情を煽る報道しかしていませんでした。ここまでして挙国一致体制をしいていたにも拘らず、本国の政治家たちは(戦況が悪くなってきたとはいえ)、天皇の言葉1つで「止める」と言うのです。これは現地の兵士たちからしたら「何だそりゃ」となりますよ。しかも、役人たちは淡々と終戦への処理を進めていきます。全く下の兵士のことなど考えていないのです。これはひどい。

 

 かと言って、兵隊たちを称賛する気にもなれません。彼らは「戦争継続」ということを訴え続けますが、天皇に対しては、「分かってくださる」と一方的に自分たちの考えを押し付けているんですよね。結局、戦争なんてものは、ある一部の人間の思惑で始まるものなのだなと思いました。

 

 今作では、兵士のことを理解している人物が2人います。それが阿南陸軍大臣と、米内海軍大臣です。米内は匂わせるのみですが、阿南は兵士から突き上げを食らうシーンが描かれています。この阿南は、最後に切腹して果てます。結局、彼だけが兵隊たちに対して「責任」をとったのだと思います。

 

 本作は1945年815日という、日本で最も重要な1日を描いたものでした。そこでは様々な思惑が動いていました。終戦を願う者、戦争を継続しようとする者、資料を燃やす者、絶望する者。本作を観ていると、それが肌に伝わってきます。まさしく、本当に過去にあった歴史なのだと、我々に訴えかけてくるようです。

 

また、今作を観ていると、戦争は所詮、一部の人間の思惑で始まり、終わるのも一部の人間の決断なのだと思い知らされます。そして、膨大な犠牲者が出る。ラスト、玉音放送に被せて当時の日本の映像が流れますが、何とやるせないことでしょう。何故このようなことになったのか。そう考えざるを得ません。申し訳ないのですが、玉音放送も、空しく聞こえてしまいました。

 

45点

 

 昨年「君の名は。」を見事なプロデュースで驚異的大ヒットに導いた、川村元気P。彼が仕掛けた次の夏アニメは、岩井俊二監督の名作のアニメ化でした。公開時期、予告、そして宣伝の力の入れようから、東宝が「君の名は。」の二匹目のどじょうを狙っているのは明白です。ですが、その思惑も空しく、完成したものは実に微妙な出来で、失敗した「君の名は。」でした。

 

 失敗した理由として、本作は「君の名は。」で起きた、それぞれの要素の化学反応が全く起こらなかったことが挙げられます。「君の名は。」は新海誠の強みを最大限に引き出し、弱点を考えうる限り最強のスタッフでカバーしたからこそ、あそこまでの作品になりました。しかし本作は、集めた要素が何一つ噛み合ってないのです。結果として、互いの要素を殺しあい、誰も得しないアニメになってます。

 

 その最大の問題は、オリジナルとアニメーション制作会社であるシャフトの組み合わせが悪かった点だと思います。オリジナルは「もしも」という要素がありながら、SF的要素はなく、評価されたのは主にノスタルジーだったと思います。川村さんは、そこは理解していたようで、この当時の世界を再現できるのはアニメだけだ、と思い、アニメ化に乗り出したらしいです。ここまでは良かったと思います。しかしノスタルジーの表現には、一種実在感が必要だと思っていて、そこがシャフトと合っていないと感じました。シャフトって、二次元表現を駆使して作品を作ってるところがあって、制作作品を見ると、どれも二次元的で、実写的じゃないんですよね。背景もそうですし、人物だって、演出だってそうです。何言ってんだ。今作は背景は頑張って「普通」になっててビックリしたのですが、それだとそれでシャフトっぽさが薄れた気もしました。ただ、それは前半で、後半、オリジナルの展開になってからはシャフト感が増します。しかし、これはこれでオリジナルの魅力を損ねている気がします。また、大衆向けにも失敗しています。普段アニメを見ない人にはあのキャラデザはキツいと思いますよ。

 

 そして、ストーリーも、恋愛ものですけど、かなり鬱屈したものになっていると思います。主人公典道は、ヒロインなずなを連れ出すため、「もしも玉」なるアイテムを使って何度も一日をやり直します。しかし、やり直しをする度にどんどん抽象的な世界になっていくのですね。一回目のやり直しでは、全てが反時計回りになり、二回目は花火が平べったい、三回目では海の上を電車が走るなど、「現実離れ」して、ありえない世界になっていきます。そして、「正解」である「二人だけの世界=瑠璃色の地球」に近づいていくのです。ラストで花火が上がりましたけど、あれはあの世界こそが「正解」だったということでしょうか。

 

そして、あのもしも玉は、いろんな人の「もしも」が詰まったものだそうです。つまり、この世界は典道の「妄想」の世界なんだと思います。誰もが持ってる「理想の世界」を二人で妄想の中で目指す話だと思います。それはある意味で現実的ではあります。「君の名は。」の方がありえないファンタジーですから。ただ、「妄想の中で想いを成就させる」ことは、大災害という「現実」に立ち向かった「君の名は。」と正反対で、逃避ですよね。どんどん内に入って行くって、エヴァじゃないんだから。しかし、そういう感情を描いた作品としては、本作は面白いかと思います。

 

また、声優に関しては、違和感はなかったです。ただ、なずなは慣れるまでに時間がかかりましたね。何故なら、外見は完全に物語シリーズのガハラさんじゃないですか。なのに、声が広瀬すずなんですよ。これは少し戸惑います。後、松たか子の無駄遣いがひどい。何でオファーしたの。

 

結論として、本作は、「東宝が大ヒットを見込んで300館規模で公開した大衆娯楽作」としては完全に失敗ですが、「アニプレックスが50館規模で公開したシャフトの新作アニメ」と思い込めば、まぁ見れると思います。

 

79点

 

 これまで権利関係の都合上MCUに参加できなかった本作が、遂に、本格的にMCU(ホーム)に帰って(カミング)きました。本作は復帰後の記念すべき初単独作です。そういう意味で、今作は特別な意味を持ちます。

 

 どういう作品になるかと思いましたが、前作とはまた違った、新たな「スパイダーマン・オリジン」で、ピーターが「ご近所ヒーロー」となる決意を固めるまでが描かれている良作でした。

 

 本作では、ピーターは「子ども」として描かれています。彼は一刻も早く「ご近所ヒーロー」から抜け出し、「アベンジャーズ」に入りたいと思い、実績をあげようとします。しかし、そのたびに空回りし、トニー・スタークに注意されます。この彼の役割が非常に重要で、今作では父親のように描かれています。

 

そして、今作の敵であるヴァルチャーは、違法な武器を製造し、悪党に売りさばいています。これは、どう見てもトニー・スタークの縮小版と言いますか、合わせ鏡です。つまり、「敵」として立ちはだかる人物が主人公の「父」的な存在のダークサイドなのです。これは、本作が「父親殺し」の要素を含んでいるといえると思います。「父を乗り越えることでヒーローとして成長する」とするならば、配役がマイケル・キートンなのも意味がある気がします(彼は以前、バットマンを演じていました)。

 

スパイダーマンはこのヴァルチャーの企みを察知し、阻止すべく奮闘しますが、とある大失態をやらかし、スパイダーマン・スーツを取り上げられてしまいます。ここから彼のリアルが充実しだすのですが、このスーツが無くなったから私生活が充実したというところとかは、ライミ版の2を思い出しました。しかし、終盤、彼はヴァルチャーの企みに1人気付き、阻止のためにもう一度戦いを挑みます。私はここが非常に重要だと思っていて、「スーツ」という圧倒的な力を取り上げられても、それより格段にダサくてショボい自前のスーツを着るのです。そこにあるのは、彼の純粋な正義感であり、勇気です。彼はそれ1つで強敵に戦いを挑み、ピンチに陥っても、誰も頼らず、自身の力で立ち上がります。私はここにもライミ版2の精神を見ました。

 

話が飛びますが、本作には所々過去作のオマージュがありましたね。ネッドの「どのくらい糸が飛ぶか試した?俺なら屋上でするね」とか、逆さ吊りになったときにカレンに「ここでキスをしましょう」と言われる所とかです。観ていて少し嬉しくなりました。

 

また、本作は監督の前作「コップ・カー」とも似ていると感じました。あの作品は、子どもが最初イタズラのつもりが、最終的に恐ろしい事件に巻き込まれるというものでした。本作も、最初は「ご近所ヒーロー」ですが、後半は命を懸けたやり取りになっていくあたり、結構似ています。シーンでも似ているところがありました。スパイダーマンがパーティーを抜け出して現場へ走っていくシーンが、「コップ・カー」でケビン・ベーコンがランニングで全力疾走しているシーンと被って、笑えてきました。

 

今作は学園ドラマとして観ても面白いと思います。非常に多様な人種の人間がいる学校は観ていて新鮮でしたし、現代的だと思います。

 

また、同時に、本作は非常に「庶民的」な内容だとも思います。敵のヴァルチャーの目的は「家族を守りたい」ですし、アベンジャーズどころか、トニー・スタークにさえビビっています。しかも、悪の道に走った動機が「大企業に仕事を奪われたから」というのも、現代の社会を反映していると思います。

 

しかし、終盤の決断で、アレは彼の勝手な正義感であって、それによって傷つく人がいることの葛藤がないのはどうなんだとは思いました。まぁ、自身の正義で傷つく人がいることに気付き、成長したと思えばいいのかな。

 

このように、現代のアメリカを背景に学園ドラマを展開しつつ、1人の少年が「ヒーロー」になるまでを描いた良い「オリジン」だったと思います。