君の美しく揺蕩う顔で否して。

君の美しく揺蕩う顔で否して。

難治性慢性疼痛とうつ病の戯言

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低気圧と寒さが重なると、疼痛はひどい。

今、トラマール50mgを1日8錠で完結している。

理由としては、諸事情で薬があまり飲めなくなってしまったから。

この諸事情に関してはいずれ書こうと思う。

 

まず、痛みが消えることがないしむしろ腰の疼痛は増している。

痛くて眠れない日が多い。

 

毎週カウンセリングで話をするけれど、何だかよくわからなくなる。

あと、痛みにサインバルタを30mg飲んでいるけれど、

絶対に効いていない自信がある。

飲み忘れれば、頭の中でシャンシャン音がするし

痛みを感じにくくするこの、サインバルタも抗うつ剤だから当然だ。

 

いつも行っている、麻酔科は日にちが全く合わず

同じ処方を、緩和医療等で医療用のオピオイドやモルヒネを出せる

かかりつけの医師に、出してもらっているけれど

トラマール(弱オピオイド)を一日400㎎飲んでも消えないなら、

飲まないほうがいいんじゃないかと言う気すらしている。

次回行ったとき、脊髄外来に紹介状を書いてもらってちょっと

外科的見地から治療法がないか、考えてもらおうと思う。

一人二人の医師の意見じゃなくて、何人もの医師の意見を聞かないと

本当に何かが見落とされている場合がある可能性もある。

 

腰が痛くて痛みが動くという人がいて、整形で痛み止めを貰うも治らず、

心療内科を紹介されて、うつ病といわれるも結局は、末期がんだった人が居る。

何人もの医者が末期がんと確定診断をするまでに登場している。

医師も得意不得意があるだろうけれど、自分の診断に間違いがないと思い込む人が居る。

 

患者は治らなければ、ほかに治療を探す権利もセカンド、サード、それ以上のオピニオンを

する権利があるのだから、嫌な顔せずに医師側から「セカンドオピニオンも遠慮なく」と言ってほしい。

 

なんか、今日はやけにソワソワする。

 

 

 

ここのところ、まともにパソコンに向かうことが仕事以外になかった。

 

悲しいけれど、生物は死ぬ。

本当に死んでしまうんだよ。

けれど、それは本当に悲しいことなんだろうか?

平均寿命が世界一になっても、いつ死ぬかなんてわからない。

長いから幸せでもなく、短いから不幸とも言えない気がする。

 

今月は法学検定スタンダード(法曹を目指す等学習の進んでいる法学部3年次および法学部修了程度)

合格不合格もあるのだけれど、自分の法学の知識がどれくらいの知識があるのかという

採点があるので毎年受けている。

合否に関しては、問題用紙にチェックして試験日翌日に日弁連に回答が掲載されるから、

それで自己採点をする。選択科目は刑事訴訟法にして、これが一番点数が高かった。

一番点数が低かったのは、民法だった。半分ちょっと。

合格はしているようだ。

出題の偏りが、全科目にあったような気がするけれど気のせいだろうか・・・

 

ただ、ちょっとこれから何かを勉強する時間はあると思うけれど、

精神的にモチベーションがない。

別に私は、法律関係の仕事に就きたくて勉強をし始めたわけではなく、

ただ、自分が犯罪被害に遭って、いちいち弁護士、司法書士の仕業に頼まずとも、

自分で全部、残りの損害賠償を請求したくて法律の勉強をしているだけにすぎない。

本人なので別に資格がいるわけでもなんでもないし、判決文さえ持っていれば

相手の住民票、本人とか連帯している場合はその親のものも取得できるし、

強制執行も可能であるが、知識がなければできない。

病気でも生きようと思うのは、一生かけても加害者を許さないというただそれだけの

怒りによるファクターが大きいのだろうと思っている。

はっきり言って、怒りを生きる動力とするのは損である。

 

とにかく食欲がないし、吐いてばっかりいる。

自分があとどれだけ生きられるとか、死ぬとかそういうことが不安なんじゃなくて、

最悪の時、何が残せるんだろうという事を考える。

一人で今、じっとベッドの上で考えている。

仕事が軌道に乗っているので、仕事だけはなんとでも続けなければいけない。

ネットで大体が完結するし、代行もあるので経費はかかるけれど

負担を減らすことはできる。

 

翌々ずっと考えていて、税務署への申告を青色ではなく白色でしている。

青色ですれば、控除等の優遇措置も白色よりあるけれど、

帳簿付けが面倒で、白色でしている。

税理士に頼めばいいのだろうけれど、倒産する事業主の典型が「税理士に任せっぱなし」と

言うのが通説で、ずるずると白色。

青色の面倒を克服するために、来週は税務署の青色申告セミナー的なのに行こうと思っている。

 

 

クリスマスが近い、玄関もクリスマスのガーランド。

今年の子供のクリスマスプレゼントは、

ニンテンドースイッチのスプラトゥーンセット。

プレミア価格で7万円ほど。

サンタさんを信じているうちは、望んだものをサンタのふりをしてプレゼントしようと思っている。

 

昨日は、バーベキューに行った。

すごく寒かったけれど、思い出を作りたいと思った。

私は途中で少し無言になってしまって、

「どうしたの?」と聞かれるも、「何でもないよ」と答えた。

なんでもないわけじゃなかったけれど、何でもないとしか言いたくなかった。

 

 

 

 

 

 

 

SNSのハッシュタグで「自殺募集」「自殺サークル」というものをつけて、

一人で死ぬのは怖いから、と仲間を募っているところから白石容疑者と出会うこになり、現在は死体遺棄容疑だけれども、恐らく殺害をしている。

 

SNSで死にたいということを言っている人たちは、何かが何かがあれば、辛くとも生きられたかもしれない。

ラフに人と繋がるのは有益な情報を得るためにも便利なツールであるし、ラフがゆえに、募集ということが安易になって、

自殺したいという人間を装って、殺人事件に発展してしまったのかと思うと、本当にものは使いようだと思う。

 

白石容疑者に会いに行った人の多くは、誰にどこで遭うということも伝えていないだろうし、人によっては探してくれる人もいないかもしれない。

 

白石容疑者は自殺願望がある=殺しても構わないという罪悪感が薄れていたのではないかと思う。

きっと被害者の中には生命の理屈から考えて、逃げたかっただろうし

命乞いをしたとだろう。その被害者の命が自分の手の内にあるという、

征服感もあったと考えるのが普通だと思う。

 

団塊世代のコメンテーターは自分たちは、おもちゃを買ってもらうだけでうれしかった、けれど今は何でもあって満ちている。

だから、簡単に死にたいと言う。

 

というコメントをしていた、けれどもその時々の時代背景によって、

悩みは変わって行く、一概に「死にたい」と思うという事を異常だとか

甘えと論じるのはどうかと思う。

 

どの時代でも必ず自殺はあるし、死にたいほど辛いことはある。

人それぞれ、死にたいと思うリミッターは違うわけで、

こういった事件で自殺したい人たちが取り上げられることが、

そもそもの間違えで、年間3万人が自殺している現実、

1人の人生が悲しく終えた自殺というものが3万件あるということ、

3万件の悲しみがあったことを社会がこの事件をきっかけにするのではなく、少しでも「自殺したい」と思う人を救う試みが必要だと、

今は思う。

 

 

犯罪被害に遭った人の中には、失った尊厳や健康やその他諸々を

民事の損害賠償請求の訴訟提起をする人も多い。

判決をとれば、その日から10年間、支払いを求める権利が得られる。

が、しかし大概の人は泣き寝入りを余儀なくされている。

まず、犯罪を犯す人間が刑務所に入っている場合まず、回収の見込みがない。

出所したとしても、定職についてまじめに払う人間は皆無に等しい。

さだまさしの「償い」の歌詞のように、いくことはないのだ。

まともな親でもいれば、成人していても良心の呵責から支払う人もいるが、レアケースである。

家族が殺害されたり、後遺症が残ったときにいきなりその家庭は立ち行かなくなる。

なんとか、立て直すために損害賠償請求をするが、裁判費用を持ち出したという結果に終わってしまうことが多い。

この国は、被害者救済というものが基本的に進んでいない。

ある県では、損害賠償請求権を債権として買い取るという話も聞いたことがあるが、上限が三百万ほどだったと記憶している。

仮に、強制執行をしようと思ったら途轍もない労力がかかる。

そんな気力が沸かないことがほとんどだ。

 

犯罪被害者給付制度にも落とし穴がある。

専業主婦は基本的には対象外である。

また、肉親間の殺人事件などで仮に父が収監され、母が死亡し、

子供だけが生き残った場合も、現行制度では子供には犯罪被害者給付金制度が適用されることはない。

この国には例外というものがないし、犯罪被害者の人権問題に

対して国が動いたのは光市母子殺害事件の本村氏や復讐によって

妻が殺害された弁護士の岡村氏や犯罪被害者、遺族の方々が

あすの会を設立し、小泉首相に署名要望の実現を嘆願したところから始まる。

それからまだ、20年も経っていない。

 

今、何が変わったのだろうか。

 

毎日のように犯罪は必ず起きている。

明日、自分が被害者になるかもしれない。

孤独に戦う犯罪被害者や遺族が明日を生きるために

今すべきことがある。

それは法律的観点の問題だけではなく、一番身近なところから

代えていく必要があると感じる。

 

 

 

 


今日の7時近い時間に北朝鮮からミサイルが発射された。
今年に入って15発目だそう。
朝鮮中央通信が伝えたニュースで

日本列島の4つの島はチュチェ思想の核爆発によって海に沈むべきだ

とのこと。

朝鮮労働党の思想は狂っている。

アメリカの対北決議による経済制裁の言いなりに日本がなっている、
その経済制裁に対して「非常に卑劣な国家テロ」と糾弾している。

どうしてその理屈に至るのかはさっぱり分からないが、
かまってちゃん国家でしかない。

武力ではなく、経済制裁をしているだけで、
非常に卑劣な国家テロとはどの点をさしているのだろうか。

北朝鮮には話は通じないし、ミサイルを飛ばすのが
趣味の見た目は大人中身は子供のトップが
自国民を苦しめているだけの、悲しい国なのだ。

東京に核ミサイルが落ちたら一瞬にして数十万人が即死すると
イギリスのシンクタンクが発表していた。
Jアラートが鳴ってから仮に5分猶予があったとして、
頑丈な建物や地下鉄に逃げられる人がどれだけいるだろうか。
こんなことがあっては絶対に行けないのだけれど、
北朝鮮という国家と呼ぶにも怪しい国が相手以上、
そういうこともある可能性があると考えておかなければいけない。
1年以内に首都が壊滅する地震が起きる可能性よりも、
北朝鮮からの攻撃が日本本土にある可能性の方が高いのかもしれない。