映画「ひとくず」を鑑賞した人達の中で「おいくず」というものがあるらしい…

沼にはまるようで何度も観に行きたくなるらしい。

他に観たい映画も増えてきたのと、

基本は同じ映画を何度も観ることはない。

ただ、ミニシアターの醍醐味なのか又観たいとなっても上演期間に映画館に行かないと観れない。

葛藤の中、なかなか平日は観に行けず、諦めかけたら日曜日にやっているので、勢いで観に行ってしまった。

ストーリーが分かっているからか、虐待として構えてしまう必要がなくなったから、

より登場人物達の気持ちの揺れがヒリヒリとダイレクトに伝わってくる。

主人公の人間くさい感じがいいのか、体当たりで思いつくまま被虐待のこどもを助けようとしているからか、どうしても子どもの母親を憎めれない刹那さに触れるからか、

子ども母親双方が助けられる感じが納得いくというのか、前回もだが最後のシーンで嗚咽をあげてしまわないか、こみ上げそうになると周りをみて冷静になる必要がある。

今回は舞台挨拶まであって、上西さんの人柄が益々どはまりしてしまいました。


さて、もともと私が若気のいたりで世界を周り海外の家族に目を向けたのも、被虐待の子ども達に触れる機会があり、その日は仕事にならないぐらい泣いて、この子どもちゃんは無理心中をしようとしたのだけれど、日本がおかしいのかもしれない、海外ならもっと愛情のかけ方が違うのではなんて考えてしまったからだ。

しかし、海外でも子どもは子どもらしく、母親は日本と何も変わらず、違うのは文化や風習だけだった。

でも、この文化の差が子育て親子を孤立させたり救いを気軽に求めれなかったりするように思う。


人生は余程の事がなければやり直せるし、命を削る程のことはそんなにない。

でも、追い込まれた人間は手段がないと思い込んでしまう。

私自身もたかだか仕事が出来ず職場で孤立して(いる気がした)居場所がないと思って消えたいと何度も思った。

退職するか凄く悩んだけれど転職して何に深刻になっていたのかと思うほどだ。


こどもを育てるという事は正解もなく、見本もない凄いことをしていると自信を持って貰えたらいいのになと

思いを広げながら堪能しました。

ステキな出会いにホンマ感謝



昨日に引き続き、連チャンで映画鑑賞

今日は「けったいな町医者」を堪能

今回はドキュメンタリーだし、がっつり内容と感情を整理します。


終末医療とか在宅医療とか、リビングウィルについてとか…

経験したり直面したから鑑賞したってのもありますが、これは在宅側から観るとまた色々な意見もあるんじゃないかなと思います。


冒頭に夫に先立たれ、1人で過ごす90過ぎの女性が転倒したと。

長尾医師は夫と過ごしたここで長く過ごしたいという本人の思いを確認した時に、それまでの女性の表情は一変してとても真剣な眼差しを向けつつ言葉に出来ない表情であった。

その眼差しと沈黙は、夫を支えた妻の表情で、自分が関わった経験を思い出させた。

普段冗談ばっかり言ってた患者さんが「あんたやからお願いするんや」と言われた時の事、

自分も障害があるのに家族を守る事を考えた時

今の生活のままでは過ごせない重い決断をお願いした時など

だからケアマネージャーさんが悪いとかでなく、ずーっと前からショートステイを勧めていたと言われても、今だから夫と過ごした家を空ける苦渋の決断をしたんじゃないかなと。

そりゃ、いつ転倒してもおかしない屋内を放置するケアマネやヘルパーなんていないので、

本人の強い意思を感じずにいられなかった。


夫に先立たれ不眠症の女性に「ご主人大好き病」やなと先生がさらっとおっしゃってて、この患者さんの経験、背景をみて診察されていることに感動した。

経過や背景を踏まえての診察なんて当たり前ですけど、実際に汲み取る先生達の力や、本人達の説明する力の両方がないと難しい。

支援者が事前に本人達から話を整理しておき、支援者が先生が分かりやすいよう端的に代弁しないと診察という特殊な場面では共有されにくい。

私は特に障がいのある方の支援をしているので医療が伝えたい事本人在宅が伝えたい事が共有し合える難しさを日々痛感している。

医療や福祉が日常の事であっても、その人にとっては人生で初めての事なのだ。うまく説明出来なくて当然だと思う。


大腸がんの術後でイレウスチューブ?を挿入して帰ってきた患者さんの話が出た。

本当にそんな病院あるのかな?と思って、ここの流れはちょっと苦手だった。

先生が説明を全くしてくれず、そのまま退院したとの事。だったらなんで在宅医療に繋がったのか、術直後の説明はなかったのか、

本人を前にステージ4よりの3と言っていたが、それなら開腹して思っていたより酷いなんて話はざらにあるように思うと、医療の不信感よりもっとする事あるんじゃないかと思った。

家族は仕方ない、唯一無二の母の事態を冷静に聞けるわけはない。

なら、術前は誰が本人と一緒に話を聞いたのか、本人が手術を選んだのを責めるのか、術後専門職だけでもう一度カンファレンスを求めなかったのか、家族と同じように主治医を責めても仕方ない。看護師、コメディカルを何故巻き込まないのか謎でしかなかった。

そこで長尾先生が「主役は本人さんやからね」の言葉でモヤモヤが晴れた。


誰もが経験したことがある後悔

私は両親と離れて暮らしていたのにも関わらず、最期に看取ることが出来た。

ホスピスには2泊程でその前に実家に帰ることが出来た。

父が希望を持っていたので効果が期待できない抗がん剤を何度もして、ステロイドが辛うじて効果がある時に旅行の計画を立てたが叶わなかった。そして最期の時に痛みがあるとのことで鎮痛剤を追加した。当日に浣腸をしたのも良くなかったのかもしれない。

でも、父は大好きな実家で青々とした田んぼで、この景色がええわといいながら、

気心しれた母の姉妹と冗談を言ってすき焼きを食べてビールまで飲んだ。

ホスピスまでの道は父が案内する程で、私は久々に父の側で寝ていた。

最期の最期は、母が病院に着くまで「頑張れ」と応援にこたえ母が到着すると目を見開き「ありがとう」と言ったのだ。

自分の父親だか、こんな格好いい生き様ないよなぁと思う。

そんな父親を思い出しながら、最後の豆腐屋さんの男性のシーンが感慨深かった。

そう奥さんは「こんな急に」と言いつつ「苦しくはなかったんでしょうか?」とたずねていた。誰が役割か分からないけど、今は元気だけど、もしもの事があり得るのなら、その話をしてたのかな、してたから正月みんなが顔を出したんかな、だったら奥さんもよく頑張ってたんだろなぁと。豆腐屋は休業にしているのも職人らしいし、その思いを大事にされたんやなと。

先日に私の担当した方が地域で亡くなったから余計に染みたのかもしれない。


振り返りとして、障害者相談支援専門員(ケアマネみたいなの)の立場として私の思いを整理したい。

私達は支援者であって主人公ではない。

人生をスタートするのも幕を降ろすのも本人、そして人生のサポーターは家族だと思う。

長尾先生は、とても目立つが「その人らしい生活」を尊重した伴走者だった。

相談員はもっとコーディネートするだけだし、お話を聴いて、本人の葛藤の整理を一緒にしていくだけだ。それでも、人生の一瞬に伴走させてもらえる事の尊さを改め考えさせられた。

例えば、本人が望まない、本当は選びたくなかったこと、治りたいでも難しい、受け入れたくないけど穏やかな死を選んだ、その選択をしたその人に寄り添わないといけない、そんな映画だった。

どうしても観たかった映画が観ることが出来た。

ひょんな事で知った「ひとくず」

大阪バリバリ感が期待を高まらせる。

以前に観賞したシアターセブン(前は七芸かも)

私は恋愛の心の揺さぶられ方より、

親子関係の歯に衣着せたような、黒か白か分けれない関係性というか、そんな話がどうしようもなく興味深い。

悪になりきれない悪、善になりきれない善というか、それが人間の複雑で儚げで、そしてとても貴い…

「母」で有りたいけれど一から築き上げていく土台のない役割より、

慣れ親しんだ「女」で自分の居場所を見つけようとして

自分しか担えない「母」の役割を果たせない惨めさ後ろめたさを表現していて

助けてくれなかった母を恨むと言いつつ、

助けれないのに本当は助けたい母の思いに気付きつつ確証が得れずもがく被虐待者の心の揺れが痛々しくて、ヒリヒリとする映画だった。

 

役者さんがいいのかな、関西弁の速さなのか、この速さなかで、揺れる心情とのギャップがいいのか撮影の仕方というのか、そこを撮って表現するのか!!と巧みで、ただの表情のアップではなく、スクリーンには映っていない人達の様子をこちらが想像出来るような投げ掛けられているようなアングルだったり、その表情の後が知りたいけど、そこは映ってなくて、こちらの想像力を刺激される。


だから「極端な表現」で観客を惹き付けようとしていると捉えられるかも知れないが、

対人援助をしてたり、家族の場面に触れる経験を積んでいる人にとってはリアルとフィクションの程よいバランスが今までの経験で得た私自身の気持ちの揺れを思い出させる。


最後のかねまささんが二人に叫んでいる言葉が「家族」そのものだった。

涙腺はとっくに壊れてたけど、おばちゃんが嗚咽をあげるわけにいかないので、めっちゃ我慢した。

あのシーン、あえてセリフを誇張するのではなく、自然なやり取りの中でも二人を思うかねまささん感が泣けて泣けて。


こんな事を言うと現実を知らないからとか甘い事を言っていると言われるかも知れないが、10か月お腹で守ってきた子どもちゃんを場合によったら母子共に亡くなるような過酷な経験を得て生まれたのに24時間365日本当に愛情がないものなのかと思う。

お金の無心に至るまでは育てられないと思ったのなら預けてしまえばいいのに、そうはならない。

葛藤からの矛盾の結果だけを「おかしい」と言っては支援にならないと思う。

この矛盾に至る葛藤に寄り添うことが人を支える援助なのでは、と。


ステキな映画とのご縁に感謝!!



音楽劇を観ました。

感想はまた後日で、なんか文書を書きたくなりました。

看護師から保健師、そして今は障がい者の相談支援をしている。

そんな経験からなのか、何となく歳を重ねてしまったからか人の心はとても複雑で、時に単純で欲まみれかもしれないけど、

1人では心は揺れなくて。

家族の中での感情は深いと考えさせられてしまう。


身近な人の死を経験したからかもしれない。

自分が出産や子育てを経験してないから、余計に考えてしまうのかもしれない。


本当に家族が生まれた時から憎くて憎くて

そんなのはあり得るんだろうか。

十月十日出産まで守ってたり、なんだかんだ一緒に過ごしているのに憎いってあるのだろうか。


お互いの思いが分かり合えないとか、

自分を尊重するために犠牲にする方法を選んでしまうとか、それは後からで


そんな心の揺れとか葛藤は本来はとても綺麗で尊いはずなのに。

そんな気持ちの揺れに向き合ったり受け止めたり出来ない時代になっているような。


戦争を経験した人達から受け継いだ人達は

人の感情の儚げで美しさを実感してたのではと思うことがある。


他人にどう思われようと、

このままでは生きていけないとか

誰にも認められない存在価値がないとか

それは「生」の尊さとは別の苦しさで


世界の家族達に何の違いも見出だせなかった

それを思い出して


たまたま人が亡くなっていく経過で

家族がこんなに葛藤を感じているのかと


葛藤はこんなにも辛くて尊く、美しいんだと

だから涙してしまうんだろうな。

決断力と考え悩まないのとは違うと思う。


躓き嘆き、悔やんだ時間は尊く色鮮やかに残っていることに、向き合うべきだと思う



何度も何度も自分に向き合ったり南アフリカケープタウンの写真を沿えて

昨日はシンフォニーホールで角野隼斗くんのコンサートに行きました。

シンフォニーホールはとても雰囲気があって、このホールで生演奏を聞いてしまった時にはどうなってしまうのか…と、想像出来ずにいました。

ギリギリまで仕事をして、大急ぎで会場へ。

そこにはショパコンコンクールを終え、

あっという間に周りの観客も角野くんの演奏の一部にしてしまうほど、

ここは角野くんの為の世界か?と思うような、

不思議な世界を包まれました。

ピアノも音楽もよく分かっていない私ですが、

音色、演奏の仕草、観客、ホールとキレイな景色で、ヒーリングをバリバリ受けてました。ポーランドに行ったことないけど、パリの夜散歩は街路灯のせいかセピア感を帯びて全てがアートで、なんだか昨日のホールもそんな雰囲気だった。

仕事帰りによるような所ではなかった…

けど徐々に、角野くんが角野くんらしく、happyを伝えて伝えて伝えてと!

ネピサマとかの角野くんになり、ノリノリで何度もアンコール応じてくれました。

磨きに磨いた技術って、同じ人間ではないなと本当に思う。

スポーツもそうだし、ハイキュー!!展も、音楽劇も何なのその世界!?って思う。

何回も何回も練習して積み上げて、本番に望んでて、でもそれは心なんだろね。

こんなおばさんが言うのなんだけど、鬼滅の刃で炭次郎が言ってたけど、人は心が原動力なんだよね。

この時間との出会いをありがとう


ストーリーについては、

ネタバレになるので、久しぶりのブログ


今日は音楽劇「海王星」を観賞してきました。

CASTから、もっと恋愛の物語かと思っていたのですが、出だしからお父さんを亡くして悲しむ猛夫さん…あれ?親子仲良かったんだと。魔子さんとのお話が盛り上がるのもショウ平さんとの話だし、2人の共通のショウ平さんに会いたくなっている自分がいてました。

音楽とダンスとストーリーが神秘的で浸ってたんですが、私の中で気になる点がありまして、

それは家族のあり方が違うんだと考えさせられたんですびっくりマーク

私や私の接している家族なら、感情をむき出しに泣いたり怒鳴ったりするより、もっと葛藤と戸惑いから、心の迷いを表現するかなと思ってしまったのですが、

燃えるような恋愛をしたわけでもないし、親からは剥き出しの感情をぶつけたり、けど子どもの幸せを考えて葛藤したりと、どちらもあるので、今日の親子は男同士になった親子なんかなぁと勝手に解釈しました。


私自身がもっと若くて経験が乏しかったら又違うだろうし、昨日、家族心理学会の研修受けても感じたからなのか、ユースケ父さんと裕貴息子くんがリアルだったのか、儚く切ないお芝居でした。

寺山修司さんの世界観が現代的であり、しかし音楽が独特の世界観で表現者は凄いと浸っていました。

明日からの仕事も逃避したくなる世界だけど、今しか感じれない事を大切にしていこう!

せっかく、えらい目に合いながら出国したのに、

わけも分からないまま入国させられました。


なぜ君達は入国するんだい??

って入国時怪しまれました。

そりゃそうだ。


航空会社のカウンターで話を聞いてみると

第3国に抜けるチケットがない(・・・Eチケットで帰国チケット取得済みですけど?)

ビザがない(・・・日本人は90日以内はビザいらないちゅねん)

私らは委託されているだけで、分からない!?


でたぁーーー!!!!ガクリ


カウンターのねーちゃん曰く

航空会社に委託されたから分からない

セキュリティーが判断したので、説明できないし、書面の表すこともできないという


じゃぁだれが説明するんじゃい


チケットを購入した窓口で聞いてくださいあんぐり


でたぁーーーー!!!!ガクリ

そんなん空港でも何故私らが搭乗拒否されたか説明できないのに

チケット購入窓口で出来るわけねぇ


いざぽんが旅行代理店に連絡し、Eチケットの説明をしてもらう。

すると次はビザがうんたらくんたらと言う


だいたんマンがJALのカウンターの人に相談し通訳してもらう

専門用語が飛び交う飛び交う。


で次に出たのが私らは分からない、ビザのことは知らないと


全然理解できない㊦㊦( ̄^ ̄

英語が?


イエイエ


搭乗拒否の理由がどーん


荷物を取りに行くのも一苦労


とにかく今日は出直そう

もう夜やし明日大使館に相談やなぁ


朝に出たのにスッカリ夜。

かれこれ空港に何時間いたんやガーン


後から飛ぶはずだったミカリンは一人USAなんだろう

先に今日の出国が出来なかったようちゃんとも連絡が取れない

どこにいるんやろうね


辛うじてようちゃんは同じ宿にいてネットをみて連絡が取れた。


明日合流の予定。

まだまだ続くよ困難の道。。。ガクリ


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大急ぎで購入したロンドン~ニューヨークのチケット

そして、カナダ(バンクーバー)~USA(シアトル)~(ホノルル)~関空のEチケット(ネットチケット)の控

さらに、ニューヨークの宿の予約の証明


こんだけあったら入国拒否はないだろう


いざ空港へ音譜


世界一周航空券を持っているミカリンとは別の飛行機でUSAで合流予定


スタッフ「そこで君らはなんで片道チケットなのか」

私ら「いゃいゃ、うちらはカナダから移動するチケット持っているんよ、ほら」


しかし。。。

ようちゃんが何やら揉めている

ようちゃんはプリントアウトする時間がなくノートパソコンにそのページを保存していたケド

保存したページがルートを証明するものではなかったらしい。


ロンドンーニューヨークの時差が激しく、アメリカの航空会社に連絡できす、

結局フライト日程を変更するしかなかった


さよならようちゃん、後日NYで会おう泣


しかし、うちらもなかなかアッサリとはいかない

カナダにはどうやって移動するのか


バスだよ


てかそのチケット、ホノルルもシアトルも通るんやで

帰国するんやで


何とか説得して、手荷物検査に引っ掛かりながら

モーダッシュで搭乗口へ


ひゃあ、時間ないやんけ


もーいっつも走ってばっかりやぁ


しかし。。。

何故か、またまた搭乗口でもチケットのチェックが


ボーディングパスも持っているのに


そしてやたらゆっくりチェックしやがる

質問がなんしか気にいらない


仕事は?(まぁ、まだ良しとしよう)

何で今日移動するの?(何?)

何で昨日チケット購入したの?(何?何?)

何のグループなの???(何??何??何?)


明らかに、誘導尋問に思える

なんか怪しいグループだと思っていそう


が、質問が中途半端ムカムカ


Eチケットもちゃんと調べているように思えない

今は何待ちなん?

ちゃんと説明してよ?


しかし、セキュリティの女はちょっと待ってしか言わない


いざぽんが

「なんかもう出発したんちゃうの?」という


そー搭乗口の表示が消えていたどーん


私たちは、訳が分からずせっかく出国したイギリスに再び入国させられた


ちゃんと説明する必要があるやろカチッ


と絡んでも

「コレは彼女の決断じゃなく、窓口が決めたことだからソコで話しなさい」

と別の女のセキュリティがいってきた


ソコってドコねん

ソコやらアソコやら舞わされるのが目に見えている


てめーがまず説明しろというが

彼女が決めていないから分からないという


女同士はアカン、人情もクソもない

そーこれが私たちの長い長いロンドンでの試練の始まりだった・・・ガクリ


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パリからバスでロンドンへ

バスが電車に乗り国境を越えました。


ロンドンはとても可愛い街だけど


高い、高すぎる㊦㊦( ̄^ ̄

地下鉄が初乗り900円ってのはありえないガーン


地下鉄を乗る時は1日券で地下鉄使いまくりです。


もーこれは旅なんて言ってられない

生きるか死ぬか

1ヶ月1万円生活もビックリのセコセコ生活です。


それでも大英博物館はタダなので行きました。


でもスーパーマーケットのほうがウキウキきらきら!!


まだニューヨークの方がましだ


ニューヨークのA-Worksに遊びに行く予定だし、


しかし、USAも片道チケットでは入国拒否されるそうだ。

USAには、往復チケットを手にするか、第三国に出るチケットを提示するかだ。


カナダとアメリカは特にパスポートのチェックが要らないほどバス路線で繋がっている

旅行会社に確認すると

カナダから第三国に抜けるチケットがあれば大抵大丈夫とのこと

カナダから日本へのチケットもコレを機に購入


近頃はネットで航空券が買えるんは便利ですねぇ・・・


そして、ロンドンからニューヨークの一番安い航空券を旅行会社で購入しようとすると

なぜか買えないというはてな5!


いそいで私たちは某航空会社へ直接問い合わせし

なんとかゲット出来た。


けど、なぜ旅行会社で購入できなかったんだろう・・・うう


その疑問は直ぐに解明されるとは

その頃の私たちは思いもよらなかった。


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ベニスからパリへは格安チケットをゲットし空路で移動。


あまりに移動時間が少ないのと、EU圏内だしいって国内線感覚だったのが災いし


機内持ち込みでみんな没収されるされる。

格安だけあって、預け荷物の重量制限が厳しいから

そっちに気をとられて手荷物の内容チェックがおろそかになったみたい


っていっても

みかりんも私も液体の量とかジップロックをするとかしてるから・・・

長旅の気の緩みか


ようちゃんは爪切り、

いざぽんはシャンプー、リンスー、マヨネーズにポン酢・・・

ポン酢を容赦なく目の前で破棄するあたり、やつらは鬼だと思った。


しょんぼりしてパリへ

パリ・・・?


って堪能する暇も無く、急いで都心部まで移動しないと電車が終わってしまう

バックパッカーズは最終電車に乗り込むアルコールの入った人達と走る


夜中にメンズが宿を探してくれてそのまま就寝

明日からなにしようかなぁ・・・


とりあえず凱旋門とエッフェル塔とシャンゼリゼ通りと・・・

すると、ディズニーランド発見


いざぽんと行っちゃうってことに。

手作りサンドイッテを持参

東京デイズニーよりコジンマリしてて、そんなに混んでいない

だからホトンのアトラクションは並ばない

アトラクションはファミリー向けでスピードもゆっくりめ


のため、ほんとファミリーだらけ

カップルなんてほとんど見ない、金曜日なのに???


地元の有名でないテーマパークのようで

こう考えると子ども達の為に休日アトラクションの順番並んだり、買い物もったり

日本のおとーちゃんは頑張っているのかもしれないなぁ


エッフェル塔はある時間になるとキラキラします

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