昨日に引き続き、連チャンで映画鑑賞
今日は「けったいな町医者」を堪能
今回はドキュメンタリーだし、がっつり内容と感情を整理します。
終末医療とか在宅医療とか、リビングウィルについてとか…
経験したり直面したから鑑賞したってのもありますが、これは在宅側から観るとまた色々な意見もあるんじゃないかなと思います。
冒頭に夫に先立たれ、1人で過ごす90過ぎの女性が転倒したと。
長尾医師は夫と過ごしたここで長く過ごしたいという本人の思いを確認した時に、それまでの女性の表情は一変してとても真剣な眼差しを向けつつ言葉に出来ない表情であった。
その眼差しと沈黙は、夫を支えた妻の表情で、自分が関わった経験を思い出させた。
普段冗談ばっかり言ってた患者さんが「あんたやからお願いするんや」と言われた時の事、
自分も障害があるのに家族を守る事を考えた時
今の生活のままでは過ごせない重い決断をお願いした時など
だからケアマネージャーさんが悪いとかでなく、ずーっと前からショートステイを勧めていたと言われても、今だから夫と過ごした家を空ける苦渋の決断をしたんじゃないかなと。
そりゃ、いつ転倒してもおかしない屋内を放置するケアマネやヘルパーなんていないので、
本人の強い意思を感じずにいられなかった。
夫に先立たれ不眠症の女性に「ご主人大好き病」やなと先生がさらっとおっしゃってて、この患者さんの経験、背景をみて診察されていることに感動した。
経過や背景を踏まえての診察なんて当たり前ですけど、実際に汲み取る先生達の力や、本人達の説明する力の両方がないと難しい。
支援者が事前に本人達から話を整理しておき、支援者が先生が分かりやすいよう端的に代弁しないと診察という特殊な場面では共有されにくい。
私は特に障がいのある方の支援をしているので医療が伝えたい事本人在宅が伝えたい事が共有し合える難しさを日々痛感している。
医療や福祉が日常の事であっても、その人にとっては人生で初めての事なのだ。うまく説明出来なくて当然だと思う。
大腸がんの術後でイレウスチューブ?を挿入して帰ってきた患者さんの話が出た。
本当にそんな病院あるのかな?と思って、ここの流れはちょっと苦手だった。
先生が説明を全くしてくれず、そのまま退院したとの事。だったらなんで在宅医療に繋がったのか、術直後の説明はなかったのか、
本人を前にステージ4よりの3と言っていたが、それなら開腹して思っていたより酷いなんて話はざらにあるように思うと、医療の不信感よりもっとする事あるんじゃないかと思った。
家族は仕方ない、唯一無二の母の事態を冷静に聞けるわけはない。
なら、術前は誰が本人と一緒に話を聞いたのか、本人が手術を選んだのを責めるのか、術後専門職だけでもう一度カンファレンスを求めなかったのか、家族と同じように主治医を責めても仕方ない。看護師、コメディカルを何故巻き込まないのか謎でしかなかった。
そこで長尾先生が「主役は本人さんやからね」の言葉でモヤモヤが晴れた。
誰もが経験したことがある後悔
私は両親と離れて暮らしていたのにも関わらず、最期に看取ることが出来た。
ホスピスには2泊程でその前に実家に帰ることが出来た。
父が希望を持っていたので効果が期待できない抗がん剤を何度もして、ステロイドが辛うじて効果がある時に旅行の計画を立てたが叶わなかった。そして最期の時に痛みがあるとのことで鎮痛剤を追加した。当日に浣腸をしたのも良くなかったのかもしれない。
でも、父は大好きな実家で青々とした田んぼで、この景色がええわといいながら、
気心しれた母の姉妹と冗談を言ってすき焼きを食べてビールまで飲んだ。
ホスピスまでの道は父が案内する程で、私は久々に父の側で寝ていた。
最期の最期は、母が病院に着くまで「頑張れ」と応援にこたえ母が到着すると目を見開き「ありがとう」と言ったのだ。
自分の父親だか、こんな格好いい生き様ないよなぁと思う。
そんな父親を思い出しながら、最後の豆腐屋さんの男性のシーンが感慨深かった。
そう奥さんは「こんな急に」と言いつつ「苦しくはなかったんでしょうか?」とたずねていた。誰が役割か分からないけど、今は元気だけど、もしもの事があり得るのなら、その話をしてたのかな、してたから正月みんなが顔を出したんかな、だったら奥さんもよく頑張ってたんだろなぁと。豆腐屋は休業にしているのも職人らしいし、その思いを大事にされたんやなと。
先日に私の担当した方が地域で亡くなったから余計に染みたのかもしれない。
振り返りとして、障害者相談支援専門員(ケアマネみたいなの)の立場として私の思いを整理したい。
私達は支援者であって主人公ではない。
人生をスタートするのも幕を降ろすのも本人、そして人生のサポーターは家族だと思う。
長尾先生は、とても目立つが「その人らしい生活」を尊重した伴走者だった。
相談員はもっとコーディネートするだけだし、お話を聴いて、本人の葛藤の整理を一緒にしていくだけだ。それでも、人生の一瞬に伴走させてもらえる事の尊さを改め考えさせられた。
例えば、本人が望まない、本当は選びたくなかったこと、治りたいでも難しい、受け入れたくないけど穏やかな死を選んだ、その選択をしたその人に寄り添わないといけない、そんな映画だった。