はじめは穴を掘ろうと考えていた。20人で掘り続ければどれだけの大きな穴になるだろうって。しかし,赤尾木湾の砂浜を掘り進めて行くと,多分すぐに海水がしみ出てきてそれ以上は掘れなくなる。そこで,山を作ることに決めたのだ。1時間目から6時間目まで全ての時間を使ったら,どれだけ高い山になるか。5年生の子どもだといっても馬鹿にはできない。いや,むしろ大人には無理だろう。単純作業過ぎて根気が続かない。

 七色に輝く奄美の海と突如現れる巨大な白い砂山。私たちにその景色はどんな感動を与えてくれるだろう。


 時は1ヶ月さかのぼる。「一生忘れない思い出を作ろう」という議題でみんなで話し合ったのだ。一生忘れないためには,これまでもやったことないし,これからも多分やらないだろうという内容でなければならない。そこで山作りである。実施日には,給食も止めてもらうことにした。おかずなし。親に塩おにぎりだけ作ってもらうことにした。午前中,ただただ山を作ってくたくたになったところに,塩おにぎりである。その日に感じる米のうまさは一生忘れない思い出を強化してくれるはずだ。

 平成9年2月20日,予報通り空は青い。1時間目のチャイムと同時に,赤徳小学校5年生の思い出づくりがスタートした。最初にスコップでひとすくいして小山を作ったのはアキオだ。山が高くなるにつれて,その周囲には穴も掘られていく。子どもたちは思い思いの場所に穴を掘り,そこから砂を運んで作ろうとしている山の頂上にかける。1時間目は,意気揚々であったのに,2時間目になるとほぼ全員,その作業に飽きてくる。そこで,担任の叱咤が飛ぶ。「一生忘れない思い出にするんだろ!」みんなしぶしぶではあるが,手は休めないから感心だ。本当に子どもは感心だ。
 昼頃には,高くなった山の頂上にスコップの砂が届かなくなった。しかし,遊びに関する子どもの知恵は底なしである。登山道を作ることになった。裾野からぐるりと螺旋を描くように道を作り,砂は教室から持ってきたバケツに入れて交代で頂上へ運ぶ。「ミネユキ,ふらふらするなよぉ。山が崩れるだろ。」いつの間にか現場監督になっている子がたくさんいる。みんなしてミスは許さない。言われる方はたまったもんじゃない。当然,言い返す。喧々囂々。

 昼食の時間になった。
「先生,卵焼き持ってきている人がいます。」と本気で怒り出す子。「先生,わんのおにぎりの中に唐揚げが入っていた。」半分泣き顔になって知らせに来る正直な子。親は,塩おにぎりだけじゃかわいそうだと思ったんだろうけど,おかげでまた一悶着であった。
「ずるい!」
「知らんかったし。」
「先生は,白おにぎりだけって言ったよやあ。」
 みんなで塩おにぎりをほおばり,顔を見合わせて「おいしい~。」と笑い合うという計画は見事に崩れ去った。しかし,これまた違う意味で楽しかった。忘れられない。
 6時間目まで力を合わせて,壮大な計画は遂行された。尾根を図ると4m以上ある。大人でも見上げる高さだ。さすがにくたくたになった子どもたちだったが,表情はうれしそうだった。さすが子供だ。これも忘れられない景色だ。

「6年生ではなく,どうして5年生で思いでづくりだったんですか。」取材に訪れた南海日々新聞の記者の質問で気付かされた。赤徳小学校が初任地だった私の任期は4年と定められている。延期はない。その年が最期の年だった。みんなの思い出づくりじゃなくて,私の思い出づくりだったわけだ。
  ありがとう,みんな。今もこの思い出は,私を支えてくれているよ。

 帰りの会。誰からともなく言った。
「先生,パン食べちゃだめですか。」
 その日,給食は止めたのだが,外注していたパンが人数分届いていた。みんな腹ぺこである。
「食べていいよ。でも,他のクラスの人には言うなよ。」
「やったあ。」と声をそろえてみんながパンにかぶりついた。牛乳もないし,ジャムもおかずもないけれど,プレーンのコッペパンは,子供たちが予想していたよりおいしかった。
「先生,パンおいしい。」
「ホントじゃや。」
おにぎりではなかったけど,みんなで笑顔を見合わせてパンを食べた。