人の心には
六つの世界がある
といわれている
 
 
地獄
餓鬼(がき)
畜生(ちくしょう)
修羅(しゅら)
人間
 
 
いわゆる
「六道輪廻(ろくどうりんね)」の世界
 
 
「人の心」と解釈したのは
自分の心を単純に観察した結果で
個人的な考え
 
 
今現在は誰でも‘人間’なのだから
業の種類や多少によって
来世は別の存在に生まれ変わる

ということではなく
 
 
今この瞬間に心が様々に変化し
自己の肉体はそのままの状態で
その場で
生まれ変わっているのが
「六道輪廻」だと捉えている
 
 
即身成仏のようなものに近く
一瞬一瞬のうちに
心が生まれ変わっている状態
 
 
 
一週間単位であっても
数時間刻みであっても
自分の心をじっと眺めていると
 
「今日は菩薩のような人間だった」
「随分と人に優しくできた」
 
という時もあれば
 
「自分の腹黒さはどうしたことか」
「こんなに醜い思考が自分の中にあるのか」
 
と思う時もある
 

実際に行動することはなくても
悪魔のようなことが
心に浮かんでいることに
意識すれば簡単に気づく
 

人のものを欲しがったり
恥も何も感じなかったり
 
争いごとを好んだり
妬んだり悔いたり
 
地獄に生きていると
感じる時もあれば
 
急に優しくなれたり
極楽にいる気分にもなる
 

心模様は見事に
輪の中を忙しく廻る
 

顔は平静を装って
涼しい顔を作っていても
 
心の中は暴風が吹き荒れていて
輪廻の回転の速さに
慌てふためいている
 

Eテレ・こころの時代
「マンダラと生きる」シリーズで登場した
六道輪廻図
 
 
 

たとえ天道に生きたとしても
肉体の死は
必ず経験することになるらしい
 

どの世界に生きていても
制限からは逃れられない
 

この六道輪廻の世界を
‘抜ける’ことで
人の魂は救われるとも
楽になるともいわれている
 

六道輪廻の生まれ変わりから
抜け出すというのは

そのしくみを少し遠くから
静かに眺めるということ
 

毎瞬毎瞬生まれ変わっている
その心の変化をそのままに
 
それが輪廻なのだと認めて
単なる存在の表現として眺める
 

あるがままの心の変化を
そのままに
ただ眺めるだけでいい

 
それだけで
六道輪廻を何度も何度も
生まれ変わっては感じる苦しみを
気楽に捉えられるようになる
 
 
輪廻転生を抜けるって
たぶんそういうこと
 
 
 
輪廻の輪の真っただ中にいたら
自分がどんな状態なのか
把握できないかもしれないけど
 
実況中継できるくらいに
自分を静かに眺めるということが
「輪廻転生から抜ける」ことに
つながっているような気がする