何かに対する苛立ちや怒りは、
 

これはこうあるべきだ
 
こうでなければならない
 
こうであってほしい
 

という
 
自分の固定観念や期待、
 
習慣づけられた思い込みの枠から
 
少しでもはみ出した存在を認識した時や

もしくは
 
自分の決め込んでいる基準に達していない
 
不足する部分を見つけた時に
 
湧いてくる感情です。
 
 
 
相手に責任があるのではなく
 
自分の勝手な判断から
 
怒りの感情は生まれます。
 
 
 
怒りの本当の姿を知らなければ
 
自分自身に怒りの種子(原因)がある
 
ということにさえ
 
気づくことができません。
 
 
 
そして
 
怒りを感じると
 
私たちは苦しみます。
 

苦しんでいるのは自分だけで
 
この気持ちを誰も理解してくれない。
 
相手にも分かるはずがない。
 
 
自分を苦しめた相手を苦しめれば
 
自分の苦しみはきっと和らぐだろう
 
とさえ考えてしまいます。
 
 
 

相手を罰することができれば
 
自分の苦しみは和らぐはずだと
 
簡単に信じてしまうのです。
 
 

実際には
 
その相手も
 
自分の苦しみを減らそうと
 
さらにあなたを苦しめようとする
 
状況になるだけなのに。
 
 

多くの場合、
 
怒りは誤った認識や無知、
 
理解や思いやりの欠如から生まれます。
 

苦しんでいる人は
 
その感情の扱い方を知らず
 
混乱もしているため
 
誤解したまま
 
周りの人のことを
 
さらに苦しめることになります。
 
 
 
 
これが怒りの連鎖です。
 
 
 
 
私たちは
 
相手も苦しんでいる
 
ということを忘れたときにのみ
 
過ちを犯します。
 
 

必要なのは
 
罰ではなく、
 
思いやりや理解です。
 
 
 
 
深く見つめて考えれば
 
こうあるべきだ
 
こうあってほしい
 
という
 
大事にしている観念が
 
人の数だけあることに
 
気づけるはずです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
次回
 
怒りの変容の仕方
 
綴ってみようと思います。
 
 
 
 
 
【参考までに】
 
 
そのときイエスは言われた。
 
「父よ、彼らをお赦(ゆる)しください。
 
 自分が何をしているのか、知らないのです」
 
 
(新約聖書:ルカによる福音書第23章より)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
自由ネコさま お昼寝タイム♪
あるがままに生きる
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ふふ
なんか教会で聴くお話のような文が
出てきた(*´艸`*)
 
(行ったことも聴いたこともないけど~( ̄▽ ̄))