すべての存在が自分。

 

ということは

 

すべてが自分ではない

 

ということでもある。

 

 

自分なんて、おらん。

 

 

 

なーんてことを思いながらも

 

誰かの眼を

 

じっと見つめながら話すのは

 

苦手中の苦手。

(単に面倒なだけかも…)

 

 

相手も自分、なはずなのに( ̄▽ ̄)

 

 

 

 

 

 

 

阿部さんの本を読んでいたら

 

阿部さん流の対人対策(?)が

 

紹介されていた。

 

たぶんこの本?上矢印

 

 

 

 

 

誰かのヒトミを見るときに

 

そのヒトミの奥から

 

自分自身がコチラを観ている

 

と考えてみる、のだとか。

 

 

 


自分が自分を観ているんだな~

 

と考えて誰かに接していると

 

なーんだ、そっか!

 

と思えませんか、と。

 

 

 

 

たしかにホッとする。

 

自分が自分を観てるだけ

 

と思ったら安心♪

(ビバ単純なオレ( ̄ー ̄;)

 

 

 

 

 

 

やさしく観たら

 

やさしさがこんにちは。

 

 

厳しく観たら

 

厳しさがこんにちは。

 

 

 

 

 

与えるものが、受け取るもの。

 

 

 

 

 

 

ちょっと試してみたら

 

いろんな意味で深すぎて

 

ドキドキしたけど

 

気は楽になった。

 

 

阿部さんに感謝(〃∇〃)

 

 

 

 

 

 

 


青空に白梅の香り

映えるよね~(´∀`)

 

 

 

 

 

そういえばなんか

 

羽生くん効果で

 

萬斎さんも盛り上がり気味♪

 

 

萬斎さんを観ていると

 

「さみしさ」を受け取るトキがある。

 

 

今は、羽生くんを観ると「さみしい」。

 

 

五輪が一旦落ち着いたから

 

自分が「さみしい」と感じているのではなく

 

「さみしさを内包している人」に見える

 

とでもいうか…。

※しっかり説明せい!

 

 

 

 

「孤独」ではなく、「さみしさ」。

 

 

 


さみしいのは、それでイイことだと思う。

 

感謝、喜び、しあわせを

 

たくさん感じられているからこそ

 

起きてくるのが

 

「さみしさ」だと解釈してるから。

 

しあわせが薄いのが、「孤独」で。

 

 


孤独ではない、「さみしさ」。

 

 

 


勝手な自己投影???

 

だったらごめんなさい。

 

 

 


華やかさや麗しさ、

 

しあわせと同時に

 

切なさやさみしさを感じると

 

なぜか、キュンとするのだ。

(この世遊戯の一種かな)

 


ま、そういうのを経験するために

 

そういう気持ちのコントラストで

 

遊ぶために

 

みんな生まれてきてるんだけどね(´_`。)

 

 

 

 

 


梅とお月さま

 

ココロの美しい人には見えませぬ( ̄▽ ̄)