すばらしい傾聴を

 

実践されている人って

 

きっといるんだろうな。

 

 

人の話をしっかりと

 

思いやりを持って聴ける人。

 

 

そんな人って素敵だし

 

周りに人が集まっていそう。

 

 

 

自分も聴ける人でありたいけれど

 

どちらかといえば

 

自分が語って甘えたい気持ちが

 

ふんだんに湧いたり

 

全く話したくない時もあったりで

 

せめぎ合う(;´Д`)ノ

 

 

 

しんどい話は

 

フィクションでもしんどいし

 

実話でもニュートラルに

 

判断をせずに聴いていると

 

能面のような反応になる。

 

(どういうこっちゃ)

 

 

 

 

 

 

 

お正月にずっと読んでいた下矢印

 

 

誰にでも伝わるようなコトバで

 

語るように書かれていて

 

言い回しも難しく感じず

 

非常にわかりやすかった。

 

 

金言ばかりで

 

付箋ばかりになったけど(;´Д`)ノ

 

 

 

 

 

今なんとなく思い出したのは

 

 

 

思いやりをもって

人の話を聴いていると

 

それだけで

その人の苦しみが和らぐ

 

 

聴いている「ふり」は

気づかれる

 
 
という一節。
 
 
 
 
たくさんの人の話を
 
聴いてきた釈一行さんの
 
実感からくる真実。
 
 
 

ありがたや(T_T)
 
 
 
 
 
 
ただ
 
人の苦しみや怒りを聴きすぎると
 
どうしてもその影響を受けるものだから
 
 
そんな時は
 
日常生活で苦しみを表さないもの
 
たとえば
 
 
木々
子ども
 
などに触れるようにしましょう
 
という助言が書かれていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
なるほど
 
自分は人の話を聴くタチでは
 
ないけれど
 
 
自分が自分に
 
内に向かって
 
苦しみや怒りの感情を
 
無意識に聴かせて
 
影響を受けているかもしれない。
(いやきっとそう)
 
 


「怒り」という

 

強めな印象の感情ではなくても

 

小さな苛立ちや不満

 

自分に向けて

 

ぶつぶつとお経を読むように

 

いつのまにか聴かせている。

 

 

 


だから人って

 

自然に触れることがいいのかな。

 

 

人ってどうしてあんなに

 

自然を見つめて

 

触れ合うんだろうと

 

思っていたけれど

 

そうやって自分を癒してるのかな。

 

 

 

 

無意識だと思っていたけれど

 

自分で自分を癒す術を

 

バランスをとる方法を

 

誰もがきっとわかっていて

 

実践してるんだな。

 

スゴイな。

 

 

 

 

そんなことに

 

気づかせてもらった(〃∇〃)

※ちょっとちがう方向

  行っちゃったかな

 
 
 
 
 

思いやりを持って

人の話を聴いていると

 

それだけで

その人の苦しみが和らぐ

 

 

聴いているフリは

気づかれる

 

 

 

苦しみやイライラに

影響を受けた時は

 

苦しみを表さないものに

触れるといい