金子みすゞさんの作品で

蓮と鶏」という詩を最近知った↓

 

 

 

 

泥のなかから

蓮が咲く

 

 

それをするのは

蓮じゃない

 

 

卵のなかから

鶏が出る

 

 

それをするのは

鶏じゃない

 

 

それに私は

気がついた

 

 

それも私の

せいじゃない

 

 

 

 

 

読んだ瞬間

 

おぉ!金子みすゞさんも

気づいてたんだ…

 

となぜかひとり納得した(^_^)

 

 

釈徹宗さんはこの本の中で↑

二項対立(相対性の世界)の連想で

この詩を紹介されていたけど

 

 

泥があるから蓮が咲くとか

間違うから正解がわかるとか

 

 

どちらも必要な関係とか

そーゆー対比的なことではなく

 

 

蓮は自分で咲こうとして

咲いてるわけじゃない

 

 

鶏は自分で出ようとして

卵から出てくるわけじゃない

 

 

気づこうとして気づいたのも

自分の意図ではない

 

 

それに気づこうと

自分で考えてから

気づいたわけじゃない

 

 

自然にそうなるように

できているだけ

起きているだけ

 

 

ということを

詩にされたんだなと

自分は思った。

 

 

 

 

 

自分が自分じゃないから

自分を自分だと思える話。

(認識できる時点でそれは自分ではないという話)

 

 

ただ起きているだけの世界に

右往左往している人間。

 

 

物理的に無限過ぎて

検証する暇もないけど

 

 

「わたし」がすべて自由意志で

やっているように見えて

実はそうではない世界のこと。

 

 

自我だけで生きていると

すべて自分の意識でやっているように

思えはするけれど

 

 

実はそーではないという世界に

気づいたという詩「蓮と鶏」。

 

 

大いなるすべてや

阿頼耶識の働きに気づいた詩だと

解釈した。

 

 

 

 

 

維摩さんも釈徹宗さんも

柔軟で幅広くて大好き(^^)

 

 

 

釈さんが

スピ系物理学者さんと対談したら

おもしろそう♪

(敬遠分野かな~?)

 

 

 

そんな他愛もない願いが湧いた

きのうの満月の夜。

 

 

 

 

ずっと眺めていると お尻からシッポが生えてくるゼ

 

 

 

 

 

最近読んだ本たち

 

 

今回はスピ系に関心がない人も読みやすそう

あいかわらずズバッ!と軽快なバシャール♡

 

 

 

岸見さんの論文調の文章は賢い人向きだけど

やっぱアドラー好き♡

 

 

 

 

楽しい楽しいミステリーではあるけれど

こうやって打ち込んでるのも…

 

 

 

 

 

 

「私じゃない」( ̄▽ ̄)