『子どもをのばすアドラーの言葉

 子育ての勇気』を読んだ。

 

 

 

 

 

アドラー式の子育てがもっと広がれば、

世界はホント、変わる、と感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもがなぜ問題行動をするのか。

(アドラー分析は最初は抵抗があるけど、納得できる)

 

 

 

 

叱らなくても言葉で説明すればいい。

(対人関係でも同じ)

 

 

 

 

 

「言葉で説明しても理解できない」

と思うから叱る。

(わかりますから!大声出されると入るものも入らんわ!)

(あ、「子どもだから理屈を言っても分からない」と

 息子さんを厳しく稽古する萬斎さん思い出した( ̄▽ ̄;))

 

 

 

 

 

(責任の量は違うだろうが)

子どもを親と対等と見ていない

(介護や仕事でもいえること)

 

 

 

 

子どもは親のために勉強しているのではない。

(人は誰かの期待を満たすために生きているわけではない)

 

 

 

 

褒める育て方をすると

褒められなければ適切な行動をしない

子どもになる。

(貢献感を教えられていない、教えていないとこうなる)

 

 

 

 

「あなたのために言っている」という

愛情に隠れた支配

(怖いよう(>_<))

 

 

 

 

「子どもが自らの力で責任を取れない」

とみなすから、子どもの人生に介入する。

(固定観念って自分で気づかないからマジ怖い!)

 

 

 

 

子どもを信頼・尊敬していない

(まず気持ちが先!)

 

 

 

 

 

子どもを自分と対等とは見ない人だけが

子どもを頭ごなしに叱ったり叩いたりする。

(対等だと教えられて育っていない大人はやりがち)

 

 

 

 

「こうあってほしい」という

親の理想から引き算しない

(誰だってこんなんされたらイヤやん!?

 理想の子・親・配偶者・恋人・友人・人間関係の

 設定されてからの引き算ゲームってなに(T_T))

 

 

 

 

 

子どもは生きているだけで有り難いと思う。

(誰だっていてくれるだけでありがたい存在)

 

 

 

 

子どものことは親が一番よく知っている

という思い込み

(自分中心性の万能感って恐ろしい!)

 

 

 

 

 

子どもについて、

分からないことがあってもイイ。

(大人同士だってわかんないよ~)

 

 

 

 

 

「叱る」にしても「怒り」の感情を伴っている

(叱るも怒るも同じこと)。

 

 

 

 

手を出さなくても、

叱るのは正義ではなく復讐のための体罰

(「躾とはそういうものだ」という観念を変える勇気が必要)

 

 

 

 

「即効性」を求めて、大人は怒りの感情を使う

(いうこと聞くのは恐怖から。一時だけのこと)

 

 

 

 

 

子どもの勉強に口を出すのは

「いわないとしない」と決めつけて

子どもを信頼していないから

 

 

 

 

子どもは自分の課題を自分で解決できると

信じて見守る(放っておくということではない)。

 

 

 

 

子どもは自分より下だと思うからこそ叱れる。

(大人たちが「知る」だけでも、違ってきそう)

 

 

 

 

 

 

 

 

などなど分析がなされた上で、

 

 

じゃあどうするか

どういう言葉を使うかという

いろいろな対処法や

具体的な子育て方法が満載o(^-^)o

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ま、最後の最後はコレ下矢印かなと個人的解釈

 

親が自分の人生を楽しんでいない家庭ほど、

子どもがそれをもれなく反映するというか。

 

 

 

 

 

 

どんな親御さんを見ても、

「悪い」んじゃなくて、

「下手」なんだなって思えたら、

 

 

見てる側も気が楽になる。

 

 

 

「間違い」ではなく、単に「知らない」だけ

 

 

 

 

 

子育てにも「勇気」と「技術」が必要みたい。

 

 

 

 

 

アドラーや岸見さんの言葉って、

子育てだけじゃなくて

人間関係にすべて通じるものがある。

 

 

 

「子ども」を「人」に置き換えれば、

人と人との対人関係の話になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何か知らんけど、グングン読める、

素直に「読んでよかった」本だった。