ご無沙汰の投稿ですが、忙しいのと体調が少し悪かったので...さぼってしまいました。
このところ大気が不安定で夕方から少し
晴れました。南西の空に怪しげな雲発見!竜巻なのでしょうかね?

本題とそれてしまいましたが、
『生きる意味』
前に、かなり体調を崩して、精神的にも
とても疲れて、全ての欲が
なくなってしまった事がありました。
それは勿論生きるということに対しても、
朝起きると「あぁまだ生きてる」
そんな罰当たりな考えが当たり前の毎日
まさに『生きる意味』を失っていました。

そんな毎日でも、励ますわけでもなく
怒るわけでもなく、心配をあからさまに
することもなく、普通に接することを毎日
続けてくれた友人がいました。

初めはその友人との会話すら苦痛でした。
それでも、会話の中で何した?何食べた?
など当たり前の会話を続けてくれました。
すると徐々に自分で1日を振り返り、
少しづつ、前向きに考えはじめたのですが
今、考えるとそこで「なんとかなるよ」とか
「頑張って」とか「そんなでは駄目だ」と
言われていたら、もっと自分を追い込んで
いたことでしょう。
もちろん、その友人も普通に接するのは
大変だったに違いありません。

半年以上もかかり、普段通りの自分に
なんとか戻れたときに、その友人は
死んだ魚のような目をした私を見るのは
とても辛かったと話してくれました。
もしかしたら本当に生きる事を諦めていたかも...その時はそれくらい病んでました。

だとしたら、今の自分はその友人のお陰で
立ち直り前向きになれたようなもの。

こんな自分が誰かの役に立てるかもしれない。そうして一念発起。
今に至ります。

ひとりでは気付けないこともあって
でも大抵答えは自分の中にあって
それを認めるのが、不安だったり、怖かったり
自分で気付かなければ行動は出来ないし
普通に寄り添うことが一番大切で
一番難しいと改めて思いました。

それを一緒に気付かせてくれた友人には
とても感謝したいのと、大切な気持ちで
いっぱいです。

それぞれにそれぞれの『生きる意味』が
あって、当たり前のなかでは気付き難く
それに気が付けるのも、確率的には低い
だからこそ自分を理解してくれる誰かは
とても大切なのですね。

例え、人生が短くても長くても偉大でなくても
自分なりに『生きた価値』『生きた証』が残せて
自分で納得できる人生を送りたいと
今は思えるようになり、とても穏やかに
前向きに生きていると自分では思っています。

そして、こんな素晴らしい友人が
寄り添って居てくれるのは
とても幸せなことですよね。