INNOCENCE
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新しい神社の杜を考える-神と人と建築-

週末、僕の尊敬する建築家のひとりである隅研吾氏のお話を聞いてきた。
対談のお相手も、オークヴィレッジ株式会社代表の稲本正氏ということで、ちょっと変わった切り口でお仕事をされているお二人で、興味深いお話が飛び交っていた。


途中ハイデガーの、


「建築とは橋である。」


という言葉を引用しながら、何かと何かをつなぐのが建築であるとおっしゃっていたが、
モノをつくるということは、誰かのために、誰かに何かを伝えたいからつくるんであって、独りよがりのモノづくりはあり得ないんだということを再認識させられる場でもあったように思う。

本来ならば、デザイナーはこうした考え方を持つべきはずだが、特に、人間の身体に一番近い衣服をデザインするデザイナーが、完全に着られないような、ショーのための一人よがりの衣服を発表する度に、僕はある種の違和感のような嫌悪感のようなものをずっと感じてきた。

ヴィクター・パパネックが以下ような言葉を残したように、多くのデザイナーは誰のためにモノづくりをしているのだろう。

「いまやデザイナーは危険な人種となった。マス・プロダクションのなかで、人目をひく<刺激的>なだけのデザインがまかり通り、不必要なだけでなく有害な製品は地球を汚しつづけている。」

「最近のデザインの多くはつかの間の欲望や欲求のみにこたえてきた。別の面からいえば、人間が本当に必要としている要求はしばしばデザイナーによって無視されてきたのである。」

「デザインは、人間の本当の要求にこたえるような道具となるのでなければならない。(中略)そしてわれわれは、デザインのまずい品物や構造物で地球そのものを汚すのをやめなければならない。」

ヴィクター・パパネック 『生きのびるためのデザイン』


モノづくりは、ある種の社会的行為であると思うし、社会と何かしらのコミュニケーションをとるべきはずなのだ。今回お話されたお二人は、独自の『言葉』をもって、きちんと現代社会とコミュニケートしながらクリエーションをされていて、分野は違えど目指すべき指針となる方々でした。



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