私が勤めていた会社は、インドネシア系の建設会社で社長はパキスタン人。
リビア支社には、パキスタン人、インドネシア人、フィリピン人、
南アフリカ人、中国人など多国籍なスタッフが約半数、現地のリビア人が残りの半数を占めていた。
かなりインターナショナルな会社だが、それぞれ人によって仕事の進め方も考え方も異なる。
リビア人スタッフの中でも英語を話せる人はごくわずか。
秘書、翻訳など事務を行う女性や一部の若い世代(20代)とは意思疎通が出来るが、
その他のスタッフは通訳してもらわないと言いたいことが伝わらない。
できるとしても、挨拶など簡単な英語を話すくらいだった。
大学まで出た人は、ある程度英語が出来るようだった。リビアでの大学進学率は約7割と高い。
英語に関してはかなり個人差があり、なんとか意思疎通はできるといったレベルから
読み書き、文書作成、通訳ができるレベルまで様々。
私が一緒に仕事をしていた女性達は皆とても有能だった。
私が助けを求めるのはいつも彼女達だ。
女性がテキパキと働き、各部署で活躍していた。
経理で働くザラは大学を出て間もない20代前半の女の子。とてもしっかりしていて、
私とスタッフ間の通訳をよくお願いしていた。
彼女は、物資輸入手続き、交渉時の銀行とのやり取り、契約書の作成など重要な部分を担っていた。
契約書にはアラビア語と英訳をつけているので、翻訳業務という役割もこなしていた。
他にも、プロジェクトリーダーをまとめる部長の秘書カティ、
ビザの発行や飛行機の手配などを行っているジジ、渉外部門で働く切れ者のスマヤ、
物資調達部門でいつも忙しく働いていたナディアとアマール。
みなとても優秀で働きものだった。
給料は女性と男性では若干差があるようだが、初任給、未経験事務職員だとだいたい
500LYD~600LYDスタート。(日本円にして4万円~5万円)一年働いたらまた、少し昇給するといった形だそうだ。
15年以上のキャリアがあるカティは、1500LYDと20代女子の倍近くもらっていた。
他の会社の給料の相場を聞いても、一般職の女性はだいたいそんなところだという。
また、技術職などになってくるとお給料も少し変わってくるそうだ。
リビアでは1970年代~1990年代頃まで、英語教育などが一切禁止され、
アラビア語だけの教育だった為、現在30代以上の人々はほとんど英語が話せず、職場では苦労している。
と言っても、私の会社の外国人スタッフ(インドネシア人、インド人など)も適当にしか話せない人が多かったので、
よくそれで仕事の指示伝達、説明が出来ているものだと感心していた。
言ってみれば、みな適当だということなんだけれど。
私が仕事を一緒にしていた女性たちの中で、
パキスタン人のザラ、ナディア、ユーゴスラヴィア出身のスマヤ、ギリシャ出身の元ステュワーデスのカティは、
リビア女性より英語が堪能だった。リビア人の女性は簡単な英語はわかるという程度だった。
ザラに、小さいときの夢は何だっとのかと聞いてみたことがある。
彼女は大学進学の際、本当は星が好きで、天文学を学びたいと思っていた。
しかし、リビアの大学に天文学を教えてくれる学科はなく、海外の大学に行くしかない
。
それはとてもお金のかかることで、出来なかったし、たとえ彼女が海外の大学で天文学を学べたとしても、
リビアでその知識、技術を活かすことはできない。
会計士だった父親の薦めで、経理を専門に勉強したのだという。
リビアの女性の就学率はかなり高いと聞いた。
とくに大学に進学する人は男性より女性のほうが多いらしい。
男性は仕事を早くから始めたり、兵役があるといった事情も絡んでくるのだろう。
会社の人事部で働くある男性は、動物が好きで獣医になったが、
高額の医療器具などを購入することができず、設備の乏しい環境で働かなければならず、
また動物を救うことより殺さなければならないことが多かったので、辞めたのだと聞いた。
給料も安かったので、今の方がずっと稼げていると言っていた。
とくに医療関係は給料が安く、環境が整っていないようだった。
せっかく大学で勉強しても、産業の少ないリビアでは、
社会に出てからその知識を活かすことができないというのが現状のようだ。
普段は仕事に追われ忙しくしている彼女達も、普通の年頃の女の子。
流行の服やアクセサリーや鞄には目がない。ファッション雑誌などはなく、
書籍類は一切輸入されていないため、情報源は繁華街のお店であったり、TVやインターネットの情報だったりする。
旦那さんがリビア人パイロットのカティは、たまに海外ファッション雑誌を会社に持って来てくれていた。
通信手段としては、携帯が主なツールで、最新のものが出回っているし、みな携帯で写真をとったり、メールを送ったりと、私たちと変わらず生活必需品として使いこなしている。
デジカメなどは高級品で持っている人はいなかった。
彼女の達の勤務時間は朝8時から夕方5時頃までで、週6日働いていた。
休みは金曜日、土曜は半日休み。仕事が終わると会社の乗り合いバスに乗る人、
家族が迎えにくる人、自分で車を運転している人、それぞれの手段で家にまっすぐ帰宅する。
女性が立ち寄れるカフェと呼べる場所もあるのだが、
会社帰りに寄り道するということは、ほとんどないようだった。
仕事が終わり帰宅すると、女性たちは夕飯の支度や家の仕事を手伝うのが日課だ。
男女の役割分担がはっきりしていて、家族とのつながりが強いリビアでは、
母親の手伝いを娘がするのは当然で、男性は家族を守る意識がとても強い。
リビアは車が唯一の交通手段なので、会社で乗り合いバス(小型のバン)が用意されていて、
女性達の送り迎えをしている。8人乗りのバンが毎朝夕、決まったルートでそれぞれの家を回っていく。私も当初このバスで通勤していた。
毎朝、所定の時刻にバスが家の前に停まり、
既に乗車している女子に「サラマリコーン、グッドモーニング」と挨拶をして乗り込む。
その後、何人かまた拾いながら会社へと向かう。
アラビア語のノスタルジックな曲がいつも流れていて、朝の野菜市場を横目に砂埃の道路を走っていると、いつも何とも言えない郷愁に似た甘い空気が私を包んだ。
このバスの時間が、私と彼女たちが一緒にこの国で生活しているという感覚を与えてくれていた。
リビアの女性は家にいることが多い。
外出は必ず家族単位で出かける。
食料品や生活用品などの買い物に出かけたりする以外はほとんど家にいるといってもいい。
女性同士でお茶でもといったこともあると思うが、そういう時はやはり家で。
男性は仕事が終わり、酒場は無いけれど外に出かけることも自由だ。
喫茶なる場所で男性だけが集まり、タバコを吹かせ、お茶をすすり談笑している姿をよくみかける。
水パイプなどを吸う場所なども多くあった。
女性が一人で出歩くということはまず無いし、
職を持っている女性でも、両親の許可を得ずに外出することはないようだった。
そんな彼女達の楽しみといえば、友人、親戚に招かれる結婚パーティ。
その夜はどんな両親も夜の外出を許してくれる。
リビアのウェディングは女性と男性が別々で行われるのだ。
別々に行うって何の為に?と思ってしまうのだが、
周りの目を気にすることなく肌を露出したドレスを着ることができるので、
おしゃれをして出かけ、皆でお祝いをするそうだ。女性だけで。
基本的に厳粛なイスラムの女性は一切肌を見せない格好をしている。
頭にスカーフを巻き、ロングスリーブにロングスカート。それはあくまで外に出るときだけであって、
家の中ではどんな格好でもいいそうだ。室内では自由。
だから、女性にとって家の中というのが一番居心地のいい場所といえるのかもしれない。
ある時、カミルのバースデーパーティをやろうということになった。
彼女達にも是非来てほしいということで、誘ってみたが夜はだめだと断られた。
えーでも会社の同僚だし、ご両親も知っている人達ばかりじゃない?!と説得してみたが、
どうやらそういう問題ではないらしい。
夜の外出、さらに開催場所は独身男性の家。
これはかなりタブーなようだ。どうしても外出する場合は、両親か兄弟が同伴しなければならないという。
今回はそこまですることではないので、昼間に会社近くでランチをして、お祝いしようという事になった。
すべてはこんな調子なので一体この子達は、どこで彼氏や結婚相手をみつけるのだろうかと心配になる。
あるとしたら、学生時代の同級生、職場、親戚の紹介といったところだろうか。
公の場に自由に、独身女性が出かけることはできないので、
ほとんど出会いはないといっていいのかもしれない。