『住宅事情と生活』

 

 

友人のふーがオーストラリアに帰ってしまった後、

カミル達が使っていた大きい部屋に移る。

 

ベッドもタンスもいいものが置いてあったので、

他に揃える必要はなかったがエアコンのリモコンがなく、

温度調節が出来ず夜中に何度も消したりつけたりしてよく眠れない日々が続いた。
 

 

 

しばらくして会社の人にお願いして、

全部屋に照明をつけ、絨毯も新しいものに変えてもらうと、

誇りまみれで陰気くさかった雰囲気が一変して、

靄がはれるようにハッキリとした印象を持ち、空気も変わったように思えた。
 

 

なんとか最低限快適に過ごせるよう整え、

そんな生活を2ヶ月ほど続けたが、

たまに断水したり、洗濯機は結局なく、

インターネットは繋がらずそれ以上に住環境が改善されることはなかった。
 

 

 

住居近辺は、家ばかりが並びスーパーらしきものはなく、

唯一小さな売店のようなお店が家から5分ほどの大通り近くにあった。

 

 

水道水は飲まないようにしていたので、

会社帰りに買えないときは飲料水は歩いてこの売店に買いに行った。
さすがに5ℓくらいまでしか持って帰れなかったが、

砂埃の足場の悪い道をたった5分往復するのも億劫になるほど、

無遠慮な男達の眼差しや野次にさらされて歩くのは気の滅入る作業だった。
 

 

 

売店近くに八百屋があり、昔ながらの青空市といった感じだった。

暑いのに空調もないまま外に出しっぱなしなので、

いつも野菜や果物が腐りかけたまま放置されハエがぶんぶんと飛んでいたので、

買う気にはなれなかった。
 

道々に男連中がたむろしている為、すべての動きを凝視される。

まるで動物園のめずらしい生き物を見るかのように、

好奇心と得体の知れないものをさぐるような眼差しだった。

 

「チャイナ、チャイナ」など、わけの分らないヤジを歩いている間中あびせられ、

歩き続けられるほど神経も図太くなく、ふらふらと用もないのに

出歩くような雰囲気では全くなかった。
 

 

 

 実際、女性がふらふらと出歩くということは、

ほとんどないようだ。それも一人で。

女性は出かけるときは、必ず2人以上で連れ立って歩いている。

 

 

カミルからは一人で出かけてはいけないと言われ、どこにも出かけられず、

かといってカミルは遅くまで仕事をしていて忙しく、

誰かが連れ出してくれるわけでもなく、

会社と家の往復のみで家に監禁されるような状態だった。
 

 

 

 

当てにしていたビモ弟は愛想が悪く、

私は彼の家に招かれることは一度もなかった。

用がなければ接触することはほとんどない。
 

 
 

 

インターネットは繋がらず、家でだれかと話すこともできない私は、

TVを置いてもらうことにする。

リビアでTVは一番といっていいほどの娯楽なのだ。

こちらに来てすぐの頃、ザラと日本の話をしていたら、

 

 

「ちびまる子」が大好きだと言っていた。

アラビア語のまるちゃんが放映されているのだ、凄い!

 

 

「ちびまる子」がこんな国でも有名だなんて。

 

ザラがまる子、まる子と連発するたびにおかしくて仕方がなかった。

「ちびまる子」で描いている日本の風景は、

昔からあるごく平凡な日本の家庭と平凡な女の子の日常だ。

 

おじいちゃんとおばあちゃんがいて、家族の団欒があって、兄弟喧嘩があって。

そういう風景と今のリビアの風景はどこか似ているのかもしれない。

 

 

決してすごく裕福ではなくても、家族のぬくもりとか、

友情とか、ささやかだけど平凡な日常の中にある喜びとか、

そういうものは世界共通で分かち合えるものなのだなぁと思った。

 

そんなTV事情を聞いていたので、日本のTVも見れるかもしれない!と期待が膨らむ。

 


 

会社にお願いして、業者に取り付けに来てもらう。

業者が来たのは、夜の十一時を過ぎた頃だった。って遅すぎるだろうが。

 


取り付けを頼まれた兄ちゃんはかなり調子のいい人で、

しょっちゅう海外に行って遊んでいるだとか、ベラベラよくしゃべる。


「もっとリビアを楽しまなきゃー」としきりにパーティーがあると誘ってくる。


「外国人の友人がたくさんいるから何でも手に入るし、

週末は毎晩のようにいろんな家でパーティーをして楽しんでいるんだよー。」だと。
 

 

 

ずっと、家に監禁されている私にとって、

出かけられるのであれば何だって魅力的なのだが、

 

「私一人の責任でここで暮しているわけではないから、

あなたと出かけるわけにはいかない」と丁寧に断る。


そうかそうかと残念そうにしながら、兄ちゃんは早速作業に取り掛かる。

アンテナを取り付けるために私も一緒に屋上にあがって見物する。

 

 

 

「この家は1階にも人が住んでいて、アンテナがあるのだから、

いらないんじゃない?」と思い聞いてみたが、

それぞれTV1台に1つのアンテナをつけているのだとか。

使うチューナーが2種類あって、アンテナの受信向きが違うのだそうだ。

だから集合住宅などで、ドでかいパラボラアンテナがダンボの耳のごとく、

軒並み置いてあるのか。

わたしには、効率が悪くひどく無駄のように思えた。

 

 

もう一人の助手が部屋に降り、アンテナから垂らしたコードを、

窓枠の外に空けた小さな穴から部屋の中に通して、TVに接続する。
屋上にいる兄ちゃんはパラボラアンテナの方向を合わせるため、

部屋の助手と携帯で連絡をとりながら調整する。OKだというので、一緒に部屋に降りる。

 

 

「映ったー映ったー!TVだー!」

 

 

こんなことでも数ヶ月ぶりにみる映像に感動する私だった。

 

喜んでいる私を見て、

兄ちゃんも、「よかったよかった」と微笑んでいる。
 

 

 

リモコンの使い方、チャンネルの設定の仕方などを丁寧に教えてもらう。

この兄さん、うちの会社で何でも屋的な仕事を請け負っていて、

色々なものを調達してくれるらしい。

 


「何か必要なものがあったり、困ったことがあったら、いつでも連絡してね」

と彼の名前と番号が書かれた名刺をくれる。

 


「シュクラン(ありがとう)」

 

 

案外、いい人みたいだ。
 

 

 

彼らを送り出した後、早速取り付けたばかりのTVの設定をする。

 

リビアで見れるTVは日本でいうBSなどの衛星放送で、

私のチューナーは電波をひろえる幅が狭い為、チャンネル数は少ない。

主にアメリカのFOX、CNN、あとはよくわからないアラビア語のドラマやニュース番組などを見ることができた。
 

 

国内に放送局などはなく(新聞社などメディア関係はない)

リビアでは専ら衛星放送がすべてだ。

そのお陰でか、取り付けてしまえば、無料で世界中の番組を見ることができる。

カミルが家でつないでいるハイグレードのチューナーTVは、

ほぼ世界中のヨーロッパ圏からアジア、アメリカまで網羅しているため、イギリスのBBCやヨーロッパ中のニュース、日本のNHKなどを見ることができる。

 

 

 

わたしの取り付けてもらったチューナーで日本のものは見れなかったが、

何はともあれ、今まで全く何もなかったことを思えば、家に人の声とか喧騒みたいなものが感じられ、とにかく嬉しかった。
 

 

いままで一人でいることやTVのない生活は全く平気だと思っていた。

が、ここでの監禁生活では全く自由がなく、つまりフラッと街に出かけたり、

誰かに会いたいと思っても会えないし、インターネットも繋がらずかなり孤立した状態だった。

 

  

 

 

「選ぶことができない」ということと

「選択肢がある」ということの間には、

大きな隔たりがあるのだ。

「選べる」ということが、どれほど豊かで自由なことなのかを痛感したのだった。
 

 


この家で生活を始めて2ヶ月ほど経った頃、私の限界も頂点に達しそうだった。