『住宅事情』
リビアに来てすぐ、会社が用意してくれた住居は、
長い間誰も住んでいない空き家だった為、ほとんど何もない状態だった。
かろうじてベッドとマットレスは清潔なものがあり、トイレとシャワーからは水が出た。
私の住居は一軒家の2階にあり、
1階は支店を任されていたビモ兄弟の「弟家族」が住んでいた。
1階部分だけは綺麗に塗装され、もちろん各部屋に家具も備えられ、
ダイニングには大型のTVやオーディオセットが並べられていた。
1階に住むビモ弟は、小さな女の子と小学生くらいの男の子の二人の子供と、
ベビーシッターでありメイドの女性と4人で暮している。
奥さんはインドネシアにいて一緒に住んでいないそうだ。
なので、家事や子供達の世話はメイドの女性がすべて行っていた。
2階の住居に上がるには、1階のサブエントランスから入らなければならず、
玄関ホールの横にある階段から2階に上る。
1階入り口はエントランスホールのようになっており、
ビモ邸に続くもう一つのドアがある。
1階のドアと2階のドア、それぞれに鍵があり、プライベートが守られている。
1階入り口のドアの鍵の具合が悪く、メイドの女性に開けてもらわなければならないことも度々あった。
2階部分も1階同様、全部で寝室が3部屋、
ダイニング、キッチン、応接間、トイレ&シャワーが2箇所といった具合だ。
家族で住むのに充分な広さがあった。
廊下からそれぞれの部屋には絨毯が敷かれている。
誇りっぽく長い間放置されていたのが一目でわかる。
ベッドが置いてあるのは、2箇所。大きい部屋には木製のクイーンベッド、
壁一面サイズの大きなタンスが置いてある。
もう一つの小さな部屋にはスプリングの悪そうな簡易シングルベッドが2台あるのみ。
最初の一週間はカミルと彼の恋人であるふーが大きい部屋に泊まっていた為、
私はもう一方の小さい部屋のシングルベッドに寝ていた。
がらんとしてベッド以外に何もない部屋。
裸電球が天井から無愛想にぶら下がり、エアコンのカタカタとなる音だけが響く。
服や物を置く場所は何もなかったので、スーツケースを広げて使用した。
この部屋で毎朝目覚めるたび、自分は一体どこにいて、
何をしているのか、悪い夢でもみているような寂しい気持ちになり、
これからどんな生活が待っているのかと、やけに心細い気分になった。
とりあえず、トイレとシャワーは問題なく使えたが、洗濯機がなかった為、
洗面所のタブに水を溜めて手で洗う。
洗濯板がほしいと思った。昔の人はこうして毎日洗濯していたのかとしみじみする。
シーツなどの大きいものは流石に洗えなかったので、
洗濯機を取り付けてほしいとカミルにお願いすると、
「ビモのメイドにお願いすればいい。彼女の給料も会社で払っているのだから、
気にする必要はないよ」と言われ、
さっそく1階のメイドさんのところにかごを持っていく。
片言の英語が通じたので、身振り手振りで洗ってほしいと頼む。
ちょっと嫌な顔されたが、とりあえず引き受けてくれた。
メイドの女性はインドネシアにいた頃から、ビモ弟の家でメイドをしていて、
ビモ弟がこちらに来ることになった時一緒に来たのだという。
彼女にも今面倒をみているビモ弟の娘と同じくらいの子供がいて、
旦那と子供を置いて単身赴任しているというのだ。
「どうして一人でこんな所まで来たの?国で家族と一緒にいたいでしょ?
他に仕事はないの?」
とぶしつけだが質問を投げかけると、
「別に単身赴任は珍しいことじゃないし、ここのほうが給料がいいの。
私が家族を養っているから。特に嫌だとかは思わないわ」とさらっと答えてくれた。
この家の下の女の子は3歳くらいで、とても小さくてよく泣いている声が
上まで聞こえてきていた。
まだこんなに小さいのだから、いくらシッターさんがいるとはいえ、
お母さんから離れて寂しいのだろう。
彼女の母親はめったにリビアには来ないらしいのだ。
翌日、会社から帰ると、彼女に頼んだ洗濯物は、
綺麗にたたんで2階のドアの前に置いてあった。
さて、自炊しなければ生きていけないのでキッチンをチェックする。
ガスコンロは長い間使っていなかった為か砂埃で汚れている。
ガスボンベを買ってきてガス栓につなげなければならない。
冷蔵庫は置いてあったものが使えそうだ。
調味料などすべて用意しなければならないが、とりあえず何とかなりそう。
キッチン用のテーブル、といっても白いプラスチックのよくベランダなんかに置くような
簡易テーブルとイスを置き、
しばらく朝食は、キッチンの窓を開けてそこでとることにした。
窓を開けると気持ちいいのだが、とにかく砂埃が勢いよく入ってきてしまうので、
いくら掃除しても床もテーブルもイスもいつもざらざら。
しばらくすると朝食をも自分の部屋に持っていって取るようになった。
つづく