被害者~加害者のループから抜ける | 無言歌 songs without words

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自分解放。素の自分で生きていく。

このブログにお越しくださってありがとうございます。

 

今日の写真は、湖。

静かな湖面に、ほとりの様子が映っています。

静かになると、いろんなものが映ります。

 

lake

 

ここでは、以下は法の範囲内でのおはなしとします。

 

 

被害者と加害者は

エネルギーが似ていると私は感じます。

そして、表裏一体のようにも思います。

 

心底被害者になり切っていくと

それは加害者を責めるエネルギーと近くなり

しまいには被害者は加害者のようになってきます。

 

すると今度は加害者が

被害者に責められることになり

加害者が立場変わって被害者のようになってきます。

 

「あの人が私に害を与えた」

と、加害者が責めて被害者が生まれる。

 

「あの人が私に害を与えた」

と、被害者が訴えて加害者が生まれる。

 

加害者は、被害者がいるからこそ存在できる。

被害者は、加害者がいるからこそ存在できる。

 

感染した人は

「害を及ぼしかねない」加害者なのか。

「害を及ぼして責められる」被害者なのか。

 

感染していない人は

「害を及ぼされかねない」被害者なのか。

「害を及ぼした人を責める」加害者なのか。

 

そのどちらの心理にも

はびこっているのは「恐怖」・・・だと感じます。

 

恐れから人を見ると

自分とその人の関係は

「被害者と加害者」になってしまう。

 

加害者になりたくない恐怖があると

被害者でいる方が気が楽だったりします。

 

今、自分を加害者にしかねない人を

猛烈に排除したがる集合意識を感じます。

「加害者になりたくない」

「責められたくない」

 

なぜなら加害者になると

被害者にもなってしまうからです。

 

そんな「被害者-加害者」の無限ループから

抜け出た境地もある。

 

淡々と

自分の内面だけを

じっと見つめて生きる境地。

恐怖さえも受け入れて見つめる境地。

 

すると恐怖は姿を変えて

冷静な判断の基礎となってくれる。

怖れは、とても力強い

生きるエネルギーにもなると

私は感じます。

 

恐怖からではなく

優しさから人も自分も見ることで

そのエネルギー転換が起こるように

思います。