前回は神霊に降りてもらい啓示を受けるというところまででした。

今回はその次の日、ワタシに起きた変調を書きたいと思います。

 

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なぜワタシは生かされているのだろう(1)《夢と発熱》

なぜワタシは生かされているのだろう(2)《これって除霊?》

なぜワタシは生かされているのだろう(3)《除霊と降霊》

なぜワタシは生かされているのだろう(4)《神霊をお呼び出しした日》

 


 

これらの続きです。

 


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引き抜き(除霊)ができ、

神霊も降りてもらえることがわかり!母の周りの方々は二代目ができたと、にわかに浮き足立っています。

 

 

それを感じるたびにヒリヒリとした感覚があります。

 


神霊も降りてくださるとわかった次の日。

 

 

目覚めると声が出なくなっていました。

 

 

声帯を痛めたとか、痛くて声が出ないとか、そんな雰囲気ではありません。

 

 

 

あー と言っているつもりが、はー としかでません。

 

息だけが出て声はでません。

 

 

 

どうやら自身に起こった変化に、精神的についていけなくなってしまったようです。

 

 

 

修行をしてできるようになったのであれば違ったでしょう。

 

 

 

18歳の時、浜松を出て東京に行く。

ジュエリーの勉強をするためでした。

 

 

その祭に、サイキックで一人で暮らすのはかえって怖いだろと封印しました。

 

気配はたまにわかっても、いっさいヴィジョンは視なくなったのです。

 

そこから数年が経っています。

 

いまさら、サイキックに戻ろうとは思ってはいなかったのでした。

 

 

 

ですから、なんの覚悟も、練習も、何もなくこの日をむかえてしまったわけです。

 

 

そういえば、浜松へUターンして引っ越したその日、

神霊から「神事のはじまり」と一言言われていたなと

思い出しました。

 

 

としても、それは3月のことで、今は9月。

準備も何もありません。

 

 

 

このときのワタシは、はっきりした未来予知ができるでもなく、霊視ができるでもなく、宇宙語(ライトランゲージ)が口をつくでもなく、サイキックに多く見られる要素は微塵も現れていなかったのです。

 

 

 

母はライトランゲージをしゃべる人でした。

当時はライトランゲージという言い方はしませんでしたね。

 

 

宇宙語、神界語、などと呼んでいました。

 

で、同時通訳までやってました。

 

 

もっと意識的に記録しておけばよかったと思います。

 

でも、その瞬間にとって大事なのでしょうから、今、それがあっても仕方が無いのかもと思います。

 

 

 

 

話を戻します。

 

◉憑依されている場合、身体から外せた。

 

◉神霊のエネルギーをミーディアム(霊媒)さんに降ろすことができた。

 

◉人生経験も浅くて何も役に立た無い。

 

それだけしかできないワタシに何がつとまる?

感覚でつかんだだけのものに意味があるのか?

 

 

 

当時は「それだけ」って思ってしまいました。

 

 

今なら普通じゃないと思えるかもしれませんが

井の中の蛙大海を知らずです。

 

 

でも、ずっと、「それだけ」の呪縛がワタシについてまわります。

 

 

 

その場で役に立つ

霊視(ヴィジョン)や

霊言(チャネリング)。

 

 

なぜ、そちらの要素が開かなかった?

子供の頃は多少は見えていたじゃ無いか・・・。

自分に対してがっかりだったのですね。

 

 

なんて独りよがりだったのかと、今は恥ずかしく思っていますがその時は世間を知らない20代。

エゴが勝っていたのです。

 

 

 

子供の頃から霊現象を見てきたといっても20代の世間知らずです。

 

自分へのがっかりと、母の周りの方々から押し寄せる、2代目への期待の思念はワタシを怖気付かせるに充分でした。

 

 

 

母がおこなってきた霊的現象に対する対応には、尊敬と畏怖の念があります。


祝詞をあげるでもお経を唱えるでもマントラをつぶやくでもなく

柏手(かしわで)と九字を切り、

呼び出したらすぐに降りてくださる。

 



シンプルに事が起きる、降霊。

 

 

 

そして何より、尊敬するのはどんな案件もすべて丸く収まる。

 

 

暴れまわる悪魔化した霊体であろうと、動物霊の憑依であろうと、金神さまの怒りであろうと。

 

(金神(こんじん)さまは方位の神様で、その怒りはとても怖いものとされている。土地の問題ではよくある案件。金神の在する方位に対してはあらゆることが凶とされ、特に土を動かしたり造作・修理・移転・旅行などが忌まれる。この方位を犯すと家族7人に死が及び、家族が7人いない時は隣の家の者まで殺される(これを七殺(ななさつ)という)と言われて恐れられた。)

 



周囲からは簡単そうに見えたかもしれません。

ほとんどの案件で丸く治るのですから。



でも、家族の視点からみたら

身体も精神も大変なことをしていると感じていました。



その大変さを見ているから、ワタシには無理!ワタシは嫌!という思い込みもくっつけて、母のように忍耐強い人間ではない、自分へのダメ出しもしていたようです。

 



もしも、同等を求められたら?

失敗しない保証は?

 

失敗したら自分の命も危ないかもしれないけれど

多くの人に影響するかもわからない?

そんな不安がワタシを萎縮させました。

 

 

 

その日、母には指圧治療の患者さんが何人もまっていて、ワタシにかまっているどころではありません。

 

 

 

声が出なくなって、会社を休んで、実家で丸くなっていると、心配してくれた母の仲間のミーディアムさんたちが、入れ替わり立ち代り様子を見にきてくれました。

 

筆談です。

 



とは言っても何も言葉が浮かびません。

ただ、怖いとしか出てこないのです。

 

霊体そのものや、悪魔化した霊体が怖いのか?と聞かれても違うのだけれど表現できない。

 

 

 

そうではなくて、

ワタシ自身がどうなるのか怖くてたまらない。


もしも自分をなくしてしまったら?

ワタシが及ぼしてしまう影響が

みなさんに迷惑をかけるかもしれないと思うと怖い。


母とはできることも考え方も違う、中身がまるで違う。


だから、同じことができたとしても母のようには絶対になれない!

 

 

今でこそ、エンパス(共感力が少し高い)の質が多少あることがわかり、周りの期待の思念を受け取りすぎてパニクっていたのだと解釈できます。

 



でも、当時は何もわからなかった。

ワタシ自身は、自分が霊現象に興味があったわけではなかったから理解がなさすぎた。

 

この時点では、降霊、浄霊、お祓いの要素が強い

エネルギーワーカーになったと気づいていなくて

 



ただ母が言った

『 時が来た 』の言葉通り、ワタシの中にあったタイマーのようなものが作動して、なるべくしてなってしまった。

 

そう思っていたのでした。

 


 

 

声という、表現するのに一番伝わりやすい方法を封じてしまうことで、役割から逃げたいという気持ちを表していたのかもしれません。

 

 

世間知らずの愚かさですが、きっと今なら降霊も、占いも、セラピーも同等に感じるかもしれません。

 

 

 

当時は、降霊の責任の大きさに圧倒されていたのです。

 

当時のワタシの周りでおきていた霊現象は優しい物はありませんでした。

 

 

 

霊現象とは別に、神霊からの啓示を受け取りたい方々のご相談は、とてもシリアスでストレートに人生を左右するわけです。

 

会社を買う、売る、今でいうM&A。

 

生まれてきたお子さん(孫)が両性具有。

 

子宝、逆子、家を建てる、結婚が良縁かどうか。

 

などなど、ありとあらゆるご相談事なわけで。

 

 

神霊から啓示を受け取る。

 

それは素晴らしいと思えるものでした。



ですが浄霊にあっては、

呪縛霊、事故死霊、戦死霊
動物霊の障り
病いで亡くなった苦しみを表す霊
産後の肥立ちが悪くて亡くなった霊
借金から一家心中したという霊 

などなどなど

苦しみ あがき 訴える

そんな霊体の浄霊を 嫌という程見てしまっていたのです。


(母は昔々週刊誌、本、テレビ、に出たことがありまして、日本中から様々な方が治療のために来院されていました。時代で言えば宜保愛子さんのもう少し前です)



考えれば考えるほど ビビって尻尾を巻いて小さくなってしまいました。

眠れぬ夜をあかしました。

声は出ないまま次の日になります。

自宅にいても何もどうにもならないと思い

実家に行き、神前に額ずきました。

 



神前で母と一対一。

その日は人払いをし、誰もいません。

向かい合い、右手と左手、左手と右手をつなぎます。

母は目を閉じて語りだしました。



『 Fさんでも 降霊はできなかった。

それは見たでしょう。

アナタしかできない。

だからと言って やりたくなければ いつでも やめればいい。

大丈夫、何があっても ワタシが アナタの後ろに居ます。』



この言葉を聞いた時、ようやく 声がもどってきました。

母の声であって母の声でなく、ワタシには神霊からの声だと感じられました。

 

(Fさんは母に治療で助けられてから秘書のように母を助けてくれた方。後から詳しく聞いたらワタシがいない合間に霊感体質やミーディアムの方々に、降霊が出来るのかどうか試していたらしく、5人お試しして全員できなかったらしいのです。)

 




『やりたくなければ いつでも やめればいい。
 大丈夫、何があっても ワタシが アナタの後ろに居ます。』

この言葉でワタシの心は解けたのです。

二人で神前に向き、柏手を打ち 低頭。

神霊に 降霊師の道を歩みはじめると ご挨拶させていただいたのでした。

 



この 3ヶ月後、母が脳梗塞で倒れます。
直接指導を受けたのは正味3ヶ月間。



神事、入院している母の看病、ジュエリーコーディネーターの仕事、この3つをクルクル走りはじめました。


本格的に 降霊師・審神者として 歩み始めるのは1996年初夏のこと。



◉神霊に降りてもらい直接神示をもらうこと。

◉土地や建物は 除霊と浄霊の両方。

◉霊の発している周波数を変えて、いくべきところに解放すること。

◉訴えが強く 困っている霊とはネゴシエート(交渉)するように会話を積んで納得の上、解放すること。


これらに重点をおいて活動するのですが

そんな色々は また あらためて書いていきたいと思います。

 

9/10が忘れられない日になったストーリーは、この辺りでお終いにさせていただきます。


なぜ生かされているのか?

『生きる』ためです。

 

生き切ることは魂をツヤツヤ、ウルウル、スベスベな

光り輝くものであったと感じきるためです。




降霊師・審神者になって20年。(これを書いた当時)

はじめて書いてみた私的な記録です。

乱文のうえ長文をお読みいただきありがとうございました。

 

これからも、よろしくお願いいたします。

 

 

 

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