こんにちは。おるいです。
久々にまとまったメッセージを頂いたので、更新いたします。
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人生にはそれぞれの楽しみ方があります。
はやく頂上を目指すことのみを目的とした山登り、道すがらを楽しみながらゆっくりと登っていく登山もあるでしょう。
山を登らない人もいるでしょうし、山の上で生活をしている人もいます。
たまに下山して食料を買いに降りてくる人もいれば、トレーニングのために一時的に標高の高いところで生活をする人もいます。
山菜を摂る人もいるでしょうし、魚釣りをする人もいるでしょう。
焚き火をしてのんびり生活をしている人もいれば、毎日木を何本切れるかの記録更新を目標とした生活をしている人もいるでしょう。
山の麓で花を愛でている人を、あなたは無理やり頂上に引っ張っていきますか?
凄くシンプルですよね?しかしあなたたちは実生活においてこれに似たようなことを行っているのです。
こっちの遊びの方が楽しいから全員ついてきなさい。と言うようなことを聞いたことはありませんか? 今の社会を見るともっと強制的に行いを強いられているところも見受けられますね。
人生には色々な楽しみ方があるのです。単一にする必要性はありません。
もちろん手を取り合ったサポートは存在します。頂上を目指したいのだけれど、足がなかなか痛くて歩きにくい。そう言う人へのサポートは、本人が本当に望みさえすれば現れます。
団体で山登りをすることもあるでしょう。それがダメだと言っているわけではありません。ただ単に団結はすべての個の同意の元で行われているというだけのことなのです。(そのことをしっかり自覚するようにしてみてください。)途中で下山を望む存在への介入もできないのです。
すべてには自由があります。
あなたが「良い」と思っている生き方や遊び方であっても、それを他の存在に無理矢理当て込むことはできないのです。
あなたが「幸せ」と思っている生き方や遊び方であっても、それを他の存在に無理矢理当て込むことはできないのです。
「あの人は悪いことをしているから正さなければ」「あの人は不幸に見えるから幸せにしてあげなければ」「ooの為」という言葉を使う方もいらっしゃいますが、まず正し、幸福にしてあげるべきは己であることを自覚してください。
あなたの見ている世界で、不幸な存在が現れるのは、あなたが悲しみに触れるのは、あなたの選択だということです。
この理解は少し難しいかもしれませんが、あなたは右側を見ることも、左側を見ることもできるということです。
右側を見ている時、あなたの世界に左側の世界は存在していないように、
左側を見ている時、あなたの世界に右側の世界は存在していないように、
あなたの見ている世界が、世界なのです。
シンプルな表現をしましたが、結局のところそれが真実です。
山の麓で花を愛でている人をお誘いすることはできますね。
「今から山の頂上に行こうと思うのだけれど、一緒に行きますか?」と。
しかし相手が「いいえ、私はここで花を見ています」と言えばそれまでなのです。
すべての存在は個々がそれぞれに自らの意思でそこにいます。
ルールという言葉では表現できないものではあります。法則と表現する方が正しいのでしょうか、他の存在に対しての自由への介入はできないのです。
同様にあなたに対して他の存在が介入することはできないのです。
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最後までありがとう。
知恵をありがとう。愛をありがとう~。
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