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ママはどこにいるの

新聞記事より

悲しみと復興の思い
大震災3カ月 

東日本大震災と東電福島第1原発の事故から3カ月となった11日、被災地では、追悼のつどいなどが開かれ、悲しみとともに復興への思いを新たにしました。

ママはどこにいるの
両親と姉亡くした少年


東日本大震災の津波で両親と姉をいっぺんに亡くしたあの日から3カ月。日日、宮城県石巻市の辺見佳祐くん(7)は、両親の遺影に手を合わせることはありませんでした。

佳祐くんは、両親と姉の遺骨が置かれる父方の実家に向かいました。しかし、父方の実家に着くと車から降りることはありませんでした。叔父が「申に入ろう」と声を掛けても、何も言わず携帯ゲームを続けました。

叔母の日野玲子さん(51)は「ひつぎが並んだ部屋を見ているからですかね。入りたがらないんですよ」と話します。

激震のとき、佳祐くんは学童クラブにいました。車の整備業を営んでいた父親はいったん無事を確認しに来ました。その後、父親だけ自宅に戻りました。

4日後、親族が確認したのは路上の車中で亡くなっている父母と姉、祖母の姿でした。

叔父は佳祐くんを避難していた小学校に迎えに行きました。ほっとした表情でしたが、津波被害をまぬかれた父方の実家に着くと、両親がいないことに気づき「ママはどこにいるの」と涙をこぼしました。

親族が病院にいると話すと「どこの病院。会いたい」とまた泣きました。
3月18日、父方の実家に検視を終えた4人の遺体が来ることに。親族は「4人一緒に津波で死んだんだよ」と初めて伝えました。

「やっぱりそうだったの」。佳祐くんは、泣くことなく答え、こう続けました。「分かったから(話は)もうやめて」。それ以来、両親の話をしなくなりました。

最近、テレビのコマーシャルを指さし「ここママといった」と話すようになりました。食事など外出を楽しむ家族でした。サッカー漫画の映画パンフレットを開くと「お姉ちゃんと見に行った。ママも」。震災直後は、「お姉ちゃんのだから」と遊ぶことがなかった携帯ゲームを、いまは手放しません。

6月日日午後2時46分、午前中に墓参りなどを済ませ石巻市内の自宅にいると、地域の防災無線から「黙とう」と声が響きました。

佳祐くんは、大好きな仮面ライダーのカードの話を楽しそうに続けました。(藤川良太)

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