「敵意」というものの理解が助けになる。


敵意とは自分自身と、


直視することが怖い自分自身についての事実との間に、


障壁を立てようとする血迷った試みである。


しかし敵意は寸分も彼自身を守ってはくれない。


そもそも敵意とは、その人自身の中に存在するものなのだからだ。


防衛武器としてみた場合、この敵意なる代物は、敵の家を焼こうとして、


暗闇の中で勘違いして自分の家を焼いてしまう馬鹿者のようなものである。


緊張は人間の葛藤によって生じるのではなく、


人間の葛藤が緊張によって生じるのだ。そして、緊張はすべて、


幻想が現実であると証明しようとする無駄な努力の結果である。


われわれが自分自身について抱いている想像上の観念をほぐす時、


永遠のくつろぎが到来する。


想像された自己イメージは常に下意識のものであって、見えない。


だから人は彼の緊張をそれと結び付けて考えることが難しい。


いいかえれば、人は自分の自画像が、


現実といつも対立抗争関係に立たざる得ず、これが尽きることのない


緊張と苦悩をきたすのだとは悟ることができない。


これさえわかれば彼は解放される。


繰り返すが、永遠のくつろぎは、


われわれが自分自身についての想像されたアイディアを


ほぐすときに、来る。

あなたは、あなたが戦わないあらゆる人とあらゆる環境を制する力


を持つ。あなたが戦うあらゆる人と、あらゆる環境に制せられる。


有害無益な戦いは、あなたの力が宇宙環境とは無縁のものだと


する誤った考えからなされるのである。


それゆえ、力を持とうとするあがきが力を無くするのである。


力を持とうとするあがきの放棄こそが、われわれを宇宙の力と


結びつけすべてを征服するところの力を生みだしてくれる。


われわれの自由は、われわれがどれだけの事物から離れて


いられるか、その数によって決まる。


われわれは間違って高く評価したものからは、


なかなか離脱できない。たとえばエキサイティングな、


しかし無意味なかかわり合いからは抜け出せない。


執着しないということが秘訣である。




youtube永遠は時間を越えた「今」にある

みなさん,よく聞いてください
あなたが死んでも持っていけるものは、このクラス
で学んだことだけです。
この教室で学んだことだけを、あなたは永遠の世界に持っていくことが

できるのです。あなたが永遠の世界に行くために、死ぬのを待つ必要は

ありません。理解しさえすれば、今ここで永遠の世界に行けるのです。
あなたは今ここで、永遠の存在になれるのです。

そうなったら、肉体的な死は、全く違った意味を持ち始めることでしょう。
なぜならあなたは、肉体的な存在そのものではなくなるからです。
つまり、Aという地点で「私は生きた状態」であり、それに対して

Bの時点で「いつか私は死ぬ」ということではなくなるからです。
もし自分は「命」なのだと認識しているとしたら、

あなたは「死」を恐れることになります。
AはいつもBを恐れ、それでも、Aとして生き延びるためには、

Bが必要だということになるるのです。
これほどの矛盾はあるでしょうか。
自分自身と調和して生きるという事は、
世界、宇宙と調和しているということです。
時間を越えて存在することで、相対するものがなくなるのです。
ですから「死」と相対する「命」はなくなり、「命」に相対する
「死」もないのです。
そこには「永遠」という状態があり、つまりそれは「今ここ」なのです。
「今ここ」はこの部屋にあって、
人間が作った時計時間、ОО時という時間の隣に存在しているのです。
あなたの肉体は今ここに、ОО時にここにあり、
この世界に同調しているのです。
あなたの肉体ではない何か、あなたではない何か、、、
それが「永遠」として存在していると理解することもできるのです。
だから、私達は「時間」と「永遠」の両方に存在することができるのです。
あなたが「時間」たけに生きようとしたら、
「命」の反対である「死」を恐れることになるのです。
喜びに満ちて生きていると思っている人たちも、

その状態が終わってしまうB地点を恐れているのです。
そうですよね?分かりますか?
相対するものが一切ない、喜びに満ちたワクワクする生き方もあります。
あなたが存在しないという、大いなる意味での「ワクワクした喜び」に

生きるということです。
思考は決して「永遠」に気付くことはありません。
思考がなくなることが「永遠」への気付きなのです。
「思考」は「時間」そのものです。
思考は、9時のバスに乗ろう、食事を5時に作ろう、、、

とおもうことはできますが、
でも思考は、時間を越えたものを理解できないのです。
でも私達は、肉体を持つ存在として、9時にバスに乗り、
同時にハーティーに行くワクワク感でバスに乗る時には、
いつパーティーが終わるのかとか、

そんなことは関係ない状態でもいられることを、

理解しなくてはなりません。なぜならその時私たちは、

時間にとらわれていないからなのです。


欲求不満の原因はなんでしょうか?


答え

簡単なことです。欲求が反対に出会うとフラストレーションが


起こるのです。あなたが承認とか賞賛とか興奮とか快適さが


ほしいと思う、しかしそれらが否認される。


それであなたの欲求はあなたにはね返ってくる。葛藤が起こる。


そもそも、こうした欲求を創りだしたのは偽りの自己感覚なのです。


なぜなら、偽りの自己感覚が、この俺という存在「これが誤った


自己感覚なのですが」は、これらの欲求の充足によって存在している、


と誤って信じ込んでしまっているからなのです。


このことが分ると、あらゆるものが、偽りの自己像も、


その不当な欲求も、欲求不満も、


剥げ落ちてしまいます。