ひとつ前の当ブログで、テレビ朝日『大下容子ワイド!スクランブル』の金曜日レギュラーコメンテイターのナカノ信子がほざいた「まさか子供じゃあるまいしと言ったら失礼かな。まともな人なら理想主義だけで一国が立ち行くなんて思わないだろう」という発言について書きました。

どんな考えを持っていようが自由ですが、殺傷武器輸出にアンチの人を「まともじゃない」と断言する「上から目線」の言い方、「デモなんか“ごっこ遊び”」とほざいたカド寛子と同質なものを感じます。そして、「理想主義」なんぞ意味はないという言い方も看過できません。

かつて、宮沢喜一さんが言った「わが国は兵器を輸出してカネを稼ぐほど落ちぶれてはいない」という言葉が最近クローズアップされ、国会でタカイチ早苗にもぶつけられましたが、宮沢さんの言葉はさらに「もう少し高い理想を持った国として今後も続けていくべきだろう」と続くのです。「理想」という言葉を「広辞苑」でひいてみると、「行為・性質・状態などに関して、考え得る最高の状態。未だ現実には存在しないが、実現可能なものとして行為の目的であり、その意味で行為の起動力である」と定義され、例文として「理想は高く持て」というのが出ています。

つまり、「理想」とは、国の場合は「こういう国でありたい」という目標です。それを記したのが「憲法」というわけです。そこに書かれた「理想」があったから、日本は戦後80年、戦争を行わず、他国で人を殺したり殺されたりしなかったのです。そして、その「理想」とは先の戦争で命を落とした人たちの「未来への強い希望」だったはずです。佐高信さんがよく引用なさっていますが、アフガニスタンで亡くなった中村哲さんは「平和憲法は戦争で亡くなった方々のお位牌だ」と述べています。本当にその通りだと思います。

それなのに、ナカノ信子は「理想」なんかに拘ってないで「現実」を見なさいよと、軽々しく「理想」を否定するようなコメントを発する。それは、これまで守られてきた憲法を軽視することであり、戦争で命を落としたり苦難を背負った人たちを冒涜しています。

結局、ナカノ信子の発言は「他の国もやってるから」ということに集約されていましたが、要するにタカイチ早苗の「普通の国になるだけ」という言い草と同じですよね。他国に右ならえせず「平和国家」でいた、この日本という国のアイデンティティも矜持も手放して、じゃあ代わりにどんな「理想」を持てとおっしゃるんですか? ナカノさんよ、提示してくださいよ。(ジャッピー!編集長)