マルコ11:1-11 <エルサレム入城> 並行マタイ21:1-10、ルカ19:28-44
参照ヨハネ12:12-19
マルコ11:1-11 (田川訳)
1そしてエルサレムに、オリーヴ山に面したベトパゲ、ベタニアに近づいた時、彼の弟子たちのうち二人を遣わし、2そして彼らに言う、「あなた方の向かい側にある村に行きなさい。そしてすぐに、そこに入ると、人がまだ誰も一度も乗ったことのない子驢馬がつながれているのが見つかるだろう。それを解いて、連れておいでなさい。3そして、もしも誰かがあなた方に、どうしてそういうことをするのか、と言ったら、主人がお入り用なのです。そしてすぐに、またここにお返しになります、と言いなさい」。4そして出かけて、子驢馬が町なかの道で戸口につながれているのを見つけた。そしてそれを解く。5そしてそこに立っていた者たちが彼らに言った、「この子驢馬を解いて、どうなさるのですか」。6その人たちにイエスの言ったように言うと、許してくれた。7そして子驢馬をイエスのもとに連れてくる。そしてその上に自分たちの衣をひろげ、彼がそれに乗った。8そして多くの者が自分の衣を道にひろげ、またほかの者たちが茎草を野から刈ってきた。9そして前を行く者たちも従う者たちも叫んだ、「ホサナ、主の名において来たる者に祝福あれ。10来たるべき我らの父ダヴィデの国に祝福あれ。いと高きところにて、ホサナ」。
11そしてエルサレムに、神殿に、はいった。そしてすべてを見まわし、すでに時も夕方になっていたので、十二人とともにベタニアへと出て行った。
マタイ21:1-11
1そしてエルサレムへと近づき、オリーヴ山に面したベトパゲへと来た時に、イエスは二人の弟子を遣わして、2彼らに言った、「あなた方の向い側にある村に行きなさい。そして直ちに、牝驢馬がつながれており、子驢馬も一緒にいるのが見つかるだろう。それを解いて、私のところに引いておいでなさい。3そして、もしも誰かがあなた方に、何故か、ときいたら、この驢馬たちの主人がお入り用なのです。すぐにお返しになります、と言いなさい」。4このことがなされたのは、預言者によって言われたことが成就するためである、5「シオンの娘に言え。見よ、汝の王が汝のもとに来る。彼は柔和であって、牝驢馬に乗った。家畜の子である子驢馬に乗った」。と。6弟子たちは行って、イエスが彼らに命じたようになし、7牝驢馬と子驢馬を引いて来た。そしてその上に衣を敷いた。そして彼はその驢馬たちの上に乗った。8非常に多くの群衆が自分たちの衣を道にひろげ、またほかの者たちが木から枝を切ってきて道に広げた。9彼の前を行く群衆も、従う群衆も、叫んで言った、「ダヴィデの子にホサナ。主の名において来たる者に祝福あれ。いと高きところにて、ホサナ」。10そして彼がエルサレムに入ると、町中がゆり動かされて、言った、「この人は誰か」。11群衆が言った、「これはガリラヤのナザレから来た預言者イエスだ」。
ルカ19:28-44
28そしてこれらのことを言うと、先に立って行き、エルサレムへと上って行った。29そして、オリーヴ畑と呼ばれている山に面したベトパゲ、ベタニアに近づいた時に、弟子たちのうちの二人を遣わすということがあった。30彼は言った、「向かいにある村に行きなさい。その中にはいると、人がまだ誰も一度も乗ったことのない子驢馬がつながれているのが見つかるだろう。それを解いて、引いておいでなさい。31そしてもしも誰かがあなた方に、何故この驢馬を解くのか、とたずねたら、こう言いなさい、主人がお入り用なのです、と」。32遣わされた者たちが出かけて行ってみると、言われたように見つかった。33彼らが子驢馬を解いていると、その主人たちが彼らに対して言った、「どうしてこの子驢馬を解くのか」。34彼らは「主人がお入り用なのです」と言った。35そしてそれをイエスのもとに引いて来た。そして自分たちの衣をその子驢馬の上に投げかけて、イエスをそれに乗せた。36彼が進んで行くにつれて、彼らは自分たちの衣を道にひろげた。37オリーヴ山の坂道に近づくと、弟子たちの多数がみな喜んで、自分たちが見たすべての力について神を大声で讃美しはじめて、38言った「主の名において来たる者に祝福あれ。天には平安、いと高きところに栄光あれ」。
39そして群衆の中から何人かのパリサイ派の者が彼に対して言った、「先生あなたのお弟子さんたちをお叱り下さいな」。40彼は答えて言った、「あなた方に言う、この者たちが黙れば、石が叫ぶであろう」。41そして近づいた時に彼は町を見て、この町について嘆いて42言った、「もしもこの日に汝が、平和にいたるべきことを知っていたなら。しかし今それは汝の眼から隠された。43汝のもとに日々が来て、敵たちが汝に対して矢来を組んで、汝を取り囲み、あらゆる方角から包囲する。44そして汝と汝の子らを地に打ち倒し、汝の中に石一つもほかの石の上に積み残らないようにするだろう。それは、汝が汝の査察の時を認識しなかったからである」。
参ヨハネ12:12-19
12翌日、祭に来た多くの群衆が、イエスがエルサレムに来ると聞いて、13椰子の葉をとり、彼を迎えに出て、叫んだ、「ホサナ、主の名において来たる者に祝福あれ。そしてイスラエルの王に」。14イエスは子驢馬を見つけて、それに乗った。15「恐れるな、シオンの娘よ。見よ、汝の王が来る、驢馬の子に乗って」、14と書かれてあるように。16このことを彼の弟子たちは最初理解しなかった。しかしイエスが栄光化された時に、このことが彼について書いてあって、かつ群衆は彼のためにこれをなしたのだ、ということを思い出した。17それで、彼がラザロを墓から呼び出し死人の中からの甦らせた時に彼とともにいた群衆が証言している。18この故に群衆は彼を迎えに出たのである。彼がこの徴をなした、ということを聞いたからだ。19それでパリサイ派は互いに言った、「ご覧なさい、あなた方は何も役に立たなかった。見よ、世は彼の後について(我々から)離れて行った」。
マルコ11:1-11 (NWT)
1さて,彼らがエルサレムに近づいて,オリーブ山のベテパゲとベタニヤの近くまで来たとき,[イエス]は弟子の二人を派遣して,2 こう言われた。「向こうに見えるあの村に入りなさい。そこに入って行くとすぐ,あなた方は,一頭の子ろばがつながれているのを見つけるでしょう。それには人間がまだだれも座したことがありません。それを解いて連れて来なさい。3 そして,もしだれかが,『なぜそんなことをしているのか』と言うならば,『主がこれをご入り用なのです。そして,すぐここに送り返されるでしょう』と言いなさい」。4 そこで彼らは出かけて行き,子ろばが戸口のところ,外のわき道につながれているのを見つけて,それを解いた。5 ところが,そこに立っていた者のうち幾人かが,「子ろばを解いたりして何をしているのか」と言いだした。6 彼らはそれらの者に,イエスが言われたとおりに言った。すると彼らを行かせてくれた。7 こうして彼らは子ろばをイエスのもとに連れて来た。そして自分たちの外衣をその上に置き,[イエス]がその上に座された。8 また,多くの者は自分の外衣を道路に敷き,ほかの者たちは野から葉のついた枝を切り落とし[て来]た。9 そして,前を行く者も後ろから来る者もこう叫びつづけた。「救いたまえ! エホバのみ名によって来るのは祝福された者! 10 来たらんとする,我らの父ダビデの王国は祝福されたもの! 救いたまえ,上なる高き所にて!」11 こうして[イエス]はエルサレムに,神殿の中に入られた。そして,すべての物を見て回られた。それから,時刻がすでに遅くなっていたので,十二人と共にベタニヤに出て行かれた。
マタイ21:1-11
1 さて,彼らがエルサレムに近づき,オリーブ山にあるベテパゲに着くと,イエスはさっそく二人の弟子を遣わして,2 こう言われた。「行って,向こうに見えるあの村に入りなさい。そうすれば,あなた方はすぐに,一頭のろばがつながれ,それと一緒に子ろばがいるのを見つけるでしょう。それらをほどいてわたしのところに連れて来なさい。3 そして,だれかが何か言うなら,『主がこれらをご入り用なのです』と言わねばなりません。そうすれば,彼はすぐにそれをよこすでしょう」。
4 これは,預言者を通して語られたことが成就するため実際に起きたのである。こう言われていた。5 「シオンの娘に告げよ,『見よ,あなたの王があなたのもとに来る。気質の温和な者であり,ろばに乗って,それも,駄獣の子なる子ろばに乗って』」。
6 それで弟子たちは出かけて行き,イエスが命じたとおりに行なった。7 こうしてろばとその子ろばを連れて来て,その上に自分たちの外衣を置き,次いで[イエス]がその上に座られた。8 群衆の多くは自分の外衣を道路に敷き,他の者は木の枝を切り落として道路に敷いていった。9 群衆は,彼の前を行く者も,あとに従う者も,こう叫びつづけた。「救いたまえ,ダビデの子を! エホバのみ名によって来るのは祝福された者! 彼を救いたまえ,上なる高き所にて!」
10 さて,彼がエルサレムに入ると,市全体は「これはだれなのか」と言って騒ぎ立った。11 群衆は,「これは預言者イエス,ガリラヤのナザレから来た方だ!」と告げていった。
ルカ19:28-44
28 こうして,これらのことを言われてから,[イエス]は先頭に立って進み,エルサレムに上って行かれた。29 そして,オリーブ山と呼ばれる山にあるベテパゲとベタニヤの近くに来た時,弟子の二人を遣わして,30 こう言われた。「向こうに見えるあの村に入りなさい。中に入ると,そこに一頭の子ろばがつながれているのを見つけるでしょう。それには人間がだれもいまだ座したことがありません。それを解いて,連れて来なさい。31 しかし,だれかが,『どうしてそれを解くのか』と尋ねるなら,あなた方は,『主がこれをご入り用なのです』と言わねばなりません」。32 それで,遣わされた者たちは出かけて行ったが,まさに[イエス]の言われた通りになっているのを見た。33 しかし,彼らがその子ろばを解いていると,その持ち主たちが,「なぜ子ろばを解いているのか」と言った。34 彼らは,「主がこれをご入り用なのです」と言った。35 こうしてそれをイエスのところに引いて来た。そして自分たちの外衣を子ろばの上にかけ,イエスを[その]上に座らせた。
36 [イエス]が進んで行くと,彼らは自分の外衣を道路に敷いていった。37 彼がオリーブ山を下る道路に近づくや,大勢の弟子たちはみな歓び,自分たちの見たすべての強力な業について大声で神を賛美し始めて,38 こう言った。「エホバのみ名によって王として来るのは祝福された者! 天に平和,至高の所に栄光あれ!」39 しかしながら,パリサイ人のある者たちが群衆の中から彼に言った,「師よ,あなたの弟子たちを叱ってください」。40 しかし[イエス]は答えて言われた,「あなた方に言いますが,もしこれらの者が黙っているなら,石が叫ぶでしょう」。41 そして市の近くに来た時,[イエス]はそれを眺め,それのために涙を流して,42 こう言われた。「もしあなたが,そうですあなたが,この日に,平和にかかわる事を見分けていたなら― しかし今,それはあなたの目から隠されているのです。43 あなたの敵が,先のとがった杭でまわりに城塞を築き,取り巻いて四方からあなたを攻めたてる日が来るからであり,44 彼らは,あなたとあなたの中にいるあなたの子らを地面にたたきつけ,あなたの中で石を石の上に残したままにはしておかないでしょう。あなたが自分の検分されている時を見分けなかったからです」。
参ヨハネ12:12-19
12 次の日,祭りに来ていた大群衆は,イエスがエルサレムに来られることを聞くと,13 やしの木の枝を取って彼を迎えに出て行った。そして,大声でこう叫びはじめた。「救いたまえ! エホバのみ名によって来たる者,イスラエルの王こそ祝福された者!」14 しかしイエスは,若いろばを見つけてから,その上に座された。まさにこう書いてあるとおりである。15 「シオンの娘よ,恐れてはならない。見よ,あなたの王が来る。ろばの子に座って」。16 弟子たちは初めこれらの事を気に留めなかったが,イエスが栄光を受けられたその時になってから,彼についてこうしたことが書かれており,また自分たちが[イエス]に対してこれらの事を行なったということを思い出したのである。
17 それで,[イエス]がラザロを記念の墓から呼び出して死人の中からよみがえらせた時に一緒にいた群衆は,証しをしつづけた。18 そのためさらに群衆が,彼がこのしるしを行なったことを聞いて,彼を出迎えた。19 それゆえパリサイ人たちは互いにこう言った。「あなた方の見るとおり,何一つうまくいっていない。見なさい,世は彼に付いて行ってしまった」。
「エルサレム入城」の日をキリストの受難節の「棕櫚の主日(Palmsontag、Palm Sundayなど)として日曜日に位置付けるのは、ヨハネ12:1,12をマルコ11~に読み込んで関連付けて解釈したもの。
WTは「記念式」に臨むにあたり毎年ニサン九日から十五日まで、一週間前から通読を割り当てて、イエスの受難の週に起きた事柄を考え、心を整えるよう勧めている。
実際にはマルコとヨハネは「エルサレム入城」を受難の週における同じ日の出来事としているわけではない。
マルコ11:1~の「エルサレム入城」に続く、11:12~の「いちじくの木の呪い」は、「そしてその翌日」の出来事であったとしているが、過越祭の何日前であるとは書かれていない。
ヨハネ12:1「過越の六日前」にベタニアに到着し、ヨハネ12:12によると「エルサレム入城」はその「翌日」の出来事としている。
ヨハネに従がえば、「エルサレム入城」は「過越の五日前」ということになる。
しかし、マルコでは「イエスの受難」が「過越祭の当日」(14:12)であり、「安息日の前日」(15:42)であったとあるが、ヨハネでは「備え」の日(過越祭の前日)であり、次の日が「安息日」あった(19:31)としている。
「イエスの受難」が「安息日の前日」である「金曜日」という点では、マルコとヨハネは一致しているが、「過越祭」の「当日」か「前日」かという点では一致していない。
マルコとヨハネが受難の週に関して同じ出来事を記述しているのであれば、「イエスの受難」を「過越祭」の「前日」とするか「当日」とするかで、「エルサレム入城」の日がマルコとヨハネでは一日ずれるはずである。
「エルサレム入城」を「過越祭」の五日前の「ニサン九日」であり、「日曜日」であったと解するのは、マルコ11章以降で日付の確定していない記述に対して、ヨハネ12:1「過越の六日前」を基準にして、同じ日の出来事として割り振ったものである。
つまり、「エルサレム入城」を「棕櫚の日曜日」として比定するのは、聖書無謬説信仰に基づくキリスト教会の伝統的解釈ということになる。
マルコのイエスは、エルサレムに入城しながら、何もせずにベタニアに引き返してくる。(11:11)
これでは何のためにエルサレムに行ったのかわからない。
それ以後、マルコのイエスにおけるエルサレムでの活動は、もっぱら論争行為に終始する。
まるで、ベタニアを根拠地としてエルサレムに論争するために出かけて行っているような印象を受ける。
マルコのイエスはエルサレムで夜を過ごすことはせず、何度も「(再び)エルサレムに入った」という行動を繰り返す。(11:11,15.27)
マルコはエルサレムに対して親しみを覚えてはおらず、むしろイエスに敵対する町、イエスを殺害する町として描いている。
いわゆる「棕櫚の日曜日」の活動であるが、各福音書著者により、描写が微妙に異なっている。
マルコ11
1そしてエルサレムに、オリーヴ山に面したベトパゲ、ベタニアに近づいた時、彼の弟子たちのうち二人を遣わし、2そして彼らに言う、「あなた方の向かい側にある村に行きなさい。そしてすぐに、そこに入ると、人がまだ誰も一度も乗ったことのない子驢馬がつながれているのが見つかるだろう。それを解いて、連れておいでなさい。3そして、もしも誰かがあなた方に、どうしてそういうことをするのか、と言ったら、主人がお入り用なのです。そしてすぐに、またここにお返しになります、と言いなさい」。5そしてそこに立っていた者たちが彼らに言った、「この子驢馬を解いて、どうなさるのですか」。6その人たちにイエスの言ったように言うと、許してくれた。
マタイ21
1そしてエルサレムへと近づき、オリーヴ山に面したベトパゲへと来た時に、イエスは二人の弟子を遣わして、2彼らに言った、「あなた方の向い側にある村に行きなさい。そして直ちに、牝驢馬がつながれており、子驢馬も一緒にいるのが見つかるだろう。それを解いて、私のところに引いておいでなさい。3そして、もしも誰かがあなた方に、何故か、ときいたら、この驢馬たちの主人がお入り用なのです。すぐにお返しになります、と言いなさい」。4このことがなされたのは、預言者によって言われたことが成就するためである、5「シオンの娘に言え。見よ、汝の王が汝のもとに来る。彼は柔和であって、牝驢馬に乗った。家畜の子である子驢馬に乗った」。と。6弟子たちは行って、イエスが彼らに命じたようになし、7牝驢馬と子驢馬を引いて来た。
ルカ19
28そしてこれらのことを言うと、先に立って行き、エルサレムへと上って行った。29そして、オリーヴ畑と呼ばれている山に面したベトパゲ、ベタニアに近づいた時に、弟子たちのうちの二人を遣わすということがあった。30彼は言った、「向かいにある村に行きなさい。その中にはいると、人がまだ誰も一度も乗ったことのない子驢馬がつながれているのが見つかるだろう。それを解いて、引いておいでなさい。31そしてもしも誰かがあなた方に、何故この驢馬を解くのか、とたずねたら、こう言いなさい、主人がお入り用なのです、と」。 32遣わされた者たちが出かけて行ってみると、言われたように見つかった。33彼らが子驢馬を解いていると、その主人たちが彼らに対して言った、「どうしてこの子驢馬を解くのか」。34彼らは「主人がお入り用なのです」と言った。35そしてそれをイエスのもとに引いて来た。
参ヨハネ12
12翌日、祭に来た多くの群衆が、イエスがエルサレムに来ると聞いて、13椰子の葉をとり、彼を迎えに出て、叫んだ、「ホサナ、主の名において来たる者に祝福あれ。そしてイスラエルの王に」。14イエスは子驢馬を見つけて、それに乗った。15「恐れるな、シオンの娘よ。見よ、汝の王が来る、驢馬の子に乗って」、14と書かれてあるように。16このことを彼の弟子たちは最初理解しなかった。しかしイエスが栄光化された時に、このことが彼について書いてあって、かつ群衆は彼のためにこれをなしたのだ、ということを思い出した。
マルコ、マタイの「オリーヴ山に面した」(pros to oros tOn elaiOn)に対し、ルカは「オリーヴ畑と呼ばれている山に面した」(pros to oros to kaloumenon elaiOn)。
「面した」(pros)とは、すぐ向こう側に「オリーヴ山」が見える、ということ。
「オリーヴの」(elaiOn)という語のアクセントの付け方の違いにより「オリーヴの山」という意味にも「オリーヴ畑」という意味にもなるようである。
ルカには「呼ばれている」(kaloumenon)という分詞が付いているので、「オリーヴの」と呼ばれている山、とも「オリーブ畑」と呼ばれている山、とも訳せるようである。
「オリーヴの」(elaiOn)という語を女性複数属格と読むのか男性単数主格と読むかの違いで意味の違いが生じるようである。
古代の大文字写本ではまだアクセント記号が用いられていないのでどちらの意味でルカが言っているのか結論は出ない。
「オリーヴの」と呼ばれている山という読みを取るのが英語の学者たちの伝統となり、「オリーヴ畑」と呼ばれている山という読みを取るのがドイツ語の学者の伝統となっている。
特にK.Aland以降、ネストレがギリシャ語テクストを独占するようになってからは、註を付けておらず、異論の存在が知られなくなっているようである。
マルコとルカは「ベトパゲ、ベタニアに近づいた時に」、マタイは「ベトパゲへと来た時に」。
ベトパゲ(BEthphagE)は、アラム語でBEth Pa’gEと呼ばれていた地名で、その音写。
ヘブライ語の「(未熟の)イチジクの家」という意味。
エルサレム神殿の東側に谷を挟んで向かいにオリーヴ山がある。
オリーヴ山のやや南側を通ってベタニアに向かう道があるが、ベトパゲはベタニアの中間地点ぐらいに位置する。
エリコに行く街道が分岐する位置にベトパゲがあった、とされている。
四世紀までにはキリスト教のお堂が立てられていた。
ベタニア(Bethania)にも四世紀からキリスト教の教会が立てられている。
ヨハネ11:38で言及されている「ラザロの墓」があったと言われる場所。
ヨハネ11:18ではエルサレムから15スタディオン(3キロ弱)離れていたとある。
マルコでは、エリコ方面からエルサレムに入るのであるが、ベトパゲ→ベタニアではなく、当時の道順ではベタニア→ベトパゲ→エルサレムとなるのが順当という議論がある。
つまり、マルコはエルサレムの地理を知らない。ベタニア→ベトパゲの順に書くべきだという主張である。
この種の聖書学者たちのマルコ軽視の論議に対して、田川先生は、「くだらない」とばっさり。
ここでマルコは、まず「エルサレムに」と言っておいて、さらに詳しく説明を加え、「ベトパゲ、ベタニア」と言い直しているのだから、エルサレムから見れば、「ベトパゲ、ベタニア」となるのは当然と一蹴している。(『訳と註』p354)
マルコは現代の紀行文であるかのように、旅程に沿った受難旅行記を描いているのではない。
古代の文書を読み解くのに、現代的価値観の常識で解釈するのは古代には存在しない現代の価値観を持ち込むだけに過ぎない。
まずは著者が書いてあるものをそのまま理解しようとするのでなければ余計な先入観を読み込むことになろう。
マルコでは「子驢馬」が見つかるだろう、とあるが、マタイでは「牝驢馬」と「子驢馬」が一緒にいるのが見つかる、ことになっている。
この「子驢馬」がつながれていた場所がベタニアなのかベトパゲなのかはっきりしない。
マタイではベタニアは削除されており、キリスト教では一般にマタイ重視であるから「ベトパゲ」とされている。
実際に生じた出来事であるとすれば、他人の驢馬を拝借したのであるから、かなり親しい知人関係でなければ無理であろう。
イエスが「予言」可能だったのは、家畜の番をしている人間もイエスと「主人」との知己関係を承知していたからであろう。
イエスとの間には以前にも同じような拝借関係が成立していたのであるが、イエスの「弟子たち」は驢馬の持ち主である「主人」とイエスとの関係を知らなかったので強く印象に残ったのかもしれない。
マタイは、子驢馬の拝借関係を、旧約の預言成就とする定型引用とした。
そのため、マルコでは「子驢馬」だけが登場するのであるが、マタイは「牝驢馬」と「子驢馬」が一緒にいる設定とした。
ゼカリヤ9:9に合わせるためであろう。
ただし、七十人訳とヘブライ語本文では異なるし、マタイの引用とも一致しない。
マタイ 「シオンの娘に言え。見よ、汝の王が汝のもとに来る。彼は柔和であって、 牝驢馬に乗った。家畜の子である子驢馬に乗った」。
七十人訳 「娘シオンよ、大いに喜ぶのだ。娘エルサレムよ、宣べ伝えるのだ。見よ、」お前の王がお前のところにやって来る。彼こそ義しく、救いをもたらす方。柔和で、駄獣の雌ろばの子に乗られる方」。(秦剛平訳)
ヘ語本文 「娘なるシオンよ、大いに喜べ、娘なるエルサレムよ、歓呼せよ。見よ、君の王は君の所に来る。彼は義しくて、救いを賜わり、穏やかにして驢馬に乗る、雌驢馬の子なる若き驢馬に」。(関根正雄訳)
マタイにおける「シオンの娘に言え。見よ」という句は、ゼカリヤ9:9とは一致せず、むしろイザヤ62:11と一致している。
イザヤ62:11 「見よ、主は地の果てまで聞かせた。「シオンの娘に告げるのだ。見よ、救い主がおまえのもとにやって来る…」。(「七十人訳」秦剛平訳)
ヘブライ語本文「見よ、ヤハヴェは地の果てまでふれしめて言われた、「娘、シオンにいえ、見よ、君の救いは来る…」(関根正雄訳)
マタイは「汝の王」としているが、七十人訳もヘブライ語本文も「義なる、救われる」という形容詞を付けている。
「七十人訳」秦剛平訳は「救いをもたらす方」とキリスト信仰に合わせて能動に訳しているが、原文は受動形。「救いをもたらす」のではなく「救われる者」という趣旨。
マタイがなぜキリスト教と適合すると思われる旧約にある形容詞を省いたのか不明。
しかしながらラビ文献によれば、ゼカリヤ9:9を引用する場合には「柔和であって、驢馬に乗った」という点に着目する伝統だったから、「救出」に関しては無視したのであろうとしている。(ビラーベック、ステンダールほか)
マタイの「牝の驢馬に乗った。家畜の子である子驢馬に乗った」は、七十人訳「家畜と若い驢馬に乗った」とヘブライ語本文「雌驢馬の子である子驢馬に乗った」との合成引用。
マルコでは子驢馬しか登場しないから、イエスが乗ったのが「子驢馬」であることは明らか。
マタイはゼカリヤの預言成就という設定にしたため雌驢馬も登場させた。
マルコの「子驢馬」(pOlos)というギリシャ語は、普通は「子馬」を指す。
馬以外の家畜の子を指す場合もあるが、それは前後関係からしてはっきりわかる場合である。「驢馬」とpOlosが並んでいる場合は「子驢馬」となるが、マルコの場合、単にpOlos一語だけであるから、本当は「子驢馬」を指しているかどうかは定かではない。
ただし、マタイが定型引用としているゼカリヤ9:9の七十人訳におけるpOlosは、「雌驢馬」つまり「母驢馬」と一緒に使われているので「子驢馬」を指している。
ルカもマルコを写しているだけであるから、単にpOlosと在るだけである。
マルコと同様、実際には「子驢馬」か「子馬」を指すものか定かではない。
マルコやルカのpOlosをあくまでも「子驢馬」に限定して解釈しようとするのは、マタイを読み込みたいからであろう。
マルコとしては、重要なのは「子驢馬」か「子馬」かではなく、「子」であることであり、「まだ誰も一度も乗っていない」ということであろう。
大きな馬ではなく、小さな子馬あるいは子驢馬に乗った、ということに重きを置いていると思われる。
つまり、支配者の貴族や軍人が乗る馬ではなく、庶民の乗る家畜に乗った、ということが重要だったのである。
「誰も一度も乗っていない」ということは、同時に「汚れていない」というメッセージも込めているのだろう。
マタイはマルコの「人が誰も一度も乗っていない」という句を削除している。
ゼカリヤの預言成就とは無関係な要素だからであろう。
マルコの「そしてすぐに」(kai euthus)はマルコの口癖で意味のない「すぐに」であるが、マタイは「直ちに」(eutheOs)と時間的な意味で「即時に」という意味に解し、キリストの超能力信仰を強化させている。
マルコでは、弟子たちがイエスの「言った」ように、言うのであるが、マタイではイエスの言ったことは弟子たちに「命じたこと」になるようである。
マタイではイエスのキリスト化に伴い、イエスの権威と弟子たちの服従が強化されている。
ルカはマルコの舌足らずな文を整えている以外、ほぼほぼそのままに写している。
ヨハネは、イエスが子驢馬に乗ってエルサレムに入城する事柄に関して、ゼカリヤ9:9に言及しつつ、興味深い見解を示唆している。
イエスが弟子たちに命じて「子驢馬」を用意させたのではなく、イエス自身が「子驢馬」を見つけて乗ったという設定である。
そしてゼカリヤに預言として書かれている事柄を、「弟子たち」は最初理解しなかった、のである。
しかし、イエスが「栄光化された時」、つまり「キリストとして復活した時」に、イエスについて書かれてあることを「弟子たち」は思い出したというのである。
ヨハネは「弟子たち」の一連の行動を指摘することによって、何を言いたかったのか。
ルカにおける「メシアの秘密」と同じく、弟子たちに対する「神からの啓示」を示唆しているのではない。
弟子たちは、イエスの生前中はイエスの行動に関して旧約の預言成就であるという視点は微塵も持っていなかったことを指摘しているのである。
しかし、イエスの死後、「弟子たち」がイエスの復活を宣教する際に、生前のイエスの活動に関して旧約の預言成就という解釈を加えて、宣教しはじめた、ということを指摘しているのであろう。
ペテロほか直弟子集団の者たちが、イエスの死後になってから、イエスに関する出来事は旧約が預言している出来事であった、と主張し、律法学者たちが好んで引用する句をイエスに関する預言であるとして、七十人訳やヘブライ語本文の表現を変えながら、キリスト教として宣教していったことを示唆しているのだろう。
弟子たちは、子驢馬をイエスのもとに連れて来るのであるが、その後の弟子たちや群衆の行ないにも三者三様の違いがある。
マルコ11
7そして子驢馬をイエスのもとに連れてくる。そしてその上に自分たちの衣をひろげ、彼がそれに乗った。8そして多くの者が自分の衣を道にひろげ、またほかの者たちが茎草を野から刈ってきた。9そして前を行く者たちも従う者たちも叫んだ、「ホサナ、主の名において来たる者に祝福あれ。10来たるべき我らの父ダヴィデの国に祝福あれ。いと高きところにて、ホサナ」。
マタイ21
7牝驢馬と子驢馬を引いて来た。そしてその上に衣を敷いた。そして彼はその驢馬たちの上に乗った。8非常に多くの群衆が自分たちの衣を道にひろげ、またほかの者たちが木から枝を切ってきて道に広げた。9彼の前を行く群衆も、従う群衆も、叫んで言った、「ダヴィデの子にホサナ。主の名において来たる者に祝福あれ。いと高きところにて、ホサナ」。
ルカ19
35そしてそれをイエスのもとに引いて来た。そして自分たちの衣をその子驢馬の上に投げかけて、イエスをそれに乗せた。36彼が進んで行くにつれて、彼らは自分たちの衣を道にひろげた。37オリーヴ山の坂道に近づくと、弟子たちの多数がみな喜んで、自分たちが見たすべての力について神を大声で讃美しはじめて、38言った「主の名において来たる者に祝福あれ。天には平安、いと高きところに栄光あれ」。
マルコでは、遣わされた二人の弟子たちが連れて来たのは「子驢馬」だけである。
マタイは、ゼカリヤの定型引用に合わせて「牝驢馬」と「子驢馬」の二頭にした。
マタイの原文は、複数形で「それらの上に乗った」としている。
しかしながら、母驢馬と子驢馬に同時に乗ることは不可能である
その結果、マタイではイエスが雌驢馬に乗ったのか子驢馬に乗ったのかはっきりしなくなってしまった。
マタイの後代の写本は単数に修正して「その上に乗った」と修正してくれている。
マルコでは、「子驢馬」の上に自分たちの衣を広げたのは、遣わされた二人の「弟子たち」。
自分の衣を道に広げた「多くの者」とは、誰を指すのか。
マルコはイエスのまわりに集まる不特定多数の人々を「群衆」(ochlos)と呼ぶが、ここでは敢えて「群衆」という語を用いていない。
とすれば、この「多くの者」とは残りの「弟子たち」を指すとも考えられる。
マタイでは自分たちの衣を道に広げたのは、「非常に多くの群衆」であるとしている。
マルコの「多くの者」を「群衆」解したのであろう。
マタイは、キリスト様にふさわしい群衆支持とするために、「非常に多くの群衆」と支持基盤を増強させたのであろう。
ルカでは、「群衆」と読める要素は登場せず、自分たちの衣を道に広げたのは「弟子たち」であると読める。
マルコでは「ほかの者たち」が「茎草」(stibas)を野から刈って来て、叫ぶ。
「茎草」を「道に広げた」わけではない。
「茎草」(stibas)は、葦などの茎の長い草を集めたものを指す。
マタイでは、「ほかの者たち」が木から「枝」を切ってきて、「道に広げる」。
ルカには、茎草や木の枝を取って「群衆」が子驢馬に乗ったイエスを迎える場面は登場しない。
子驢馬に乗ったイエスを弟子たちが「自分の衣」を道に広げて迎える場面と、ルカらしく「弟子たちの多数」が喜びと神の力について、神を大声で賛美する場面が登場するだけである。
ヨハネでは、「祭に来た」多くの群衆が「椰子の葉」を取り、「ホサナ」を叫ぶ。
「椰子の葉」(ta baia tOn phoinikes)の原義は「椰子の椰子」。同義語二つを冠詞付きで並べたもの。
baiaはエジプト由来の語でギリシャ語化されたものだという。
キリスト教発生当時のユダヤ教文献である「十二族長の遺言」ナフタリ5:4に「phoinikesのbaia」という表現が無冠詞で出て来る。
ユダヤ人ギリシャ語の一部で「phoinikesのbaia」という言い方が流布しており、ヨハネ書の著者も採用したのであろう。
実のところ「椰子」か「棕櫚」か、あるいは「なつめ椰子」か、特定できるものではない。
和訳の「棕櫚」は文語訳を踏襲したもの。
椰子科の植物で日本に見られるのは「棕櫚」だけなので採用されたもの。
マルコの「茎草」を「木の枝」(オリーヴの枝)も指すと解釈したり、もしくは「椰子の葉」や「棕櫚の枝」と解釈するのは、マルコにマタイやヨハネを読み込むもの。
イエスのエルサレム入城に際して「ホサナ」と叫び、歓迎する場面が事実であるとすれば、マルコが前提としているような春の「過越祭」の時期の出来事ではなく、秋の「仮庵祭」の時期の出来事であった可能性もあるように思われる。
仮庵祭は第七の月十五日から始まり一週間続き、最後の日は「ホーシャナーの日」と呼ばれた。
人々が仮庵祭の時に手にかざす椰子の枝やほかの枝を束にしたものを単に「ホーシャナー」と呼んだりした。
ただし、仮庵祭の際に手にかざす葉枝の束にはレヴィ記23:40による厳密な規定があり、その辺の「茎草を野から刈って来た」束、というわけにはいかなかったであろう。
従がって、厳密には仮庵祭の時の出来事と決めつけることも出来ないであろう。
最後の晩餐から続くペンテコステまでの記述からすれば、過越祭の時期であることは間違いないであろうから、弟子たちが即興的に仮庵祭の真似事をしてイエスの入場を喜んだという可能性もある。
マタイとルカはマルコを写しているが、マルコとヨハネでは共通の語も少なく、文の構成も異なっており、全くの別伝承である。
マルコの「前を行く者たち」と「従う者たち」をイエスの「前を行く群衆」とイエスの「後ろに従がう群衆」と解するのは、マタイをマルコに読み込むもの。
マタイではイエスの「前を行く群衆」と「従う群衆」とあるが、マルコにおける自分の衣を広げた「多くの者」を「弟子たち」と読むとすれば、この「前を行く者たち」と「従がう者たち」のどちらも「弟子たち」を指すのであろう。
ここでもマルコは「群衆」という語を使っておらず、イエスの弟子たちの中で「前を行く者」と「後から来る者」という趣旨であると思われる。
マルコでは、「ホサナ、主の名において来たる者に祝福あれ」という七十人訳117(118):25-26の引用の後に、「来たるべき我らの父ダヴィデの国に祝福あれ」という句を置いている。
マタイとルカは、この句を削除している。
マタイは「ダヴィデの子にホサナ。主の名において来たる者に祝福あれ」であり、ルカは「主の名において来たる者に祝福あれ」とあるだけで「ダヴィデ」に関する言及はない。
NWTはルカを「エホバのみ名によって王として来るのは」とし、「王」という語が入っている読みを採用しているが、これはバチカン写本の読みを採用したもの。
ほかにバチカン写本の読みを支持する大文字写本はなく、正文批判上、原文ではありえない。(詳しくは『訳と註』p433-436)
マタイはイエスを来たるべきメシアとみなされていた「ダヴィデの子」であり、マタイもルカもイエスが「主の名において来たる者」であると考えているのは明らかである。
しかしながら、マルコは「ダヴィデの子」ではなく、「我らの父ダヴィデ」と表現しており、「ダヴィデの子」をイエスに結びつけるメシア信仰には一線を引いているようである。
「我らの父ダヴィデの国に祝福あれ」という句は、旧約のどこにも出て来ない表現である。
旧約どころかキリスト教以前のユダヤ教のいかなる文献にもこれと同じ表現は見出されていない。
「我らの父ダヴィデ」という言い方も「来たるべきダヴィデの国(basileia)」を終末論的に待望するという言い方も、キリスト教以前やユダヤ教の諸文献には出て来ない、という。(『訳と註』p360)
アブラハム、イサク、ヤコブを民族の始祖として「父」と呼ぶことはあっても、ダヴィデを「父」と呼ぶことは通常しない。
「ダヴィデの子(子孫)」をメシアとして待望し、その「国(支配)」を終末論的に待望する、ということはあっても、「ダヴィデ自身の国(支配)」を終末論的に待望するということは当時のユダヤ教においてもキリスト教においてもありえない信仰である。
つまり、マルコとしてはイエスのことをユダヤ教的な意味で「メシア」もしくはキリスト教的な意味で「キリスト」とみなして「主の名において来たる者」と呼んでいるのではなく、あくまでも「我らの父ダヴィデの国(支配)」を賛美するための表現として「主の名において来たる者」と呼んでいるのだろう。
マタイとルカが「ダヴィデの国」に関する句を削除したのは、マルコがイエスを「ダヴィデの子」である「メシア」とみなし誉め讃える言い方ではないことに気付いていたからであろう。
それで、マタイは「我らの父ダヴィデの国」ではなく、ユダヤ教キリスト教的終末論信仰に調和させるために「ダヴィデの子」とし、ルカはまるまる全部削除したのであろう。
「ホサナ」はヘブライ語の「我らを救い給え」(hOshi’Ah nA)の省略形hOsha’nAと解説されるが、そうであるとすれば、マルコの「いと高きところにて、ホサナ」という表現は奇妙な文となる。
もし「ホサナ」を「我らを救い給え」という意味で使っているのであれば、「いと高きところ」にて(en)とあるので、地上にいるはずの人間が神と同じ「天」にいて、「救いを祈っている」ということになる。
「いと高きところ」である「天」とは、救われた人間が招かれる場所を指すのであれば、「いと高きところ」へと(eis)我らを救い給え(ホサナ)となるべきところである。
しかし、マタイもマルコの文をそのまま写している。
おそらくマルコの時代でも「ホサナ」というヘブライ語由来の表現は、厳密な意味をもって使われていたのではなく、祭の時や神を賛美する時に言う符牒のような語になっていたのであろう。
「アメーン」(そうなるように)というヘブライ語由来のユダヤ教用語もキリスト教に入って厳密な意味を持って使われているというよりも、祈りの最後に付け加える符牒の語であるかのように用いられるのと同様の感覚であろう。
「南無阿弥陀仏」や「南無法蓮華経」という念仏を唱える仏教徒が、厳密な意味を考慮せず「救い」と「信心」を示すお題目とし使うのと同様の感覚であろうか。
WT信者のJWをバビロン信者と同列に扱うと背教者認定とされるかもしれないが、JWも単なるアーメン信者という点では仏教徒と大差ないようにも思える。
閑話休題。
その後、イエスはエルサレムに入るのであるが、これまた三者三様ならぬ四者四様である。
マルコ11
11そしてエルサレムに、神殿に、はいった。そしてすべてを見まわし、すでに時も夕方になっていたので、十二人とともにベタニアへと出て行った。
マタイ21
10そして彼がエルサレムに入ると、町中がゆり動かされて、言った、「この人は誰か」。11群衆が言った、「これはガリラヤのナザレから来た預言者イエスだ」。
ルカ19
39そして群衆の中から何人かのパリサイ派の者が彼に対して言った、「先生あなたのお弟子さんたちをお叱り下さいな」。40彼は答えて言った、「あなた方に言う、この者たちが黙れば、石が叫ぶであろう」。41そして近づいた時に彼は町を見て、この町について嘆いて42言った、「もしもこの日に汝が、平和にいたるべきことを知っていたなら。しかし今それは汝の眼から隠された。43汝のもとに日々が来て、敵たちが汝に対して矢来を組んで、汝を取り囲み、あらゆる方角から包囲する。44そして汝と汝の子らを地に打ち倒し、汝の中に石一つもほかの石の上に積み残らないようにするだろう。それは、汝が汝の査察の時を認識しなかったからである」。
ヨハネ12
12翌日、祭に来た多くの群衆が、イエスがエルサレムに来ると聞いて、13椰子の葉をとり、彼を迎えに出て、叫んだ、「ホサナ、主の名において来たる者に祝福あれ。そしてイスラエルの王に」。……17それで、彼がラザロを墓から呼び出し死人の中からの甦らせた時に彼とともにいた群衆が証言している。18この故に群衆は彼を迎えに出たのである。彼がこの徴をなした、ということを聞いたからだ。19それでパリサイ派は互いに言った、「ご覧なさい、あなた方は何も役に立たなかった。見よ、世は彼の後について(我々から)離れて行った」。
マルコのイエスは、エルサレムと神殿を同義に扱い、入るのであるが、「見まわす」だけで、十二人とともにベタニアへと戻る。
わざわざ、大騒ぎをして子驢馬まで用意させて、エルサレム神殿に出かけたのであるが、周囲を見まわしただけですぐに引き上げてしまう。
「見まわした」(periblepsamenos)とは、あちこち全部を丁寧に視察するように「見てまわる」というのではなく、そこに立ち止まって、じろっと一瞥して、見まわした、という意味。
その後すぐにベタニアに引き返した、としか原文からは読めない。
これでは何のためにエルサレムに来たのかわからない。
マタイのイエスは、マルコとは異なり、イエスがエルサレムに入ると、町中が「ゆり動かされる」ほどの騒ぎとなる。
「ゆり動かされた」(eseisthE)という動詞は、地震などの揺れについて用いる動詞。
感動したのか、仰天したのか、動揺したのか意味ははっきりしないが、地震が来たかのような大騒動となったとマタイはキリスト様のエルサレム入城を表現している。
「群衆」(hoi ochloi)が「預言者イエスだ」というのであるが、この「群衆」は定冠詞付きで表現されているから、始めて登場するエルサレムの人々の「群衆」を指しているのではない。
イエスと一緒に入城した「群衆」が、エルサレムの町の人々に、イエスは「ガリラヤナザレから来た預言者イエスだ」と紹介したという意味。
ルカのイエスは子驢馬の上に乗り、進んでいくが、まだエルサレムには入らない。
ルカのイエスは、エルサレムに入場する前に、マルコにはない「パリサイ派」との問答とエルサレムの滅び預言して、嘆く。
「弟子たちが黙れば、石が叫ぶであろう」という趣旨のイエスのロギアは、マタイ21:16-17にも登場する。
どちらにも「パリサイ派」きっかけのイエスの反論であるが、マタイでは「弟子たち」ではなく「子どもたち」がイエスを「ダヴィデの子」として賛美するのを黙らせることはできないという趣旨で用いている。
言葉遣いも内容的にもマタイとルカでは異なっており、共通資料(Q資料)に由来するのではない。
大元は同じイエスのロギアかもしれないが、単独伝承が各著者によって異なる仕方で適用されているのだろう。
ルカに登場する「群衆」はイエスとともに従がってエルサレムにやって来た人々ではなく、エルサレムにいたパリサイ派側の「群衆」である。
ルカにおける「群衆」は、エルサレムの人々そのものであり、その代表であるパリサイ派が、イエスの弟子たちが喜び勇んでエルサレムに入城しようとしたのを見て、嫌味を言うという設定である。
ルカのイエスはマルコやマタイとは異なり、エルサレムで誰からも「歓迎」されることもなく、入城して、すぐに「宮清め」を始める。(19:45)
ヨハネでは、祭に来た多くの「群衆」がイエスを歓迎する。
この「群衆」が、ラザロの復活の際、現場にいてイエスたちと一緒に祭に来たのか、「ラザロの復活」を「徴」として聞いたエルサレムの人々の「群衆」なのか、はっきりしない。
おそらくヨハネはマルコを読んでいたのであろうが、マタイやルカのように目の前にマルコを開いて、一字一句チェックしたり、訂正を加えたりしているものではない。
話の骨子は頭に入れているのだろうが、死人の復活を主要なテーマにして、イエス伝承に独自の編集を加えているのだろう。
次段からもいわゆる「受難節の一週間」とされる出来事が続くが、マルコ自身は聖なる「受難週」という意識を持って書いているわけではない。
エルサレムにおけるイエスに関する伝承を、それが実際にはいつ起こったものであるかをいちいち考慮することなく、「そして」(kai)という接続小辞で並べて、すべて11章以下に置いているだけの話である。