●福音書が揃うまで
WTは新約文書の中で最初に書かれたものがマタイ福音書であり、西暦41年に書き終えられたと教えている。その真偽については、後に考察するが、一般には、最初の新約文書はペテロが第二回伝道旅行の際、西暦49/50年に書いた第一テサロニケ書簡が最初とされている。
いずれにしても初期キリスト信者は、聖書としての1冊の書物を持っていたわけではない。彼らが正典として持っていたものは、いわゆる旧約だけである。1世紀半ばまでは、イエスの生涯に関する記録をまとめたものを持っていなかったのは確かである。
イエスの生前に話を聞いた人々は、主にアラム語を話す人々であり、ギリシャ語を第二外国語とするユダヤ人たちだったと思われる。イエスの発した言葉として新約中に載せられているのは、マルコ5:41「タリタ、クミ」、14:36「アバ」、15:34「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」とその並行個所。これらは、すべてアラム語である。当時の識字率非常に低く、一般庶民のほとんどは文盲であった。
それゆえ口伝内容は文書資料と同じかそれ以上に信頼性を持っていた。イエスの生の言葉を聞いて、感銘を受けた人々は文字を書ける人々はメモとして記録し、文字を読めない人は記憶にとどめ、それぞれに理解したことを他の人に話したことはあったかもしれない。しかしその話や記録資料は断片的なものでしかなかった。
福音書は、イエスの生きていた時代を共に過ごし、その生涯を個人的に目撃した生き証人によるドキュメンタリー記録ではない。福音書著者は、各地に散った断片的なイエスに関する記録や伝承を拾い集め、イエスの生涯の記録としてつなぎ合わせ、編集した伝記である。
伝言ゲームが途中で微妙に変化していき、最後にはまるで別の話になることも少なくない。文書資料も繰り返される度に、細部が修正されたり、削除されたり、オリジナルと異なる話となって行くことも珍しくない。同じ公開講演を聞いても、人により別の話の記録になることもある。出版物の経験談や大会等の経験談も、語り継ぐ人が忠実に再現しているつもりでも、その意識とは無関係に修正されていく。
福音書にも同じ誤謬が入りこんでいる可能性はないのだろうか。聖書霊感説を信仰する人間は、聖書は神の言葉であるから、神が人間の不完全さが入りこまないように聖霊により導いた。それゆえ聖書は無謬であり、聖書に矛盾はない、と言うことだろう。聖書霊感説の真実性を証明するためには、矛盾とされるあらゆる箇所に対する合理的で納得のいく説明が必要となる。果たして可能だろうか。
個別の論議は別の機会に譲るが、4福音書を含めた新約の正典とされているギリシャ語27冊の成立は、4世紀に入り、ローマ国教となった以後の宗教会議においてのことである。
313年コンスタンチヌスのミラノ勅令により、各地のキリスト教宗派が招集されたが、一致に至ることはなく、397年第三回カルタゴ会議で、一応の決着を見るまで、80年以上要している。
ミラノ勅令から、少なくても2世代、おそらく3世代を要し、イエスの死後からはすでに300年以上経過していることになる。
それまで、各地のクリスチャンにとって、経典と言えるものは、いわゆる「旧約」しかなく、「新約」と称するまとまった書物群を持ってはいなかった。大量のギリシャ語文書は存在していたが、あらゆるキリスト教に共通する正典のようなものはなかったのである。
各地のキリスト教会は、教会独自が選定した福音書一冊とギリシャ語文書から成るその教会独自のリストでもってそれぞれのキリスト教を奉じていた。そのリストの中には、後に新約正典に組み込まれたギリシャ語文献もあるだろうが、新約正典に組み込まれず、後に偽典とされたギリシャ語文献を選定文書としていた教会も数多くあった。各地のキリスト教会は、独立した自治組織を運営している共同体であった。WTが説く統治体なる組織が、キリスト教設立当初から中央集権体制を取って、信者の信仰と倫理規定を統率していたのではない。
使徒行伝の著者ルカは、エルサレム教会の統括のもとに、すべてのキリスト教が広がったという図式で描こうとしたが、現実の歴史と異なるので、あちこちにルカの図式に合わない箇所が出てくる。
最終的に広く使われることになったのは、4つの福音書であるが、それ以外にも数多くの福音書とされるものが書かれていた。また、各キリスト教会がはじめから4つの福音書のすべてを自教会の福音書として、採用していたのでもない。
歴史の記録が示すところによると、キリスト教の正典化運動は、エルサレム教会を継承するいわゆる正統派教会が中心となって展開したのではない。後に異端として処刑されるマルキオン派から始まる。