●結び合わせるのは、「霊的なこと」に「霊的な言葉」を?それとも逆?どちらでも同じ?
この言葉は、第一コリント2:13(NWT)に出てくる。原文でのこの文を、どのような意味でパウロがコリントの信者に宛てて、言ったのだろうか。問題の文は、2:10‐16の段落の中で出てくる。パウロの真意は、最後に述べるが、まず、この言葉の真意を探る。
「13その恵みについてもまた我々は、人間的な知恵が教える言葉によって語るのではなく、霊の教える言葉によって語る。霊的な言葉によって霊的な事柄を判断しつつ。14(自然的)生命の人間は神の霊の事柄を受けることが出来ない。それは霊的に判断されるべきものだということが人間にはわからないからである」(田川訳)
「13わたしたちはそれらの事も、人間の知恵に教えられた言葉ではなく、霊に教えられた言葉で話します。わたしたちは霊的なことに霊的な言葉を結び合わせるのです。14しかし、物質の人は神の霊の事柄を受け入れません。それはその人には愚かなことだからです。又彼はそれを知ることができません。それは霊的に調べるべき事柄です」(NWT)
田川訳は「判断する」基準となっているのは「霊的な言葉」であり、それによって「霊的な事柄」を判断する、という趣旨になっている。
NWTは「結び合わせる」基準となっているのは「霊的なこと」であり、それと「霊的な言葉」を結び合わせる、という趣旨になっている。
この「判断する」「結び合わせる」いう動詞から。
田川訳「判断しつつ」 (synkrino)
14節の「判断する」(anakrino)とは、接頭語が異なるだけ。どちらも同じ趣旨。こちらは、あることを他のことと比べて判断するという趣旨であるから「共に」という接頭語synを必要とする。
「下に、一貫して」という意味の接頭語anaをつけると、普通「批判して」と訳されるが、本来の意味は「正確な判断を下す」という意味である。日本語で「批判する」とすると、「非難する」という意味に受け取る人が多い。西洋語のcritiquer,criticiseも同じギリシャ語krinoが語源であるから、「正確に判断する、識別する、正確に区別する」という意味を持っている。「批判」とは、本来はそういう意味である。
NWT「結び合わせる」
14節のanakrinoは「調べる」。だいぶ異なる意味に訳している。「判断する」とはAとBとの違いを正確に見極めて、それぞれを評価する、という趣旨であるが、「結び合わせる」とはAとBという別々のものを一緒にする、あるいは橋渡して、同質化する、という趣旨である。「調査する」とは、AであればAを、BであればBを、AとBの差異であればその差異そのものを調べ、探る、という趣旨。何かを評価するわけでも一緒に合同させる事でもない。
「霊的な[こと]に霊的な[事柄]を結び合わせる」の原文の解説。
「霊的な[こと]に」は、単に「霊」の与格(pneumatikois)、「霊的な[言葉]を」は「霊」の対格(pneumatika)で、「結び合わせる」(synkrino)の目的語。
KIは、与格のpneumatikois=to-spiritual (things)も対格のpneumatika=spiritual (things)もthingsを補っている。動詞のsynkrinontes<synkrinoの分詞に関しては、judging-withとしている。
それを素直に英訳するなら、judge spiritual things with spiritual things(直訳「霊的な[こと]を霊的な[こと]でもって判断する」) となる。
それをNWT英文は、combine spiritual [matters] with spiritual [words]と訳した。
動詞の「判断する」(judge)を「結び合わせる」(combine)に変えた。また目的語の対格の霊には、「こと」(thingsではなくmatters)を補い、与格の「霊」には、「言葉」(thingsではなくwords)を補っているが、原文に「こと」(matters)や「言葉」(words)という語があるわけではない。
英文の直訳は「霊的な[matters]を、霊的な[words]と結び合わせる」。つまり、「霊的な事柄というよりは、より具体的な案件」を「霊的な言葉」(spiritual words)=the Bible Words(聖句)と結び合わせる、という趣旨に読める。
和訳は、「霊的な[こと]に霊的な[言葉]を結び合わせる」と順番を逆にして、「霊的な言葉」を「結び合わせる」の目的語として、訳している。しかし、原文では与格であり、補語にあたる「霊的なことに」も目的語としており、しかもこちらが先に来ているので、「霊的なこと」を基盤にして、「霊的な言葉を」結び合わせる、という趣旨になる。
これでは、「霊的なこと」かどうかを判断するのは、「霊的な言葉」=聖句の正確な意味を理解して、それを根拠や基準に判断するのではなくても良い事になる。たとえ「霊的なこと」ではなくても、「霊的な言葉」=聖句と結びつけることができるのであれば、つまり聖句によって理由をこじつけることができるなら、それは「霊的なこと」と判断されることになる。必要のは正確な理解による判断ではなく、もっともらしい理由が存在することだ、ということになる。
「霊的なこと」とは、「霊的な言葉」を基盤に「霊的なこと」に結びつけるべきものであり、「霊的なこと」されることを「霊的なこと」である、という前提で、「霊的な言葉」に結びつけて、判断されるべきものではない。
「霊的なこと」を基盤に「霊的な言葉」と結びつけること。―それは「聖句の誤用」です。未だ現役バリバリの、誰かのお母さんに言ってあげたい。(W)
「正しく判断する」と「結び合わせる」では、意味が全く違う。ある聖句とある聖句を、著者ではなく、使用者の意図に基づいて「結び合わせる」ことは、聖句を「正しく判断する」することにはならない。むしろ、著者の意図や原文を無視して、改竄するのであるから、「正しく判断する」ことなどあり得ない。ある案件をある聖句と、原文を無視して強引に結び合わせることも同様である。前提あるいは基準とされるべきなのは「霊的な言葉」であり、「霊的なこと」(matters)ではない。「霊的なこと」を前提、基準にすると「霊的な言葉」は歪んで解釈されることになる。
霊的なことに、霊的な言葉を!②に続く。