マルコ16:1-8 <空の墓> 並行マタイ28:1-8、ルカ24:1-12、参照ヨハネ20:1-18

 

マルコ16 (田川訳)

安息日が過ぎるとマグダラのマリアとヤコブの母マリアとサロメは、行って彼に塗るために、アロマを買った。そして週のはじめの日、朝まだき、日の出とともに、墓に行く。そして互いに言った、誰かが私たちのために墓の入口から石を転がしてくれるかしらん」。そして見上げてみると、石が転がされているのに気がつく。石は極めて大きかったのだ。そして墓の中に入ると、右側に、が白い外衣をはおって座っているのを見つけ、いたく驚いた彼は彼女たちに言う、「驚くことはない。十字架につけられたナザレ人イエスを探しておいでか彼は甦った。ここには居ない。見よ、ここが納められていた場所だ。だが、行って、彼の弟子たちとペテロに言うがよい、彼は、以前あなた方に言っていたようにあなた方を先立ち導いてガリラヤへと行くそこで彼に会えるだろう、と」。そして彼女たちは墓から出て行き、逃げた。震えと自失が彼女たちをとらえていたからである。そして誰にも言わなかった恐ろしかったからである

 

マタイ28

1安息日の夕方週の第一日がはじまろうとしている時にマグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行った。2そして見よ、大きな地震が起こった。というのも、主の天使が天から下って、ここに来て、石を転がしたからである。そして天使はその石の上に座った。3その姿は稲妻のようであり、その衣は雪のように白かった。4彼を恐れて、見ている者たちは震え、死んだようになった。5天使は答えて女たちに言った、「あなた方は恐れてはいけない。あなた方が十字架につけられたイエスを探しておいでだということはわかっている。6彼はここには居ない。前に彼が言っていたように、甦ったからだ。来て、納められていた場所を見るが良い。7そして急いで行って、弟子たちに、彼は死人のところから甦った、と言いなさい。そして、見よ、彼はあなた方より先にガリラヤへと行くそこで彼に会えるだろう、と。見よ、あなた方に(しかと)申した」。8そして彼女たちは急いで墓から出て、恐れと、また大きな喜びをもって、彼の弟子たちに伝えるために走って行った。

 

ルカ24

56それで、もどってから、アロマと没薬とを用意した。そして安息日には掟に従って安息にしていた。

週のはじめの日、明け方早いうちに、彼女たちは用意しておいたアロマをたずさえて墓に行った。だが石が墓から転がされていた中に入ると、主イエスの身体が見つからなかった。そしてこのことで彼女たちが茫然としているところに、そして見よ、輝く衣を着た二人の男前に立ったのであった5彼女たちが恐ろしくなって、顔を地面に向けて伏せると、男たちが彼女たちに対して言った、「あなた方は何故生ける者を死者の中で探しているのか。ここにはいない。甦ったのだ。まだガリラヤに居た時にあなた方に語っていたことを思い出しなさい。人の子は罪人たる人間たちの手にき渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっていると言ったのだ」。そして彼女たちは彼のこの言葉を思い出したそして墓から帰って来て、彼女たちはこれら一切のことを十一人とほかのすべての者に伝えた。10マグダラのマリアヨハンヤコブの母マリアと、ほかにも一緒にいた女たちである。彼女はこのことを使徒たちに対して言ったのだ11しかし彼らにはこれらの言葉はまるでくだらなく思えたそして女たちを信じなかった。[12だがペテロは立って、墓まで走って行き、のぞいてみると、亜麻布だけが見える。そして起こったことをいぶかりながら、自分のところにもどって行った。]

 

参ヨハネ20

週のはじめの日にマグダラのマリアが、早朝、まだ暗い時に、墓に来る。そして墓から石が取り去られているのを見るそれで走り、シモン・ペテロと、イエスが愛していたもう一人の弟子のところに来て、彼らに言う、「主が墓から取り去られました。どこの置いたのか、私たちは知りません」。それでペテロともう一人の弟子が出て来て、墓まで来た。二人が一緒に走ったそしてもう一人の弟子はペテロよりも速く、先に走り、最初に墓に来たそしてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見る。しかしながら、中には入らなかったそれでシモン・ペテロも彼の後について来る。そして墓の中に入った。そして亜麻布が置いてあるのを見る。して彼の頭に(かぶせて)あった手ぬぐいも、亜麻布と一緒ではなく、巻かれて別の場所においてあるのを見る。それでその時に、最初に墓に到着したもう一人の弟子も中に入った。そして見て、して信じたというのも、彼が死人の中から復活するはずだ、という書物を彼らはまだ知らなかったのである。10それでまた弟子たちは自分たちのところに去った。

11マリアは墓のところに立ち、外で泣いていた。それで、泣いていた時に、墓の中をのぞいた。12そして白衣を着た二人の天使が座っているのを見る。一人はイエスの身体が置かれていた頭のところに、もう一人は足の所に。13そしてこの者たちが彼女に言う、「女よ、何故泣いているのか」。彼らに言う、「私の主が取り去られてしまいました。そしてどこに置かれたのか、わかりません」。14こう言って、後ろをふり向くと、イエスが立っているのを見る。そしてイエスだと気がつかなかった。15彼女にイエスが言う、「女よ、何故泣いているのですか。誰を捜しているのですか」。彼女はそれが園丁だと思って、その人に言う、「ご主人、もしもあなたが彼をかついで行ったのなら、どこに置いたのか、おっしゃって下さい。私が取り去りますから」。16彼女にイエスが言う、「マリアム」。彼女がふり向き、ヘブライ語で彼に言う、ラブニ」。すなわち「先生」という意味である。17彼女にイエスが言う、「私にさわってはいけない私はまだ父のもとに上っていないのだから兄弟たちのもとに行って、彼らに言いなさい、は私の父のもとに上って行く私の父はあなた方の父でもあり、私の神でもあり、あなた方の神でもある」。18マグダラのマリアムは来て弟子たちに告げる、「私は主を見ました」。そして主が彼女にこのことを言った、と。

 

 

マルコ16 (NWT)

さて,安息日が過ぎた時,マリア・マグダレネと,ヤコブの母マリア,それにサロメは,そこに来て彼に油を塗ろうとして香料を買った。2 そして,週の最初の日の朝とても早く,記念の墓に来た。その時,太陽はすでに昇っていた。3 そして彼女たちは,「記念の墓の戸口から,だれがわたしたちのために石を転がしのけてくれるでしょうか」と言い合っていた。4 ところが,見上げると,その石は,非常に大きなものであったのに,すでに転がしのけてあったのである。5 記念の墓の中に入ると,ひとりの若者が白の長い衣をまとって右側に座っているのが見え,彼女たちはぼう然とした。6 その者は彼女たちに言った,「ぼう然とすることはありません。あなた方は,杭につけられたナザレ人のイエスを捜しています。彼はよみがえらされました。ここにはいません。見なさい,彼を横たえた場所です。7 しかし,行って,弟子たちとペテロに,『彼はあなた方に先立ってガリラヤに行きます。彼が話したとおり,あなた方はそこで彼を見るでしょう』と言いなさい」。8 それで,彼女たちは外に出ると,その記念の墓から逃げるようにして走った。おののきと強い感動とにとらわれていたからである。そして,だれにも,何も話さなかった。恐れに満たされていたのである。

 

マタイ28

1安息日ののち,週の最初の日が明るくなりかけたころ,マリア・マグダレネともう一方のマリアが墓を見に来た。2 すると,見よ,大きな地震が起きた後であった。エホバのみ使いが天から下り,近づいて石を転がしのけ,その上に座っていたのである。3 その外見は稲妻のようであり,その衣服は雪のように白かった。4 そして,見張りの者たちは,彼に対する恐れのためにおののいて,死人のようになっていた。5 しかしみ使いは答えて女たちに言った,「あなた方は恐れてはなりません。あなた方が杭につけられたイエスを捜していることを,わたしは知っているのです。6 彼はここにはいません。彼が言ったとおり,よみがえらされたのです。さあ,彼の横たわっていた場所を見なさい。7 それから,急いで行って,彼が死人の中からよみがえらされたことを,その弟子たちに告げなさい。そして,見よ,彼はあなた方に先立ってガリラヤに行きます。あなた方はそこで彼を見るでしょう。見よ,わたしはあなた方に告げました」。

 

ルカ24

56 それから彼女たちは,香料と香油を準備するために戻って行った。しかし,言うまでもなく,安息日にはおきてにしたがって休んだ。

しかしながら,週の最初の日,彼女たちは,自分たちの準備した香料を携えて,朝とても早くから墓に行った。2 ところが彼女たちは,石が記念の墓から転がしのけられているのを見たのである。3 そして,中に入ってみると,イエスの体は見あたらなかった。4 彼女たちがこのことで当惑していると,見よ,まばゆいばかりの衣服を着た二人の人がそばに立った。5 [女たち]が恐れ驚いて顔を地面に伏せていると,その[人たち]が言った,「なぜあなた方は,生きているを,死人の中に捜しているのですか。6 [[彼はここにはいません。よみがえらされたのです。]] 彼がまだガリラヤにいた時,あなた方にどのように話したかを思い起こしなさい。7 人の必ず,罪深い人々の手に渡されて杭につけられ,三日目によみがえる,と言いました」。8 それで彼女たちは[イエス]の言われたことを思い出し,9 記念の墓から帰って,十一人とほかの者たちすべてにこれらの事をことごとく報告した。10 それは,マグダレネ・マリア,およびヨハンナ,そしてヤコブの[母]マリアであった。また,彼女たちと一緒にいたほかの女たちも,これらの事について使徒たちに告げるのであった。11 しかし,こうして話されることは彼らにとってはたわ言のように思え,彼らはその[女たち]を信じようとしなかった。

12 [[しかしペテロは,立って記念の墓に走って行き,前方にかがんでのぞいたが,ただ巻き布が見えるだけであった。それで彼は,起きた事を不思議に思いながら去って行った。]]

 

参ヨハネ20

週の最初の日,マリア・マグダレネは,朝早くまだ暗いうちに念の墓に来た。そして,石がすでに記念の墓から取りのけられているのを見た。2 それで彼女は,シモン・ペテロ,そしてもう一方の弟子でイエスが愛情を持っておられた者のところに走って来て,こう言った。「人々がを記念の墓から取り去ってしまい,どこに置いたのか分かりません」。

3 そこで,ペテロともう一方の弟子は出て行って記念の墓に向かった。4 そして,二人は一緒に走りだした。しかし,もう一方の弟子のほうが速く走ってペテロより先になり,最初に記念の墓に着いた。5 そして,前方にかがんでみると,巻き布の置いてあるのが見えたが,中には入らなかった。6 次いでシモン・ペテロが彼のあとから来たが,彼は記念の墓の中に入った。そして,巻き布が置いてあり,7 また,彼の頭にのせてあった布が巻き布と一緒には置いてなく,一つの場所に別にして巻いてあるのを目にした。8 こうしてその時,記念の墓に最初に着いたもう一方の弟子も中に入り,彼も見て,信じた。9 彼らはまだ,[イエス]が必ず死人の中からよみがえるという聖句を悟っていなかった。10 それで弟子たちは自分の家に戻って行った。

11 しかしながら,マリアは外で,記念の墓の近くに立ったまま泣いていた。そして,泣きながら,記念の墓の中をのぞこうとして前方にかがむと,12 白衣の二人のみ使いが,イエスの体の置いてあった所に,一人は頭のところ,一人は足のところに座っているのが目にとまった。13 すると彼らが言った,「婦人よ,なぜ泣いているのですか」。彼女は言った,「人々がわたしのを取り去ってしまい,どこに置いたのか分からないのです」。14 こう言ったあと,彼女が振り返ると,イエスの立っておられるのが目にとまったが,彼女はそれがイエスであることを悟らなかった。15 イエスは彼女に言われた,「婦人よ,なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか」。彼女は,それが園丁であると思って,こう言った。「だんな様,もしあなたが[]を運び去ったのでしたら,どこに置いたのかおっしゃってください。わたしが引き取りますから」。16 イエスは彼女に言われた,「マリア!」 彼女は向き直ると,ヘブライ語で,「ラボニ!」と言った。(これは「師よ!」という意味である。)17 イエスは彼女に言われた,「わたしにすがり付くのはやめなさい。わたしはまだのもとへ上っていないからです。しかし,わたしの兄弟たちのところに行って,『わたしは,わたしのまたあなた方ののもとへ,わたしのまたあなた方ののもとへ上る』と言いなさい」。18 マリア・マグダレネはやって来て,「わたしはを見ました!」,そしてこのことをわたしに言われました,と弟子たちに伝えた。

 

 

 

マルコでは、「安息日が過ぎると」、マリアたちはアロマを買いに行き、「週のはじめの日」の早朝に墓もうでに行く。

 

「過ぎる」(diagenoumenou)の原義はdia(through)+ginomai(happen,become)のアオリスト形分詞形で、「安息日が経過した」という趣旨。

 

ユダヤ暦は夕方から一日が始まるので、安息日は金曜日の夕方から始まり土曜日の夕方に終わる。

つまり、「安息日が過ぎると」とは、土曜日の夕方、日が暮れるとすぐに、彼女たちはアロマを買いに行き、翌日曜日の早朝に、墓もうでに出かけた、という意味。

 

 

マタイには、墓もうでに際して彼女たちがアロマを用意したという話は出て来ない。

彼女たちは、「安息日の夕方週の第一日が始まろうとしている時に」(opse de sabbatOn tE epiphOskousE eis mian sabatOn)、墓もうでしたとしている。

 

マタイは、「安息日の夕方」(opse de sabbatOn)の説明として「週の第一日が始まろうとしている時」(tE epiphOskousE eis mian sabbatOn)という句を同格においている。

「始まろうとしている時」(tE epiphOsekOの分詞)とは定冠詞(tE)+接頭語epi(toward)+光(phOs)を語幹において動詞化した語で、原義は「光に向かう=夜が明けようとしている」という意味。

字義からすれば「翌朝になろうとしている時」という意味になる。

 

しかしマタイは、はっきりとまずそれは「夕方」(opse)の時であると述べている。

つまり、マタイは、「光に向かう」という原義のepiphOsekOの語を、文字通り「翌朝になる」という意味ではなく、単にユダヤ暦で言うところの「翌日になる」という意味に使っていることになる。

 

 

ルカでは、「週のはじめの日」の明け方早くの墓もうでに備えて、アロマはすでに準備されている。

ルカは、「安息日」が始まる前にアロマを準備し、安息日は掟に従がって安息し、安息日が明けた週のはじめの日に、用意していたアロマを携え、墓もうでしたとしている。

 

ルカは、ユダヤ暦の一日が夕方から始まることや、「安息日」に売り買いはできないというユダヤ教の知識は知っていたのであろう。

しかし、異邦人のルカには、ユダヤ教の習慣で生きている人々の行動に関しては十分理解できていなかったのだろう。

 

「安息日の始まる日」の早朝にアロマを準備し、日の出と共に墓もうですることは、できないと思い、マルコの文を修正したのだろう。

 

彼女たちは、安息日になる前の金曜日の日が暮れる前にアロマを買いに行き、翌土曜日は安息日だからおとなしくしていて、翌日の日曜日の朝に買っておいたアロマを携え、墓もうでに行った、ということにしてしまったのである。

 

 

NWTはマタイを「安息日ののち、週の最初の日が明るくなりはじめたころ」と訳し、早朝の墓もうでであったとしている。

 

NWTの訳は、原文の(epiphOsekO)を「明け方」の意味に解すると、原文の「夕方」(opes)との整合性が取れず、女たちの墓もうでが、夕方だったのか、早朝になってからだったのか、はっきりしなくなる。

 

それで、イエスの墓もうでを「早朝」としている他の福音書との整合性を取るために、原文の「夕方」を「のち」と訳し(KI:opes=after)、「翌日になる」(epiphOsekO)というマタイの言葉遣いを無視し、原義どおりの「明るくなり始めたころ」と訳したものであろう。

「夕方」(opes)という語に、「のちに」(after)という意味はない。

 

古代のヴルガータ(vespere autem sabbati)やルター(Am Abend des Sabbaths)の時代でも、まだ「夕方」と訳されている。

欽定訳(in the end of the sabbath)以降の英語訳は「安息日が終わった時」と訳し、次の日の明け方の意味に解しても矛盾しない訳とし、近代の独仏訳にも引き継がれている。

マタイの(opes)を「夕方」と訳している和訳聖書は一つもない。

「夕方」(apres)と訳しているのは、仏訳TOBだけ。

 

墓もうでが、安息日が終わった夕方ではなく、翌早朝でも週の最初の日であるのことには変わらないだから、どちらでも良いではないか、と思われるかもしれない。

 

むしろ、「安息日ののちに」、「安息日が終わってから」と読む方が、他の福音書と矛盾しないし、良いのではないかと思われるかもしれない。

 

しかしながら、イエスの復活に関わる事柄であり、キリスト教信者にとっては重要な問題であったようである。

 

エウセビオスがマリノス(Marinos)という弟子にあてた文書という形で、新約聖書の諸問題に関する証言が残っている。(Migne,Patrologie Greque,XXII,Sp937ff.Quaestionnum Evangelicarum Liver「福音書の諸問題の書」)

 

その中の一つで、エウセビオスは、彼の知っているマルコ福音書の写本の多数は、今でいうところの16:8で終わっている、とはっきり証言している。

「写本の中の確かなもの(複数)はマルコによる物語(historia)の最後を、若者が女たちに命じた言葉でもって終わっている。『そして女たちはこれを聞いて、逃げた。そして誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである』と。マルコによる福音書のほとんどすべて(の写本)において、結びはこうなっている。これに続く部分は、ほんのわずかの写本にあるだけで、すべてにあるわけではない。これは余分な持ち込みであって、特に(この部分には)、他の福音書との証言と矛盾する要素がある」。(Sp 937)

 

その後、マルコの結びが付加された写本が多くなるが、16:9にイエスの復活が「週のはじめの日の朝」であったことがはっきりと書かれている。

 

エウセビオスは、イエスの復活が「週のはじめの朝」だったのか「週のはじめの夕方」だったのか、福音書間での相違があり、問題となっていたことを指摘しているのである。

 

マタイの「安息日の夕方、週の第一日が始まろうとする時」を、「安息日が終わった翌日の明け方」の意味に読まれていたのであれば、福音書間で問題となることはなかったはずである。

 

つまり、エウセビオスの時代、イエスの復活を、ニサン16日が始まった夕方と信じるキリスト教信者とニサン16日の早朝と信じるキリスト信者がいたことを示している。

 

マタイの原文を素直に読めば、彼女たちの墓もうでは、安息日が終わった土曜日の夕方になされたことになり、その時すでにイエスは復活していたことになる。

 

 

ヨハネでは、埋葬に備えて、ニコデーモスがアロマを用意するのであるが、墓もうでに際して彼女たちがアロマは用意したという話は登場しない。

墓もうでは、週のはじめの日の早朝、まだ暗い時になされたとしている。

 

原文からは、マタイだけ、早朝ではなく、夕方に墓もうでがなされたことになっている。

 

 

墓もうでに登場する女たちも各福音書で微妙に異なっている。

 

マルコでは、「マグダラのマリアとヤコブの母マリアとサロメ」の三人。

この三人は、「ガリラヤかともに来た女たち」である「マグダラのアリアと小ヤコブとヨセの母マリアとサロメ」と同じ二人のマリアとサロメであり、「ヤコブの母マリア」とはイエスの母の「マリア」のことである。

 

WTはこの「ヤコブの母マリア」を「小ヤコブとヨセの母マリア」と同じく、「使徒であるアルパヨの子ヤコブの母マリア」と解している。

*** 洞‐2 898ページ マリア ***

4. 「もう一方のマリア」。クロパ(アルパヨ)(「クロパ」を参照)の妻で,小ヤコブとヨセの母親でした。(マタ 27:56,61; ヨハ 19:25)聖書的な裏付けはありませんが,伝承によれば,イエスの養父ヨセフとクロパは兄弟でした。それが真実であれば,本項のマリアはイエスのおばで,その息子たちはイエスのいとこということになります。

 

「小ヤコブ」を使徒であるハルパイの子ヤコブとする説に、「聖書的な裏付けがない」ことに関しては、「ガリラヤからともに来た女たち」(マルコ15:40-41)を参照。

 

マタイは、「マグダラのマリアともう一人のマリア」の二人。

マルコの「サロメ」は削除している。

マタイは、「ガリラヤからともに来た女たち」の段でも、マルコのサロメを削除し、「ゼベダイの子らの母」に書き変えている。

 

マルコはそこの「小ヤコブとヨセの母マリア」を、ここでは「ヤコブの母マリア」としているので、マタイとしては、「ゼベダイの子ら母」を登場させる必要がなかったのだろうか。

 

とすれば、マタイはゼベダイの子ら母をマリアという名前だと思っていたことになる。

「ガリラヤからともに来た女たち」の段では、名前は削除しているが、「サロメ」としていたのに。

 

両方の名前を持っていたと考えていたのか、あるいは、マルコと同じく、ヤコブの母マリアをイエスの母マリアと考えているのか。

 

いずれにしても、ハルパイの子ヤコブの母がマリアという名であったことを示す明確な聖書の記述はない。

 

 

ルカには女たちの名前は登場しない。

三人称複数形の動詞が並べられているだけで、主語は置かれていない。

主語が誰を指すかは、23:55の「ガリラヤから彼と共に来ていた女たち」にまでさかのぼらなければならない。

古代の話ではあるが、相変わらずのルカの女性蔑視思想が垣間見える。

 

ただし、23:10には「マグダラのマリアとヨハンナとヤコブの母マリア」という名前の三人の女性と「ほかにも一緒にいた女たち」が登場する。

マルコでは「マグダラのマリアとヤコブの母マリアとサロメ」の三人。

 

マルコとルカの「ヤコブの母マリア」という表現は共通しているが、それぞれ別の人物を指している可能性が高い。

 

マルコの「ヤコブの母マリア」はイエスと兄弟のヤコブとヨセの母であり、イエスの母のマリアを指す。

ルカの「ヤコブの母マリア」は、ルカがどの「ヤコブ」を念頭においているかによって異なる。

マルコと同じく、「イエスの母マリア」の可能性も、「ゼベダイの子ヤコブの母マリア」の可能性も、「使徒のハルパイの子ヤコブの母マリア」の可能性もある。

 

ルカは、マルコの「サロメ」を「ヨハンナ」(IOanna)に変えている。「ヨハネ」の女性形。

ルカ8:2-3には、七匹の悪霊が出て行った「マグダラのマリア」と共にヘロデの執事クザの妻「ヨハンナ」が登場する。

「ヨハンナ」は、ルカにしか登場しない女性である。

おそらく、「マグダラのマリア」と同じく、ルカ周辺で伝説化されていた女性だったのであろう。

 

ルカは8:3で「ほか大勢の女性も彼ら(イエスと弟子たち)に仕えていた」としているので、ここでも「ほかにも一緒にいた女たち」を登場させたのだろう。

 

 

ヨハネで最初に墓もうでした女性は、マグダラのマリア、ただ一人である。

 

墓から石が取り去られていたので、走って、ペテロとイエスが愛していたもう一人の弟子に報告する。

 

二人が墓に確認に行くと、墓の中には亜麻布が置かれているだけであった。二人の弟子はイエスの遺体が墓にないのを見て、遺体が取り去られた、事を信じて、戻って行く。

イエスの復活を信じたわけではない。

 

8「死人の中から復活するはずだ、という書物を彼らはまだ知らなかった」とする句は、教会的編集者の挿入。

 

白衣を着た二人の天使が、墓の中に入って泣いているマリアに話しかける。

振り向くと、人が立っており、園丁だと思った人は、実は復活したイエスであったという。

 

ヨハネで最初に復活したイエスに出会うのは、マグダラのマリアであり、弟子たちに「私は主を見た」と報告する。

 

復活したイエスは、入口が閉じられた場所にいた弟子たちのところに現われ、説教する。

 

トマスはその時は弟子たちが集まっていた場所に居なかったので、イエスの復活を信じなかったが、八日後に、戸が閉じられていたのに、再びイエスが中に現われる。

 

その後、ガリラヤに戻って漁師をしていたペテロたちやほかの弟子たちに顕れ、説教したり、イエスがキリスト、神の子であることを信じ、彼の名において生命を持つための、多くの徴を弟子たちの前で示した(20:30-21:25)とされている。

 

 

すべての福音書で、岩を掘り抜いて造られた墓に出かけると、入り口を塞いでいた石が取り除かれていたことは共通している。

 

この「石」はマルコによれば、「きわめて大きく」(megas sphodra)、マタイによれば、「天使がその上に座る」(ekathEto epanO autou)ほどであり、ルカによれば、彼女たちが「中に入る」(eiselthousai)ことができるほどのもので、墓の入口を塞いでいた。

 

イエスの埋葬を見届けていた彼女たちにとって、大きさからして、とても自分たちの力で墓の入り口の石を転がすことできるとは思えなかったであろう。

 

マルコには、墓に行くまでの彼女たちの会話が記されている。

誰かが私たちのために墓の入り口から石を転がしてくれるかしらん」と互いに言っていたそうである。

 

この話が事実であるとすれば、女たちは墓の中にあるイエスの遺体に塗るためにアロマを用意しているのであるから、誰か屈強な男性を連れて行き、墓の入り口の石をどけてもらわなければ、中に入ってアロマを塗ることができないはずである。

 

誰の助けも求めず、日の出と共に女たちだけでアロマを携え、出かけているということは、「入口の石が転がされている」ことを前提にこの話が組み立てられていることになる。

 

おそらくこの話は、ゼロからの創作物語、というのではなく、何らかの事実が関係しているのであろう。

 

マルコでは、墓の中に「白い外衣をはおった若者」(neaniskon peribeblEmenoun stolen leukEn)が座っているが、マタイでは、姿が「稲妻のよう」(hOs astrapE)であり、「雪のように白い衣」(leukonhOsei chiOn)を着た「主の天使」(aggelos gar kuriou)が石の上に座っている。

 

ルカでは、「輝く衣を着た二人の男」(duo Andres en esthEsesin astraptousais)が彼女たちの前に立ち、ヨハネでは「白衣を着た二人の天使」(duo aggelous en leukois)が墓の中に座っている。

 

四人の福音書著者の記述は全部バラバラである。

 

マルコの「若者」をマタイは「主の天使」とし、人間から天使に昇格させている。

単に「白い外衣」だったものが、外見が「稲妻のよう」であり、「雪のように白い衣」に強調。

 

マルコでは「若者一人」だったのが、ルカでは「二人の男」に増加。

「白い」には「輝く」という意味もあるが、人間が「光を衣」として身にまとうことなどできない。ルカはマルコの「白い衣」を「輝く衣」にグレードアップさせ、「二人の男」に天的要素を加味させたのである。

 

ヨハネはマルコを読んでいるので「白い衣」のままであるが、「若者」は「二人の天使」にグレードアップされている。

 

真実を証明するためには、二人か三人の証人が必要であり、人間より天使の証言の方が信憑性は高くなるのであろう。

 

 

マルコでは、「白い外衣の若者」がイエスを探している女たちに、「彼は甦った」(EgerthE)と一言宣言し、弟子たちとペテロに言うがよい、と告げる。

 

しかし、彼女たちは、恐ろしかったので、墓から出て行き、逃げ、誰にも言わなかった、とある。

とすれば、当然、弟子たちもペテロも「イエスが甦った」という話は、知らなかったはずである。

 

白い衣の若者は「以前あなた方に言っていたように」(kathOs eipen humin)、「ガリラヤへ行くと、そこで彼に会えるだろう」と言うだけである。

彼女たちが実際に、ガリラヤに帰ったとはされていない。

 

つまり、マルコでは、彼女たちも弟子たちも、誰も復活したイエスに出会えないままで終わっている。

ペテロたちが「イエスの復活」を語ったとすれば、それは女性たちの証言に由来するものではなく、ペテロたちの発案だったことになる。

 

 

マタイにおける「主の天使」は、「前に彼が言っていたように」(kathOs eipen)、「甦った」(EgerthE)からだ、と女たちに宣言し、弟子たちに「彼は死人のところから甦った」と言いなさい、と告げ、「見よ、あなた方に(しかと)申した」と念を押す。

 

マタイでの彼女たちは、「恐ろしくて」、墓から逃げ出し、誰にも言わないのではなく、「大きな喜び」をもって、弟子たちに伝えるため、急いで墓から出て、走って行く。

もはやイエスの復活は既成事実化している。

途中で彼女たちは復活したイエスに出会い、「足にさわって」拝礼する。

 

マルコでは、「あなた方を先立ち導いてガリラヤへと行く。そこで、逢えるだろう」という生前のイエスの言葉を、白い衣の若者が彼女たちに伝えるのであるが、マタイでは、天使だけでなく、復活したイエスが直接彼女たちに伝える。(28:9-10)

 

そして、マタイでは弟子たちがガリラヤに行き、ガリラヤの山で復活したイエスに出会って拝礼し、イエスの指示を受ける。(28:16-20)

 

マルコでは、誰も復活したイエスに出会うこともなく、誰もガリラヤには行っていない。

マタイは、復活したイエスが女たちと出会い、弟子たちをガリラヤに行かせ、そこで復活したイエスと出会うように仕立て直したのである。

 

 

ルカでは、「人の子は罪人たる人間たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目に復活する(anastEnai)ことになっている」ということは、イエスがガリラヤに居た時から、「あなた方に語っていたこと」とされている。

 

この言葉は、マルコに三回繰り返される受難予告(8:31,931.10:33-34)を元にしたもの。

ルカもそれぞれの個所(9:22.44,18:31-33)で写しているが、そのいずれの箇所とも言い回しが異なる。

 

特にマルコ9:31=ルカ9:44で単に「人々の手」(eis cheiras anthrOpOn)と言っているところを、ここでは「罪人たる人間たちの手」(eis cheiras anthrOpOn hamartOlOn)と「罪人たる」という形容詞を付加している。

 

ルカとしては、ここに「罪人たる」という語を入れたことに二つの思惑があるのだろう。

 

一つは、人間は神の前で例外なくすべて罪人であり、罪のない唯一の人間は「神の子」であるキリストだけである、というルカ神学。

 

もう一つは罪のない唯一の、「人の子」たるイエスを殺したあのユダヤ人たちは「罪人」の中でも最たる「罪人」である、という意識が働いているのであろう。

 

マルコの受難予告では、三度とも「人の子は殺された」(apoktenousin auton)と、端的に述べているだけあり、ルカも並行個所ではそのまま写している。

ルカにおける三度の受難予告の、いずれにも「十字架」(stauros)に由来する語は使われていない。

 

ところがここでは人の子は「十字架につけられた」(staurOthEnai)という「磔の木」(stauros)を動詞化したキリスト教用語(stauroO)を使っている。

 

つまり、ルカには「イエスの十字架」を神が定めた人類救済の出来事であるというキリスト教ドグマとして扱っているのである。

 

そして、マルコでは女たちは「恐ろしくて」誰にも言わなかったとあるのに、ルカもマタイと同じく、一切のことを「十一人」と「ほかのすべての者」に伝えたのである。

 

ところがルカではマタイとは異なり、彼女たちの証言するイエスの復活を受け入れない。

使徒たちは戯言とし、女たちは信じない。相変わらずのルカの男尊女卑。

 

12「ペテロだけが半信半疑で墓に行き、「亜麻布」(othonia)だけが残っていたことを確かめるが、復活を信じるには至らなかった」とする句は、後代の写本家による挿入。

 

「亜麻布」(othnia)という語はルカのほかの個所には出て来ないし、同じ布を23:53では「上等の布」(sindoni)としている。しかし、ヨハネでイエスの遺体を包んだのは6「亜麻布」(othonia)であり、物語の展開も一致している。

ルカの原文ではなく、ヨハネ20:1-10からの持ち込み。

 

ほかにもヨハネ書からの挿入文がルカの最後の箇所にはいくつかある。

 

ルカで復活したイエスに出会うのは、クレオパスともう一人の旅人で、エルサレムからエマウスに向かう道中でのこと。

 

最初はイエスとはわからず会話するが、パンを取り、祝福して割き、彼らに分けると、イエスを認識し、彼らはエルサレムに戻り、十一人と仲間の者たちに説明する。

そこに復活したイエスが顕現し、復活を確信させるために焼き魚を食べる。

 

ルカの使徒たちは、マタイとは異なり、ガリラヤに行って、復活したイエスに出会うのではなく、ずっとエルサレムにとどまっており、エルサレムで出会う。

 

マタイにおける復活したイエスの最後の場面は、ガリラヤの山での場面であるが、ルカにおける復活したイエスの最後の場面は、福音書と使徒行伝で異なっている。

福音書では、50「ベタニア」で昇天するのであるが、使徒行伝では、1:6-12「オリーヴ山」での昇天となっている。

 

 

ヨハネでは、墓の前で泣いているマグダラのマリアの前に復活したイエスが現われる。

最初はイエスだとは気付かなかったのであるが、「マリアム」という呼びかけで、イエスだと確信する。

そして彼女は「私は主を見ました」と弟子たちに告げるのである。

 

マルコでは、イエスが「あなた方に言っていた」ことは「あなた方を先立ち導いてガリラヤへと行く」ということであったのが、マタイではイエスが「自分は死人のところから甦る」と言っていたことにすり替わっている。

 

ルカによれば、彼女たちは、イエスが語ったはずもないキリスト教用語を使った「彼のこの言葉」を思い出し、墓から帰って来て、弟子たちやほかのすべての者に伝えた、そうである。

 

つまり、イエスの復活に関する証言や、復活後の行動や昇天に関しても、さまざまな伝承が語られており、イエスの復活を事実とし書かれている点では一致しているが、各種の物語に各福音書間の一致は見られない。

 

共通点を探ると、女たちが墓に行った時、墓が空であったことと、どうやら女たちのそばには、白い衣を着た人間がいたらしい。

 

ガリラヤ出身の女性たちにはなじみのないエルサレムの墓地でのことであり、銘が刻まれているわけでもない。

金持用の墓地とされていたところであるから、イエスが埋葬された墓と同じように岩をくりぬかれた墓はほかにもいくつかあったのだろう。

 

彼女たちがイエスの墓だと思った場所は実は別の空の墓に訪れてしまい、少し離れたところに白い衣を着た人がいるのに気付き、彼女たちはあわてて、逃げて来た、というだけだったのかもしれない。

 

これも復活を前提にしないだけで、書かれていることを前提とした想像物語に過ぎないのであるが…

 

イエスの復活物語は、ペテロをはじめとする使徒集団によって、伝承されていったことを「空の墓」伝承以後の各福音書の記述が示唆している。

 

奇跡的聖者物語というものは、何らかの事実を元に尾ひれが付き、現実と想像的願望とが混然一体となり、天的要素を加えつつ、物語が創られ、伝承され、伝説となるものである。

 

マルコからマタイへと時代を経るにつれ、聖者伝説は拡大し、様々な物語に尾ひれが付けられ、雪だるま式に巨大化していき、イエス・キリスト物語が作られていったのであろう。

 

マタイは、女たちによる「空の墓」伝承の前に、エルサレム議会の連中が自らピラトの兵士たちを引き連れ、イエスの墓を三日間、監視したという「墓の警備」伝承を置いている。

 

もし、それが事実であるとしたら、ローマの兵士たちはイエスの復活を目撃していたはずであり、復活を目撃したローマ兵士の証言があれば十分なはずである。

 

福音書のローマ兵の証言として、イエスの死に際して、「まことにこの人は神の子であった」(マルコ15:39、マタイ27:54、ルカ23:47「義人」)とする百卒長の言葉はあるが、イエスの復活を目撃した、という証言はどこにもない。

 

復活の目撃証言があれば、サンヘドリンが、ローマ兵に金を払い、イエスの信者たちがイエスの遺体を盗んだのだ、などという噂を流させた、という話(28:11-15)など必要ないはずである。

 

サンヘドリンにローマの軍隊を動かす権限があろうはずもなく、マタイによる創作物語であろう。

 

ユダヤ教側からのイエスの復活に対する批判がなされていたことに対するキリスト教側の弁明であることは明らかである。

 

むしろ、キリスト教徒がイエスの遺体を盗み、キリストが復活したと伝承し、キリスト教を伝道しはじめた、とする方が事実であるように思える。

 

マルコでは、復活したイエスは登場しない。

誰も、復活したイエスに合うことも、会話することもない。

 

イエスの復活をキリスト教ドグマの中心として活動したペテロをはじめとする使徒集団と復活を否定するユダヤ教サドカイ派との論争を経て、マタイ・ルカの時代には、更なる聖者伝説が加わり、復活したイエス自身までが登場するようになっていたのであろう。

 

ヨハネでは、槍で刺されたイエスの脇腹に指を入れる話まで登場し、イエスの復活を「見ずして信じる者が幸いである」とイエス自身が語るようになる。

 

生前のイエスは自分をキリストとすることなど一度もなく、キリストと祭り上げようとする弟子たちを厳しく叱っていたのに、である。

 

「空の墓」伝承とその後のイエス物語をつぶさに分析していくと、イエスの復活物語が創作されていく過程が見えて来る。

 

それでも、イエスの復活は真実であり、終末にキリストとして再臨し、地上に神の国を実現させることを信じて待つのも信仰の自由ですから、どうぞご自由に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後記

これで、マルコを基盤とする福音書の比較研究の一区切りと致します。

初期の記事には、修正したい部分や取りこぼした部分も多々あるのですが、そのままに残しておきます。

 

WT組織や教理の矛盾を探り当て、確信したとしても、聖書そのものに対する理解がないとJW信仰の刷り込みは解けないと思い、始めた素人の聖書研究です。

 

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                                 R06.08.13  ヤマ