私の父は、私が高校生の時に
その当時まだ非常に珍しかった、
若年性の認知症を発症した。
いや、発症はもっと前だったのかもしれない。
何しろそんな発想がなかったから、家族の誰も気づかなかった。
中学生ぐらいの、、、ちょうど父親への反発が生まれた頃、
このひとはバカなんだ、嫌だなぁと避けるようになった。
ヒステリックな母の、理屈に合わない主張に
なんとなく同調しかしない無能な人
思春期のわたしにはそう見えていたんだよね。
わたしはこんな記事を書いてしまうぐらい母親という存在に怒りを抱いていたけれど(この記事には既に怒りはないけどね。そんな母親と同じ自分をもう認めて降参しただけである)
ほんとうにどうしようもない怒りを抱いていたのは父親の方にだったかもしれない。
病気だと気づかずに見下してしまっていた罪悪感、
あまりに始まりが早くて、徐々に悪化していくしかない、長い希望のない介護の過程で(といっても母と施設が実務的なことの多くをやっていて、私はさして手は動かしていないのだが)
家庭がさらに混乱していき、世界に対する不安と絶望のなかで
私はとにかく「一人で食べていけるように」ということが価値観の全てを占めるようになった。
見た目に対するコンプレックスも深かったから、女性として愛されるとか護られるという希望ははなから捨てていて(女性らしい職業に就くことも)
「誰も私のことは助けてくれない、支えてくれるものは何もない」
それは疑いようのない前提で、そのことに怒りを感じていることに気づきもしなかった。
「世界に対する怒り」=「無力な父親に対する怒り」は封印されたままだった。
大学生の頃の忘れられない記憶があって、
もうその頃の父は家族の誰が誰だかを認識してるのがやっとというぐらいで、ほとんどまともな会話などできなかった父を、私がデイサービスに送り迎えする担当だった時期があった。
(認知症は発症が早いほど進行も早い。それに当時は治療法などの情報もほとんどなかった)
私は得意なことを活かしてなんとか生き延びたいという気持ちで進んだ美術系大学でも、デザインという世界についていけない、壁にぶち当たっていた。
(今思うとその時点で「好き」よりも「得意」で何とか人より秀でて「食べていける」ようになる、ということしか考えてなかったから、パワーも出ないし他の「好き」で道を選んで来た周囲が眩しくて、馴染むこともできなかったんだろうね)
父とデイサービスに向かう道、なんとなくぼーっと歩いてるだけのように見える父に向かって、私は色々頑張りたいけどもうどうしようもない、、、なんて話をほぼひとりごとのようなつもりで話していた。
すると父が言った
「お父さんも、仕事とか色々、もっと頑張るつもりだったんだけど、こんな風になっちゃったから。。。お母さんのこと助けてあげてな」
これには本当にびっくりした。
家族の中でも、周囲の誰も「こんな風になっちゃった」ことを父が正確に理解しているという認識はなかったからだ。
デイサービスに通っている時も「仕事に行っている」つもりだったりした父が、急にそんなまともなことを喋るという違和感とおどろきを、この文章だけを読む人にうまく伝えられているのか自信はないけれど。。。当たり前の言葉のように聞こえるかもしれないけど。
母にこのことを話したら、とても驚いて、いつまでも何度もびっくりしていて、そして嬉しそうだったんだよね。
私はそれを見て「よかったね」という気持ちの下に自分の絶望感をしまい込んだ。
その絶望感は「やっぱり私のことはだれも助けてくれないんだ」というもの。。。
子供の頃からヒステリックな母に振り回されていた私は、上の姉兄ふたりもさっさと家を離れる中で「私だけは残って母を守らなければいけない」と思い込んだ。なんたって父がそこまで私に伝えたかった、純粋な願いだから。
…とはいえその2、3年後に、なんとか私が支えて守ろうとしていたその母から
「あんたのせいで、あんたが嫌いだから、姉兄ふたりは出て行ったのよ。こんなことを言ってあげるのは母親の私だけ。あんたには誰もいないに決まってるんだから」
というような決定的な、ありがたい言葉をいただいたおかげで、私は父の願いを無視することができた。
嫌味のようだが「ありがたい」は本心で、そこまでされなかったら私は父の願いのためにずっと自分を殺し続けただろう。
それで世界への絶望感が消えたわけではないけれど、おかげで自由になることはできた。
あまりに無力に見えた父だけど、
父は父で、病気になることで、病気になってまで母を自由にしたという部分があった。
(それまでの専業主婦からパートを始めたことで、母はヒステリックな部分が大幅に減って、ほんとうに明るくなった)
そして何も理解できなくなったような時まで、母のことを心配し、娘の私に「助けて」と頼んだ。
そしてあんなに誰にも頼れない、味方はいない、自分で生きていかなければ…と思いつめていたはずの私は、父が病気になってから今に至るまで、実際にお金に困ったようなことも一度もないんだよね。
それは、「力」ではなく父の大きな「愛」に本当は護られていたからではないかと思うのだ。
先日のしーくんの講座でも「旦那さんより稼いではいけない」と思ってる受講者さんに、しーくんが「旦那さんのこと、いい感じに見下してんじゃない?」とサラッと伝えてたんだけどね。
男を力で測ろうとするから、そんな見当違いが起こる。
力じゃない、男の「愛」の深さを見くびるなよ、ということなんじゃないのかな。
パートナーシップだけは語れないと思ってたんだけど、長々語ってみたおかげで、私も「語れない」と思ってた理由が見えた気がするよ。
はるちゃん、いつも驚きの「それ、知ってた!」という衝撃の気づきをありがとう