きょうは先日読んだ本の丸パクリ引用文を載せてみます。
鈴木康之著書「名作コピーに学ぶ 読ませる文章の書き方」
↓こちらですね↓
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文章は書くものではない 読んでもらうものである
【施しを集めた詩人の一言】
詩人アンドレ・ブルトンが物乞いにある言葉を贈った話を知っていますか。
私は「ロスチャイルド家の上流マナーブック」(伊藤緋紗子訳/光文社文庫)で読んで膝を打って以来、よく文章教室の講義のマクラに拝借している話です。
フランスの詩人アンドレ・ブルトンがニューヨークに住んでいたとき、いつも通る街角に黒いメガネの物乞いがいて、首に下げた札には、
私は目が見えません
と書いてありました。彼の前には施し用のアルミのお椀が置いてあるのですが、通行人はみんな素通り、お椀にコインはいつもほとんど入っていません。
ある日、ブルトンはその下げ札の言葉を変えてみたらどうか、と話しかけました。
物乞いは「旦那のご随意に」。
ブルトンは新しい言葉を書きました。
それからというもの、お椀にコインの雨が降りそそぎ、通行人たちは同情の言葉をかけていくようになりました。
物乞いにもコインの音や優しい声が聞こえます。
数日後、物乞いは「旦那、なんと書いてくださったんですか」。
下げ札にはこう書いてあったそうです。
春はまもなくやってきます。
でも、私はそれを見ることができません。
誰が見てもうらぶれた物乞いです。
黒メガネをかけているのだから盲人であることも分かります。
「私は目が見えません」は言葉の意味をなしていないのです。
アンドレ・ブルトンの言葉のほうには、訴えるものがあり、憐れみを乞う力があり、人に行動を促す力、もっとえげつなく言えば集金能力がありました。
目的はそれだったのです。
読んでもらって、施しの気持ちを起こさせ、施しをいただくこと。
目的を果たしてこそ、言葉です。
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まぁこれを読むと、発信者側の視点からことばを発するんじゃなく、読む側の視点でことばを選んでわかりやすく伝えることが大事なんでしょうかね。
よくお買いものなんかをする時、品質は確かだけれども、同じトマトの商品で値段の高いスーパーと安いスーパーがある。
けれども値段の高い方のスーパーの商品説明が、”取れ立て新鮮”や”産地直送”だけだったら、それを見たお客側とすれば「だからなんなの?」と安いスーパーでトマトを買っちゃう。
ただ単に値を釣り上げてるならはなしは別だけど(笑)、値段が高いそれなりの理由があるんだったら、それを買う側にわかりやすく伝えること。
「独自製法で作ったトマトなので、他のトマトよりも値段は高いです。だけどその分ビタミンAとビタミンCが豊富に含まれてます!」
などと伝えられれば、「おっ!じゃぁ、買ってみようか」の気持ちには少しはなるかな?
一方的言葉の発信じゃなく、それを見る人、読むの立場から情報を発信すること・・・それがイコールことばの影響力として返ってくるんだろう・・・たぶん。

