『神社』について
コンビニと神社って、どっちが多いと思う?
日本のコンビニの数は約4万軒もある。
神社はさらにその倍で、約8万社もある。
日本は、なぜ、こんなに神社が多いのか?
薩摩藩(鹿児島県)&長州藩(山口県)を中心とする明治新政府勢力VS会津藩(福島県)&庄内藩(山形県)を中心とする徳川幕府を支えた勢力。
この両者の戦いを戊辰戦争という。
勝ったのは、新政府勢力。
ここで、ひとつ奇妙なことがある。
負けた庄内藩には敵である薩摩藩のボス、 西郷隆盛を神様として祀った南洲神社がある。
山形県酒田市に南洲翁(西郷隆盛)の遺徳をたたえて、 昭和51年(1976年)に創建されている。
戦争で負けてるのに、敵を神様として祀るって一体そこに何があったのか?
負けた庄内藩の戦後処理に当たったのは薩摩藩。
かつて三田の薩摩藩邸を焼き討ちにし、 戊辰戦争でも新政府軍に多大な損害を与えた庄内藩。
庄内藩主・酒井忠篤は、切腹の覚悟を決めて、薩摩藩のボス、西郷隆盛の前に現れた。
負けた側のボス、酒井忠篤は切腹する覚悟が決まっていた。
しかし、平伏した酒井忠篤が顔を上げると、そこにあったのは西郷隆盛の穏やかな表情だった。
「悪かったとおわかりになれば、それで結構。
切腹して詫びるなんて、とんでもないこと」
続いて、庄内藩が武器一切の目録を差し出すと、「貴藩は、北方からのロシアの攻略に対する備えとなる藩です。
この武器は、すべてそのまま保管しておい てください」
武器も没収されない。
庄内藩を、敵ではなく、新しい時代の同胞として遇する西郷の誠実な態度に、庄内藩の藩主はじめ家臣一同、涙を流して感動したと言われている。
この時の感動が、戦禍にまみれた庄内の地を癒した。
敗者でありながら、庄内藩には愛が溢れた。
この感動が100年以上語り継がれ、酒田の地に西郷を祀る南洲神社が作られた。
明治3年には、藩主・酒井忠篤自らが、 78名の藩士を引き連れて、西郷の教えを乞いに鹿児島を訪れている。
そして、西郷の教えを文字に記して『南洲翁遺訓』として制作。
これを全国を歩き回って配った。
『南洲翁遺訓』には、西郷の哲学がおさめられている。
例えば、「人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして、己を尽くし人を咎めず、 我が誠の足らざるを尋ぬべし」
常に天を相手にするように心がけよ。
天を相手にして自分の誠を尽くし、決して人を咎めるようなことをせず、自分の真心の足らないことを反省せよと。
西郷隆盛は、あれだけの大事業を成し遂げながら、一冊の本もこの世には遺していない。
しかし、 庄内(山形県)の人々が西郷の生き方・考え 方を語り継いでくれたおかげで、西郷の考え方を知ることができた。
強い立場になったものがやるべきことは、 相手の気持ちをいたわること。
憎しみの連鎖は愛によって断ち切れる。
八百万(ヤオヨロズ)といわれるように、 なぜ日本には神様が沢山いるのか、その理由。
相手を心から思いやった人が神様になる。
この国は。
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