2010年の1月より、坂出道場指導員の命を受け
丸6年間やって参りました
指導員になるのが この時 初めてでした
マスターズ全日本で 1日に2回も負けて(準決、3決)
これではいかんと、稽古日を増やそうと思っていた所に 指導員の話しがきました
準決で負けた試合です
前任者の先輩が お仕事の都合で 退会される事になり
自分に話しが来ました
正直、自分が人に教えるなんて出来るのか?
稽古日が減ることにならんのか?
自分が指導員で 人が集まるんか?
と不安だらけでした
しかし、師範代から 教えながら教わる事が沢山あります!と
また、客観的に自分を見れるようになり 自分自身の組手の幅も広くなる
真摯に向き合えば 人は集まります!と仰って戴き
自分にとっても プラスになるし、また子供の頃からの
憧れの 極真空手 その極真空手の指導員という これほどの名誉なことは無い!と お受けする事になりました
正直、返事は 押忍!しかありませんが…
といいつつも 翌日には やらせてください!とお願いしていました
この坂出道場は 桑島道場では 本部に次ぐ 2番目の道場
また 厳しい稽古、補強、ガチ組手で 昭和の極真道場で
有名でした
自分はその伝統も護りつつ、本部に呼吸を合わせて
やっていき、その上で 楽しく!安全に!
という 方針で行こうと決めていました
流すような稽古は決してせず、また毎回やることを変えたりして やっておりました
しかし、時には マンツーマンで
時には 誰も来ないという日も 何度もありました
そのときは さすがに落ち込みました
今思えば、変な気を使っていたように思います
本音のぶつかり合い
本気のぶつかり合いを恐れていたのかも知れません
これでは 極真でも 桑島道場でもない!
全力で行く!
そこからが、本当の指導員であったかも知れません
結果、一人増え、二人増え
ようやく 二桁を越えるようになってきました
坂出道場には 名物! 補強!があります
自分は 激しく!楽しく!がモットーですので、
気がついたら バッチバチの身体になってる作戦で
いろんな補強をしました
みんな ヘロッヘロになり、ヨダレをたらしながら笑っている不気味な光景(笑) 一種の光を放っていました!
坂出道場の指導員になってから 約半年後、
なんと 合宿中に心筋梗塞を発症してしまいました
実際は ギリギリでした
なんとか一命をとりとめた私ですが、
救急車で運ばれる最中、
親族よりも 勤め先よりも 何よりも 何を差し置いてでも
最初に電話をしたのは 師範でして
「押忍!今、救急車で中央病院に向かっていってます
即、手術だそうです ですので 来週の坂出道場、どなたか 指導の交代をお願いしたいのですが」
自分でも ホンマかい と思うぐらい 坂出道場の事を気にしてました
最初にいった病院で心筋梗塞を告げられ、県立病院へ
救急車で搬送されたわけですが、
死ぬかもしれない とは全く思わず
空手が出来なくなるとも 1ミリも思わず
それどころか 次の審査には間に合わんやろけど その次の審査までには 完治して 昇段審査を受けてやる!と
思っていました
頭の中は空手で詰まっていましたので 一番気にしていたのは 坂出道場の事でした
入院中は Y田先輩が 坂出道場を指導してくださっていました
退院後、一カ月間の休養をいただき 翌月から坂出道場に復帰しました
激しい運動はダメ、重たい物を持ってもダメと
仕事や生活に限定のかかる 身体障がい者3級に認定されてましたが、
坂出道場は 激しく 楽しく!
なんら今までと変わりなく、スパーリングも参加してガンガンやってました
さすがに坂出道場名物、補強は 号令だけでしたが
うすうす感じてはいましたが、わたしはSなのでしょうか? めっちゃ補強になって みんながヘロヘロになるのを見るのが なんとも言えない幸福感に浸っておりました(笑)
昨日の稽古までに 2回、交代をお願いしました
1回は体調不良で M初段に
もう1回は 高速道路通行止めで 帰れずに 指導を交代してもらいました
彼は 自分が退学になった時も
心筋梗塞で運ばれる救急車の中でも
2~3時間の手術の間も、
いつも隣りにいてくれてた友です
プチお別れサプライズ会
最後のショットは女子会?
と 親睦も深めました
大阪から帰ってこられ 家族でずっと参加してくださる
先輩
アザが出来て喜ぶ 奇妙な集団
ローを貰いすぎて 工夫をしてズボンを履く 親分
ひじ汁が出るまで ひじ打ちをミットにめり込ますSさん
椎間板ヘルニアを 廻し蹴りで発症させた 中盆の宗
想い出は数え切れないほど あります
ミットスパーリングを中心とした稽古内容でしたので
選手の方も何人かこられてました


















