前回「存在の軽さ」について書いてから随分と日が経ってしまった。その間も考えることは色々あったのだが、もう一つアウトプットには繋がらなかった。
「生きるとは」を考える中で、昨日は心を揺さぶられるニュースがあった。そう、小林麻央さんが亡くなったことである。
なぜだか気づかないうちに小林麻央さんの存在が心のなかで大きくなっていて、亡くなったというニュースを目にした時、想像もしていなかった大きな喪失感を味わった。
前回、自分の存在がどれ程も意味がないことを綴ったが、小林麻央さんのように多くの人の心に確かに存在し、失ったことによって喪失感をもたらすような、そういう人もこの世の中にいるのだ。
一日経ってもなお、多くの人の声を目にするが、どれを見ても小林麻央さんの存在がどれほど多くの人に影響を与えていたかを認識するものである。
人が「生きる」とは「人がこの世に存在する」と同義なのではないか。つまり「生きるとは何か」とは「存在するとは何か」を考ることなのではないか。そう考えると人にとっての「存在」の定義を突き詰める必要があるのかもしれない。
最後に、小林麻央さんのご冥福を心からお祈りします。