久しぶりに自分のブログを覗いてみた。

視野狭窄な視点には幾らか自覚的であったが、これほど詰まらないコトを冗長に書き連ねていたのかと唖然とした。2,3の記事を読んですっかり閉口してしまい、毎日1記事ずつ消していこうかと本気で考えている。

最後のブログが去年の9月で、恰度地元百貨店で開催された催事の事を書いている。このとき買ったモケモケは、ほぼ毎日飽きもせず続けている黒ひげ危機一発の樽置きと撮影用のスマホ立てとして活躍している。

買ったときには何かに役立てようとは全く考えていなかったのだが、こうして役に立っている。逆に、同じ催事で前の年に買った陶製品は長らくオーディオラックの上に留まっていたが、先日事情があって中古のCDプレイヤーを買ったためにスペースが塞がってしまい、2階の滅多に人の出入りしない暗い部屋に押しやられてしまった。

これは別に飽きたとか厭になったとか、そういうことではない。ただ単に飾る場所がなくなってしまったのである。飾る場所を失ったモノからこんなに心が急速に離れていくというのは、我ながら意外であった。結局モノは空間がなければ生きられないのかもしれない。

ところで、黒ひげ危機一発と並んで継続して取り組んでるのがCDの整理である。

これまでは気に入りの作曲家という観点から選別を進めていたのだが、これを作品本位に改めた。私は人から好きな作曲家を問われるとバッハとモーツァルトはたいてい不動で、残り1枠にマーラーを入れてみたりシベリウスを入れてみたりしていたのだが、そもそもこの考え方が違うのではないかという気がしてきた。

たとえばバッハで言うと、ブランデンブルク協奏曲は大好きだが管弦楽組曲は滅多に聴かない。チェロとヴァイオリンのために残された無伴奏作品も、全曲聴き通すのは正直つらい。器楽曲でいうとパルティータは好きでよく聴くけれど、イギリス組曲やフランス組曲はそうでもない。声楽だとマタイは1ヶ月に1度ぐらいは聴いている気がするが、ヨハネを最後に聴いたのはいつだっただろうと、ざっと思いつく儘に挙げてもこんな具合である。

モーツァルトに至っては、好きだと公言しておきながらオペラは全く聴かないのだから、それで果たしてモーツァルト好きだと言えるのか甚だ心許ない。

そうなると、好きな作曲家と一口に言っても中身にはかなりバラツキというか濃淡があるので、CDを整理する際にも作曲家縛りで聴きもしないCDを手元に置いておく必要はないのではないかと思い始めた。

これでかなり整理が捗って、手持ちのディスクを随分減らすことができたのだが、まだ多い。

明日卒中で死ぬかもしれないという心持でラックの前に座って要らないCDを摘まんでは、中古屋に出す段ボールに放り込んでいる。

今日も人生が無駄に過ぎていく。