毛抜きで髭抜きしている私へ


脱毛に行くお金もなく、

当時メンズの脱毛はまだまだだった頃、

私は毛抜きで髭を処理していたね


抜いても抜いても生えてくる髭に

苦しくて苦しくて

リストカットしているね。


男化していく事に必死で抗って、

辛くて頭ぐしゃぐしゃになって…



ネットで調べれば、

毛抜きでする事で、埋没毛になるとか

肌を傷つけるとか、

否定的なものが多いけど、


よーく考えてみて!

それ全部、脱毛のエステのブログだったり、

広告だったりするから。

けど、鬱でそんな判断力がないのも分かる。


だから安心材料を、まずひとつ。

毛抜きで続けても思ったより酷い事にはならないよ。

ある程度までは綺麗になる。

深追いは禁物。

必死になるあまり、全てを追いかけるけど、

抜けるものだけを抜く。

これに尽きるよ。


あと、べらぼうに高い毛抜きを買うか悩んでると思うけど、

そのお金は将来のエステ代にとっておいて。

毛抜きは1000円もしないもので十分。

なんなら数百円のでも良いものあるから。

そんなトップブロガーおすすめの

2万円の毛抜きに悩んだりしないで。



ここまで言っておいて、

残念なお知らせもあるの。

脱毛に行かない限り、永遠に生えてくるの。

私は今、それで悩んでる。

なんならむしろ、

範囲が広がって、今までなかったところと

戦う事になる。


だから、

早いうちから10万円ほど目標にお金を貯めて、

同時にエステを検索しまくって、

カウンセリングまで済ませておくことを

おすすめする。



今の私がやってることは、

当時の私と変わらないのだけど、

リストカットやODはしないから、

メンタルは良い方。


あ、

生きてることに

喜んだか、がっかりしたかは

聞かないでおくね。

ちょっと料理が上手い人に

「あなた、料理上手いね!お店出せばいいのに!」

なんて言う人がいるが、

果たしてそんなに安易で良いのか?



飲食店に大事なのは、

料理の美味しさはもちろんなのだけど、

料理の見栄え、

接客や、

お店の雰囲気、

通いやすいか、

それらを含めて妥当な値段か、

など、

料理に関係のないところも、

非常に大事な要素となっている。


※因みに私は、接客の良さを重視。



しかしながら、私たちを含めた凡人は、

料理以外の要素がどれほどあるか分かってないし、それを補うスキルも欠けている。

だから、たとえ料理の腕が良かろうが、

接客の際、

飲み物をテーブルに ゴンッ!! とおき

無愛想に提供しては、

せっかくの料理も台無しにしてしまう。



そして、次第にお客が減っていくと、

なぜだろうと考える。

至る結論は、

「やっぱ料理向いてないのかなあ?」

と。


凡人は、一つのサービスに必要な要素を、

いくつもいくつも考えることができない。



料理以外でも、同じだ。

本を売るためには、内容も大事だが、営業スキルがいる。

事務では、事務仕事以外でも電話対応のスキルや、コミュ力がいる。

など。


それらを補うスキル、例えば、

人を頼ったり、信じたりできる力があれば、

またそういう人と仲良くする力があれば、

上手くいくかもしれない。

いや、実はこっちの方が大事なのかもしれない。





長々と書いていて、

結局何が言いたいのかというと、

私は、

そう、

そういう力がないのだ、と

そういう話なのである。


毎日、不安に潰されそうで、

なんとかピンピンに張り詰めた線を一本保って生きている。

これがいつ切れてもおかしくないのだけど、

切れずに生きているのが、自分でも不思議。



この不安により、行動をせまられ、

今ここに立っている。

けれど、この不安は何者だろうか?


この正体は、

自分の悲観的なメンタルが生み出したものだと、

去年あたりから考えていた。

だが最近になって、

実は今の社会に植え付けられた不安の種が芽を出しただけではないかと思えてきた。

思い返せば、私たちの世代は何ひとつ良いことを聞かされずに育っている。

バブルがはじけ、

不況が続き、

終身雇用の時代は終わり、

日本の借金は増え続け、

就職難、

ゆとりは失敗だと言われる。

ゆとりから悟り世代へ。

年金は減り、

老後2000万問題、

老老介護にヤングケアラー、

円安、

給料の上がらない中でのインフレ、

などなど、

良いことは聞かされてなかった、

もしくは記憶に残らない形で伝えられていたのかも知れない。

これを人のせいにするつもりはないが、

私はこれらの情報から身を守る術を知らず、

結果毒されていたのではないかと、

思い出したのだ。


言いかえれば、洗脳に近い。



あえて悪いように情報操作されていたとしても、

誰が何のためにか分からないが、

私たちはストレスを抱えることで判断力は鈍る。

そして、どうにでも扱いやすい人が出来上がるのは確かかもしれない。


陰謀論はさておき、

そのように不安を煽る形で情報を流されていたとすると、

整理して冷静になってみれば、

私がいるこの世界は意外と悪いものではなく、

実はものすごく住みやすい世界なのではないだろうか。


そんな可能性を、

ふと頭をよぎった。

私は不安になりやすい。

それはとてもめんどくさいほどに。

 

私が今心配しているのは

一生生きていけるのかということ。

そんなこと誰にも分からないが

誰かに大丈夫と言ってほしい。

※言われたとしても、それを信じきれず

心配は続くのだから、面倒くさい私なのだ。

 

そんな毎日、毎時間不安にさられているので

私は、必死で何かしている。

その根本に、少しばかり承認欲求がある。

だから、相手の融通ばかり聞いてしまい、

自分の歯車を崩してしまう。

とんでもなくわがままなのに、わがままができないでいる。

 

折り合いをつけてやっていくということが苦手だ。

相手の言い分、自分の通したい部分、

その妥協点を探そうとしない。

自分が折れればいいやという

私の癖である。

「やりたいこと」と耳障りのいいような悪いような話を頻繁に聞く。

いつからか、

一つの企業に就職して定年まで働いて老後はゆっくり…

なんて話は聞かなくなっている。

 

日本は傾いている

少子化、超高齢社会

ヤングケアラーに老老介護

他にもいいニュースは聞かない。

でもそれは聞かされていないだけかもしれない。

 

少しずつ毒を盛られ

徐々に生きる力や希望を摘まれていることに

私たちは気がついていない。

 

そこで、「やりたいこと」をやって生きよう

なんて聞くと、

モーゼについていくような気持ちになる。

 

毒を盛られ、判断力を奪われ、希望を与えられる。

まさに洗脳されているかのような気分だ。

 

 

「やりたいこと」ってなんだろう。

私はよく、やりたいことやってていいじゃない!

と言われるが、

当の本人はそう感じていない。

仕方なく、このような道を選んでいるに過ぎない。

それも毒を盛られた影響かもしれないが…

 

私は最近まで「やりたいこと」を勘違いしていた。

やりたいことやってるんだね、と言われてもピンとこなかった理由がある。

絵を教えることがやりたいこと

適度に子供と遊び、家族旅行することがやりたいこと

何かすることが、「やりたいこと」なのだと思っていた。

でも、深掘りするとどうもそうではないと気がついた。

 

「やりたいこと」の根本には

自分の生きたいように生きている

という意味がありそうだ。

 

私はどう生きたいのだろうか。

できるだけ多くの人とは関わりたくないし、

家の中や自然の中で安全にゆっくり暮らしたい。

時々、近所を散歩するような冒険もしたいけれど

べらぼうに遠いところ、文化も違うようなところには

あまり興味はない。

何物にも脅かされず、温かい空気を感じながら

暮らしていきたいのだ。

 

つまりは、

そのような生き方ができるように

考えなければならない。

「やりたいこと」は探しても見つからない。

やりたいことなんて私にはないのだから。

私は、生きたいように生きる方法を探さないといけない。

それは自分のメンタル強化かもしれないし

田舎の超安い物件探しや制度を知ることかもしれない。

どんな仕事でも適応できる応用力かもしれない。

 

それが「やりたいこと」をやる

ということなのだろう。