発達障害を理解する~愛すべきAutism 後編~
前回のも合わせて読んでね。満員の映画館。それぞれが少しチャレンジ。映画のチケットの事前予約購入。あまり興味はないけど、みんなに合わせての映画鑑賞。電車が苦手だけど、頑張って電車でやってくる。それぞれステップ一段上がる。そのクラスの中に自閉ちゃんが居ます。わたしのクラス編成に障害の有無は関係しません。そんなに知能は低くなく境界域の数値。彼とは少し遅めに出会ってそれから5,6年になるだろうか?彼は言語表現が素敵で、今はメルカリで自分の要らなくなったレゴを一生懸命売る努力をしています。レゴの商品説明も上手になってきたし、商品のセットもいいね!がたくさんつく。彼とは今までもいろんなイベントに一緒に出掛けてる。そのたびに気になることは本人に注意する。それを素直に正そうとする。彼から「イヤ。」という言葉やネガティブな言葉をほとんど聞いたことがない。誤りを注意したら「ごめんなさい。」と素直に謝る。もちろん自閉症の特徴も持ち合わせているので、すぐ自分の世界に入って独り言言ったり、落ち着きなかったりはしますが・・・。映画を見る時に大きなポップコーンを一つみんなのために買った。彼は塩味が好きななので、塩味にしました。店員が「サービスで溶かしバターもおかけしましょうか?」と彼に聞くと「お願いしまーす。」と可愛らしく答える。この返答もなかなかできない。大抵の子は「うん。」と言うだけ。映画館に入ってポップコーンを他の子と彼の間に置いた。もっぱら彼が食べていたけれど、時々私に取ってくれる。思い出したときに。とか「はい。」とかぐらい。そんな気遣いができる自閉ちゃんを私は今まであまりであったことが無かった。どんな育ちをしたのかといつも思う。愛情豊かにそして厳しく育っててもらっただろうと想像する。彼は歩くのが早くで自分が行きたいところへはすばやい速さで歩いて行く。昔、出かけた時は、どんどん前に行くので、「待つ」ようにお願いした。それから、先に行っていてもどこかで必ず待っている。私たちとはぐれることは無くなった。下手すると自由に行動してもらい、また決まった時間と場所で待ち合わせる。そんなことも普通にできるようになった。簡単な国語の読解問題のもへたしたら、進学校に通う中学生より上手に答えていたりもした。彼は、自閉症だけど、私たちのことも気遣ってくれるし、同じ間違いや失敗をしない努力をしてくれる。手先が器用で、とても頑張り屋。細かい描画もお得意。彼が居ると周りの空気は温かくなる。日本語の「自閉症」という言葉は好きではない。皆さんそれぞれの限定されたイメージがあって彼らの可能性を理解できないから。深刻な自閉症のイメージが強かったり、反対に知能は高いけれど、社会性、協調性に欠けていたりするイメージをもっていたり。どれも間違いではないだろうけれど、どれもある子にとっては誤解であったりする。英語の「Autism」という言葉は私たちの自閉症のイメージを限定しない。海外の「Autism」には本当に広い障害の概念だと言うことを感じさせてくれる。だから、それぞれが個性を活かした生き方をして個性を活かして何らかの形で社会と繋がっている。日本でもそんな社会になれば良いと思う。海外では「Autism(自閉症)」も「Dyslexia(ディスレクシア)」も比較的周りにオープンにしている。その方が適切なサポートを受けられるから。個々に必要な「Special Needs Education」が受けれるから。日本では、障害を受容しても個々の「Special Needs Education」を受けられるのではなくほんの少しの「Special Education」を受ける許可をもらえるだけだ。そんなことをしていては、愛すべきAutismの彼のような人材は社会で活躍できる機会を与えてもらえない。もちろん彼だけではなく、個々にそれぞれが持つ個性や特性を活かした社会参加は無理になる。どうか「自閉症」や他の発達障害同様に障害名ではなくその子、その人を見て本当に必要な学びや社会参加の機会を与えてほしいと思う。これからの未来はそうでなければならないと思う。そんな社会が早く実現するように協力してくれる学校や企業はありませんか?彼らの環境整備を真剣に行ってくれる・・・。