2006年、日本ハムの
SHINJYO(新庄剛志)が
華やかな引退劇を見せてくれました
10月27日
新庄は、マウンドの上に立ち、
プロ17年間ずっと使い続けたグラブをそばに置いて会見しました
『見てください、この汚さ!
こいつが無理だと、
もうプレーできないと、
限界だと言ってました・・・』
新庄にとって
“戦友”とも言える一品。
プロ野球選手になって初めての給料で買ったグラブで
値段はなんと・・・
7500円ぐらいらしい。
購入後メンテナンスを怠らず
何度も修理をして大切にしていたグラブ
数々のスーパープレーを実現してきた魔法のグラブ
新庄は
その生き様で、
たくさんの人に勇気と感動を与えてくれました
昨年のトライアウトに参加
結局。NPBの球団から獲得オファーが来なかったので
プロ野球の現役復帰を断念したのも記憶に新しいところですね
話は2006年の引退会見にもどします
あの時、彼の意外な一面を知ったのです
派手なパフォーマンスの中にも
同じものを大切に使い続ける
昔ながらの職人気質の新庄
たまらなく、 感動しました!
そして、そのグラブも
新庄の永遠のパートナーとして輝いて見えたんです
↑こちらは私
インディの愛用していたビジネスバッグ
約25年前に妻のお母さんから
『頑張っているネ!』って・・・
プレゼントされたものだ。
あの頃、彼(バッグ)もかなりくたびれてきて・・・
『そろそろ限界だ!』って言っていた気がしていました
なので、新庄の引退の半年前に
同じブランドの同じモデルを購入していたのでした
代替わり、お役ご免で・・・
新しく買ったバッグに持ち替えようとしたのですが
う~ん。。。
愛用したバッグに申し訳なように気がして
なかなか、決心がつかない!
2006年
12月1日、
前の日から念入りに準備して
今日こそは代替わりと心に決めていたのですが
結局、家から持ち出したのは古い鞄でした (^^ゞ
彼は間違いなく、10年間
誰よりも一番私のことを見てきたに違いない
しんどい時も
楽しいときも
雨の日も
晴れの日も
雪の日も
暑い日も
寒い日も
私にとって彼(バッグ)は、
新庄のグラブに対する思いと同じくらい
愛おしいパートナーだったのです
でも、やっぱりそろそろ限界かなっと
これ以上使うのは忍びない。
2007年一月からは
ハワイに遊びに行った時に購入し
毎日、窓際に置いて
太陽光で焼いて準備していた
新しいバッグに切り替えたのでした
2006年に
有形重要文化財に指定されたビル
大正生まれのレトロなビル
船場ビルディングの一室を借りました
インディのパートナーだった古い革のバッグ
ビルは現在、95歳
当時入れ替えた方のバッグも今や、15歳
時を刻む
人は
ギア(愛用品)と共に
時を刻んでいくのです