民主党政権で大恐慌が起こる?/若田部昌澄(早稲田大学教授)
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20090226-02-1401.html

英労働党の教訓

今年は確実に衆議院選挙が実施される。前回の選挙(2005年9月)から4年が経過するからだ。
麻生政権の支持率低下で、このままいけば民主党が勝利を収めるというのが下馬評だ。ひょっとしたら
単独過半数もありえるかもしれない。
 
民主党が政権を取るとしたときにもっとも重要な課題は何か。外交・安全保障、社会保障など、平時で
あればいろいろな課題が思い浮かぶし、それぞれ重要だ。しかし、現状で最重要課題は1つしかありえない。
それは危機にある経済の運営である。民主党の経済運営はどうなるだろうか。
こういう危機においては、どのような政策をとるべきか以上に、どういう政策をとってはならないかが大事である。
 
ここで少しばかり歴史を繙いてみよう。いまでこそイギリスの労働党は保守党と伍して二大政党の
一角を占める。だが、労働党が政権をとってからの苦労には並大抵でないものがあった。
 
労働党が苦節の末に最初に政権の座についたのは、1924年のことである。しかしこのときは
スキャンダルの勃発もあって、わずか9カ月で退陣。次に政権の座につくのは29年6月である。
ところが同年後半、大不況が襲来し、労働党政権はいきなり苦境に立たされる。
不況のときに必要なのは政策を拡張的に運営することだ。しかし党内が政策的に分裂していたことも
あって運営は後手後手に回る。
 
首相のラムゼー・マクドナルドは経済学者ケインズにも耳を傾ける柔軟性をもっていたが、経済政策を
主導する大蔵大臣フィリップ・スノーデンは頑固な均衡財政論者だった。
彼の下、大蔵省は失業手当のカットをはじめとする緊縮政策を断行しようとする。31年秋、緊縮政策を
めぐって労働党は分裂し、マクドナルドは辞表を提出する。結局国王に慰留され、彼は保守党、自由党と
挙国一致内閣を組む。大連立である。

結局これが労働党とマクドナルドにとって致命傷になる。不況の深刻化を労働党のせいにできた
保守党が大幅に議席を伸ばした。労働党は壊滅的敗北を喫し、マクドナルドは大連立内閣の
「囚人」となる。

もちろん同情すべき点はある。労働党は左派であったので、保守的な実業人たちの信頼を
獲得するためには必要以上に正統的な経済政策を遵守せねばならなかった。また当時の
経済学では、不況のときにマクロ経済政策をとることは必ずしも確立していなかった。
何よりも金本位制の足かせがあったために、本当に必要な景気対策をとることは難しかった。

金本位制の下では為替レートを一定水準に維持しなければならず、拡張的な政策をとるとレートは
変わってしまう。大恐慌からの離脱には金本位制から離脱することでマクロ政策を自由に行なえる
ことが必要だった(岩田規久男編著『昭和恐慌の研究』東洋経済新報社)。

31年9月に金本位制を離脱したイギリスは、金融緩和政策へ移行することで大不況からの離脱を果たす。


大恐慌の二の舞に?

その後、労働党は長らく野党の地位にとどまるものの、経済政策の失敗から学ぶことになる。
 
ブレーンとなる経済学者の助力もあって、労働党はマクロ経済政策を重視する戦略に転換する。
ことに重要だったのは、ほぼ独立した位置を保ち、大不況において金本位制を頑強に擁護してきた
イギリスの中央銀行イングランド銀行を国有化したことである。
 
ちなみにイングランド銀行は、1997年に独立性を獲得する。しかし、それは「金融政策の運用手段は
イングランド銀行に任せる」というだけで、政策の目標は依然として実質的には政府が決めている。
これを最終的に実行したのは、79年以来、18年ぶりに政権を奪還した労働党であった。結局のところ
政策の責任を負うのは政府である。彼らはそれをよくわかっているのだろう。

さて、いまの民主党である。仮に政権を奪取しても、民主党がそれを維持できるかどうかはひとえに
今後の実績に懸かってくる。そうであってこそ政党間競争、ひいては民主制の実が上がるというものだ。
その実績は現下の経済危機を乗り切ることにほかならない。
 
危機のときに緊縮政策はとらないだろうとは思いたい。しかし民主党の一部には不況促進的経済
イデオロギーの影響が感じられる。さすがに最近は影を潜めているものの、民主党には「景気回復の
ために金利を上げよ」という議論を唱えてきた人々がいるし、増税による財政再建論も根強い。いま財政
金融の引き締めをしたら、確実に大恐慌の二の舞である。そこまでいかなくとも危機に必要な政策
対応が遅れる危険性はある。
 
はたして民主党はこうしたイデオロギーから自由になれるだろうか。政権獲得の暁に懸かっているのは
民主党の命運だけではなく、国民のそれである。