Geekの忘備録

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この記事は私の他のブログサイトにのせた記事を修正したものです。
 
戦後間もない頃から60年代ー70年代の小説は好きです。一般の日本人の生活も今と違ってシンプルですね。テレビにスマホにと色々あるのは良いようでストレスになりますね。
 
読後感はチョットーという感じですね。
 
ゼロの焦点と同じく、被害者は元巡査で、加害者は現在の地位が高いけれど過去を被害者に知られているという関係です。
 
東北方言と出雲の関係とか、よく調査はされていますね。
 
小説としては面白いけれど、やはり無理があると思いますね。
 
まず、人間は自分の過去を隠すために何人もの人間を殺害できるかという人間の本性の問題。戦国時代とかの大昔とか戦場なら別ですが、現在において良心の呵責もなくできるのかということですね。もし、良心の呵責もなくできたとしたら、この人は社会に適応できないサイコシスというこのになります。幼い頃、ハンセン病の父親と各地を旅した時、差別されたという社会に対する恨みはあるかもしれません。しかし、子煩悩の父親から愛された子供なら簡単に人を殺せるものでしょうか。
 
第二に余りにも偶然が重なりすぎていますね。事件に関係のある人物が刑事の近くのアパートに越してきたり、別の関係ある人物がその刑事の妹のアパートに越してきたりと、できすぎていますね。それに、加害者の子供のころを短期間だけ知っている被害者が、青年になった加害者の写真を一瞬見ただけで、判別がつくのか。
 
まあ、推理小説としては面白いということですね。

 

 
この記事は私のほかブログにすでに載せたものです。
 
星の王子様の作者なので、サン=テグジュペリは童話作家か何かと思っていました(とんでもない)。凄い作家です。
 
これはまだ夜間飛行が危険だと思われていたころの話です。短い数時間のうちに起こった航空輸送の3つの郵便機の物語を通し、作者は飛行に魅了された人間たち、人間の生命の尊さとそれを超えた永続性のあるもの、孤独の中での戦いを描いています。
 
この短い小説の全体に溢れる詩的な描写。堀口大学の少々古い日本語訳もこの小説に適切なのだと思います。
 

危険を伴うのになぜ飛行するのか。そこには操縦士だけにしか味わえない世界があるのだと思います--操縦席の梁材に触れその金属の中を流れる生命を感じるとき、遥か空中から地上に住む人々の欲望を感じるとき。

 
しかしながら、この当時、夜間飛行は危険だと攻撃されていました。結婚してまだ1月足らずのパタゴニア線の操縦士が暴風の中で遭難したとき、会社の支配人リヴィエールは自問しますー自分は遭難した搭乗員の個人的な幸福を奪ったのだろうかと。次の瞬間、彼は思います--個人的な幸福など蜃気楼のようなものなので、老と死にいつかは破壊されるものである。個人的な幸福よりも永続性のある救われるべきものが人生にあるのではないだろうかと。
 
1つの生命は尊いのですが、人類の進歩の歴史というのは自身の生命を捨てる覚悟で何かを達成しようとした人々で成り立っているのだと思います。というよりも、特別な人間でなくても、仕事をして生きるということは大小なりの危険を共にし、何か永続性のあるもの或いは価値のあるものを作り出していくことなのだと思います。
 
 
この小説の主人公たちは孤独の中で戦います。暴風に遭難したパタゴニア線の操縦士は一人救いの通路を見つけようと闘います。夜間飛行を推進し続けたリヴィエールは、孤独の中で自分の感情を誰にも見せず夜間飛行を続行し続けるのです。