この記事は私の他のブログサイトにのせた記事を修正したものです。
戦後間もない頃から60年代ー70年代の小説は好きです。一般の日本人の生活も今と違ってシンプルですね。テレビにスマホにと色々あるのは良いようでストレスになりますね。
読後感はチョットーという感じですね。
ゼロの焦点と同じく、被害者は元巡査で、加害者は現在の地位が高いけれど過去を被害者に知られているという関係です。
東北方言と出雲の関係とか、よく調査はされていますね。
小説としては面白いけれど、やはり無理があると思いますね。
まず、人間は自分の過去を隠すために何人もの人間を殺害できるかという人間の本性の問題。戦国時代とかの大昔とか戦場なら別ですが、現在において良心の呵責もなくできるのかということですね。もし、良心の呵責もなくできたとしたら、この人は社会に適応できないサイコシスというこのになります。幼い頃、ハンセン病の父親と各地を旅した時、差別されたという社会に対する恨みはあるかもしれません。しかし、子煩悩の父親から愛された子供なら簡単に人を殺せるものでしょうか。
第二に余りにも偶然が重なりすぎていますね。事件に関係のある人物が刑事の近くのアパートに越してきたり、別の関係ある人物がその刑事の妹のアパートに越してきたりと、できすぎていますね。それに、加害者の子供のころを短期間だけ知っている被害者が、青年になった加害者の写真を一瞬見ただけで、判別がつくのか。
まあ、推理小説としては面白いということですね。

