先日、amical LINEで行われた
オンライン講座に参加しました。
ひっっっさしぶりに皆の顔が見られてめっちゃ楽しかったー♡


でね。
自分の中にある不安や寂しさっていう恐怖との向き合い方とか、
自分自身へ向けている男性性や女性性に対する蔑視の話とか、


たくさんお話を聞きました。
で、さっそく実践してみたの。



一人きりの空間で何もしないって……
思ってた以上にわたしにとって苦行でした笑



すぐYouTube見たくなるし、
すぐゲームしたくなるし、
すぐ本読みたくなるし、
すぐ何か食べたくなるし、
すぐ何か読みたくなる。



普段は全部無意識にやっていたけれど、
「何もしない」をしようとすると
↑がめちゃくちゃ出てくる。すげー邪魔。笑



(なのでお風呂でやってみたんですけど、
これすごく良かったよ!!すごく集中できたの!)



わたしの場合、恐怖の根幹は全て
寂しさでした。



なんとも言えない寂寥感……



これすごく意外だったの。
自分自身では一人きりでいることって
別になんてことないことだと思っていたから。
孤独?友だちですが何か⁇みたいな笑



でも、違ったみたい。
わたしはずっとずっと寂しかった。



置いていかれること。見捨てられること。
手を離されること。見向きもされないこと。
理解されないこと。否定されること。
見限られること。突き放されること。



ずっとあの手この手で誤魔化したかったのは、
↑のような「寂しい」という感情からの恐怖でした。
気づいた時(もはや一周まわって)すごく面白かったんだけど、「働かなきゃ」「稼がなきゃ」っていう焦りすら「そうしないと見捨てられる!!!そんなの嫌だ寂しい怖い!!!」っていう気持ちが底にあったの。




こんなにも寂しさを感じるほど、
わたしはわたしから距離を置いていたのか…



このことに気づいた時の衝撃ったらないですね。
そして抱いていた望みすら、その「寂しさ」を何とか埋めようとしているものだ!!と芋づる式に気づいた時にはもう膝から崩れ落ちましたよね。
うっっっっそだろ!!!??((((;゚Д゚)))))))って腹から叫ぶ勢いでした。深夜だったので自重しましたが。




でもね、それに気がつくと、
↑の「すぐに〜」っていう行動が
如何に表面的な薄っぺらなものかがよく分かります。
「誤魔化しのためだな」っていう感覚をはっきりと感じます。



「見るだけで良い」「気づくだけで良い」
ってよく言われますよね。
今回の気づきで、本当にそうだなってつくづく思いました。
だって、見て気づくとそこに自然と寄り添おうとするから。
それだけで、内側の傷ってすごくすごく癒されます。
わたしは「寂しさ」がキー🗝だったからか、寄り添いが殊更癒しとなりました( ´ ▽ ` )




また、わたしにとって「人付き合い」って
めちゃくちゃ苦手だと思っていたことでしたが、
これもまた自分の内側が反映されたものなんだろうなーってよくよく思い知りました。



誰かに感じる怖さや寂しさは、
わたしがわたしに向けていたものだし。
誰かとの間に感じる距離感だって、
わたし自身との距離感の写し鏡なんだろうな。




自分の恐怖の根源に気づくって、
わたしは結構怖かったし絶望もしました。
「気付きたくなかった‼︎」とか「気づいてしまった…」とか、なんとも言えない複雑さもあったし。



けど、何でいうのかな。
どこかで「やっと気づけた」っていう気持ちもあるんですよね。
ようやくスタートラインに立ったという感覚や、感じていた絶望が希望に転じていく明るさを感じるの。



自分の中の夜明けを感じる。
この表現がふさわしい気がする。しっくりくる。



男性性の女性性に対する蔑視についても
同時進行で気づきや癒しがあったのですが、
それはまた次のお話で。